第10話・急流を越えて

 森の中を進んでゆくと、段々、水の音が近づいてくる。最初は小さな音だったけれど、やがては大きく激しい流れの音となる。


 私はジークが手綱を手に曳く白馬に乗り、彼は慎重に、道とは呼べないけれど確かに幾度も踏みならされた跡のある木々の間を通り、森の端に着いた。




「ええっ、本当にここを渡るの?!」




 幸いに月明りは充分で、足元を見失う事はなさそうだ。


 だけど……。


 私の想像していた川とは、全く違っていた。ごうごうと音を立てる渓流は向こう岸も遠く、流れは早く、所々大岩が突きだしている。


 ジークも溜息をつき、




「想像以上に難所のようですね。しかし天候は良いし、荷馬を連れた闇商人が通るというのですから、不可能な筈はありません。深さはそうでもないと聞きましたし。けれどリエラさまが濡れてしまう事は避けられないようです」


「そ、それは、冬でもないから何とかなるとは思うけれど」


「一応、リエラさまの着替えは油紙に包んで持っておりますから、リエラさまはとにかく、しっかりと馬に掴まっていて下さい。では、行きましょう」




 まあ、ここで尻込みしていても仕方がない。


 ジークは慎重に、長靴を河に踏み入れた。そろそろと手綱を曳くと、よく訓練されている白馬は、主人の導くがままに河に入った。


 深さは、確かにジークの腰くらいまでしかないようだ。でも、私がなるべく濡れないようにと、上流側に立っているジークは何度も波を被っている。勿論私も水しぶきで服はびっしょり。


 ジークはひたすら前を見て、足場の良いところを確かめ、馬を導く。馬も水を被りながらも、辛抱強く歩みを進める。




 長かったのか短かったのか良く判らない時間、濡れて夜風に震えつつも、何とか私たちは無事に対岸に辿り着いた!


 馬は、川岸に前足を乗せる。




「ああ良かった! ジーク、ありが……」




 でも、その時、急に目の前の森から何かが飛んできて私の顔を掠めた。




「きゃ、きゃあああ?!」




 得体の知れなさに、私はびっくりして思わず顔を庇い、馬にしがみつく手を離してしまった。後から知った事には、ただの蝙蝠だったらしいのだけど。




「リエラさまっ!!」




 私は仰向けに倒れ、馬上から河の中へ落っこちた!


 立てる深さであるのは判っているけれど、流れが速くてもがいても立ち上がる事は出来ず、私は流されていく。




「リエラさまーーーっ!!」




 ジークが川岸を駆けて追いかけてくるけれど、流れの方が速い。そう見て取ったジークは、躊躇う事なく河へ飛び込んだ。流れに乗って私を追い、腕を伸ばす。私も必死でその手を掴もうとしたけれど、その時、上流から来た流木が、したたかにジークの頭を打ったのを私は見た。




「ジーク!!」




 ジークは意識を失い、波に呑まれて沈んでいく。




「いや! しっかりして!!」




 私は沈みかけたジークの身体を何とか引き寄せたけれど、私もそこで力尽きてしまう。




(ああ……こんなところで死んじゃうのかな……。でも、あの王さまの愛妾になるよりはましか……)




 それが、意識が飛ぶ前に最後に思った事だった。




―――




(……? 私、死んでないの?)




 傍では暖炉の火がぱちぱちと燃えている。私は床の上に敷かれた毛布の上に寝かされていた。服は乾きかけている。あちこち痛いけれど、とにかく私は死んでない。誰かが助けてくれたのだ。


 でも、こんな森の中で、一体誰が?




 そうっと目を開くと、向こう側の扉が少し開いていて、男が数人で話しているのが聞こえる。




「いやーびっくりしたぜ。まさかこんな夜中に女が河に流されてくるとはなあ」




 私を助けてくれた人だ! 私はお礼を言う為に身体を起こそうと思ったけれど、ふと馬車のお婆さんの件を思い出し、もう少し様子を見ようと考えた。ああ、ジークはどうなったんだろう?




「死体だったら面倒だなと思ったけど、引き寄せてみて良かったぜ。なあ、気絶しててもしっかり抱き締め合っててよう、心中かねえ?」


「馬鹿、お貴族様がこんな森の中でわざわざ河に飛び込む訳ねえだろ。ありゃあ、駆け落ちの為に国境を越えようとして足を滑らせちまったんだろう」




 あれれ、また駆け落ちカップルと思われている……。




「気がついたら、身元を聞き出して、そのうち国境を越えさせてやる、って親切顔で言っといて信用させ、その間に身代金を持ちかけるのさ」


「貧乏貴族の勘当娘じゃないといいがな」


「あんな上玉の娘、貧乏貴族でも引く手数多だろうさ。親は必死で探してると俺は思うね」


「男の方はどうするのさ。暴れられたら困る、って縛り上げちまったが……」


「さあね、身代金がとれそうならいいが……けどあの傷じゃあ、その前に死んじまうかも知れねえな」


「金蔓になるかも知れないんだから、事情が分かるまでは手当てして生かしとけ、いいかヨハン、おまえの仕事だからな」


「野郎の看病なんてつまんねえな」




 ……ああ、どうしよう! ジークは酷い怪我をしたんだ……。私が間抜けな事をしてしまったばっかりに、折角河は無事に渡れたというのに!


 おまけに助けてくれたのはどうやら野盗の類みたいで……どうしたらいいんだろう。


 私はずっとジークに助けられてここまで逃げて来た。今度は私がジークを助けなければ!




 それにしても、彼らは、銀の髪から私たちを貴族だと思ったようだけど、トゥルースの一般人には伝わってなくても、レイアークの人間まで、『銀の髪は王族かそれに連なる者』と知らずに、「貧乏貴族かも」なんて言い合っているのは何故なのかな。

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