第9話・国境
こうして、私たちは首尾よく馬車を手に入れる事が出来た。された事を考えれば、このまま奪ってしまっても良いのではないか、なんて思ったけれど、ジークは律儀に馬車の代金をお婆さんに渡していた。
ジークが御者台に座り、馬車は私を乗せて軽快に……いや、舗装されていないのでがたがた道で、気持ちよく、とはいかないのだけれど、とにかく走り出した。
「ねえジーク、あんなに大金あげちゃって、後は大丈夫なの?」
「路銀は不足しておりませんのでご心配なく。彼らには彼らの生活があるのです。馬車がなくなってしまっては、馬車屋の職がなくなります」
「でも、あんな酷い事してきたのに、ジークは腹は立たないの?」
「リエラさまを騙した事には怒りを感じますが、貧民として生まれついた者が貴族を羨み憎むのは、理解できます。このトゥルースは、一見我が国より豊かですが、貧富の差は激しい。貴族として生まれついただけで一生暮らしに困らない貴族が憎らしい……だから迷い込んできた愚かな獲物を少し痛めつけて金を奪おう……という発想に、罪悪感などないのでしょう」
「そうなのかなあ……私は貧しく生きて来たけど、他人のものを奪おうなんて思った事はないけど」
「城勤めでは、貧しくとも生活は保障されていますからね。それに、リエラさまがそのように正しい心をお持ちなのは、育ての母上のお教えがよろしかったのでしょう」
母さんか……そう言えば、子どもの頃一度だけ、お腹が空いて厨房のパンをくすねてしまった事があった。母さんはそれを知って物凄く怒って、「泥棒を育てる気はない!」って一晩閉め出されたっけ。厨房にはパンなんて有り余ってるのに酷い……やっぱり母さんは私を好きじゃないんだ、なんてあの時は思ったけれど、あれは教育だったんだなって、今頃になって思い出し、初めて解る。
「リエラさま。あのような民を生み出さず、皆が身の程に満足して幸せな暮らしを送れるように国を導く事が、王の務め……残念ながら、今のレイアークでは、いくら陛下が尽力しても、我が父のせいで、国は荒れているのですが……」
ジークの声が沈んだので、私は思わず、
「ジークのせいじゃないじゃない。元気出して!」
と励ましたけれど、やっぱり、肉親の事となると、そうすんなり割り切れはしないよね……。
私は、ゼクスに本を借りて色々な事を知っているつもりだったけれど、お城の外に出てみると、本には書いてない、本からは学べない事なんていくらでもあるんだ、って知った。
追われてる身だけれど、今はそんなに怖くない。ジークが一緒にいて、護ってくれて、色々教えてくれるから。
出来れば、もっとくだけた話し方をして欲しいのだけど、そこは結構頑固なんだよね。
―――
一夜は森の中で、私は馬車の中で眠り、ジークは見張りをして過ごした。幸い季節は暑くも寒くもなくて、火を熾す必要もなかった。
私は、ジークと交代で眠ろうと言ったけれど、拒否されてしまう。でも、ずっと眠らないなんて、いくらジークが強くても、体力がもたない、いざという時に困るかも知れない、と説得したら、保存食で済ませた夕食の後、少し仮眠をとる事には頷いてくれた。
大剣を抱いたまま、樹に寄りかかって目を瞑ったジークは、やはり疲れていたようで、ことんと眠りに落ちてしまう。
と言っても、警戒を怠らない浅い眠りみたいで、私が動き回るとすぐに目を覚ましてしまう。なので、私はじっと座って、月明かりがジークを照らすのを見つめているくらいしかする事がない。
虫や鳥の鳴き声は時折聞こえても、他の人の気配は全くない。追手はかかっている筈だけど、ジークは慎重にルートを選び、街道からかなり外れた森の中を選んだので、大丈夫そう。追手は、どうせ地理には疎い筈と決めてかかっているのだろう。
端正な顔をじっと見つめていると、前髪が揺れて、普段あまり見えない額が見えた。
(あ……)
髪と同じ銀色の、小さな刻印が、月の光を受けて煌めいている。あれが、最初に言っていた、王族だけに顕れるという聖印に違いない。王族である事を捨てても、聖印は捨てられない。
それにしても、本当に、初対面の時とまるで印象が変わってしまった。ちょっと頑ななところはあるけれど、頼れる、私の騎士さま……。
でも、ジークは私に、アークリオンとして生きる事を求めている。
どうしてだか、切なく、複雑な気持ちになった。
―――
朝が来て、私たちは出発した。気が抜ける程、何一つ事件は起こらないまま、国境近くに辿り着く。
ただ、ひとつ懸念がある、とジークは言った。国境を越えるには検問所を通らなければならない。ジークは、私の分の許可証も偽造して持っていたのだけど、恐らく検問所にも、私の指名手配の通達が来ていると思うのでそこを通るのは危険だというのだ。
検問所以外のルートだと、森の中から急流を越えて向こう側の山脈へ辿り着かなければならない。闇商人なんかは使っているらしいけれど、急流越えで万一私に何かあっては、とジークは頭を悩ませている。
「だ、大丈夫よ、ジーク。私、運動神経もあるし、泳ぎも出来るし?」
「泳ぐなんてとんでもありません。リエラさまは城の傍の小川くらいしかご存知ないからそんな事を考えてしまうだけです。馬にお乗せして私が曳いて渡りますが、万一馬が滑ったりしたら……」
「でも、それしか道はないのでしょう? あの王さまに捕まるくらいなら、流されて死んだ方がましだわ」
「…………」
ジークが馬を預けていた宿の気の良いおじさんは、きちんと馬を手入れしてくれていた。何日か休養して、立派な白馬は万全の様子。
おじさんが馬車を快く買い取ってくれたので、私たちはその晩、渡りの場所へと向かった。
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