適応障害とわたし

ゆきまる

第1話 つまらない人生

わたし、現在28歳の女。 適応障害と抑うつと診断されて、現在休職中。もちろん、独身。



わたしが生きてる価値って何?

早く死にたい





今思えば、人付き合いがあまり得意な方では無かったのかもしれない。









4人家族のわたし。ちなみに母子家庭ってやつ。兄が2人いる。父親は生きてるし、連絡もたまにとるけど、まあ赤の他人って感じ。噂で聞くのは、毎回違う女がいるらしい。


高校2年生のときに両親は離婚。元々父親は単身赴任が多かったから、一緒に住んだ記憶があまりない。わたしの生活は変わらないし、変わったといえば苗字くらい。

とりあえず、高校には通ってた。いつも遅刻する生徒の1人。たまに登校時間に間に合えば、「ちゃんと来れたんだねー」って友人に言われてた。高校が違う兄と一緒に登校するフリをして、母親が仕事に行ったのを確認したら、再び家に帰って、兄と一緒に煙草吸って、テレビみて、昼過ぎくらいに登校。留年しない程度に授業も出てた。生物の単位だけ、落としたけど。

わたしは、根は真面目なタイプ。提出物はしっかり出してたし、ノートもきちんととってた。勉強は苦手、結局馬鹿だった。


とある日、友達と繁華街で遊んでたらめっちゃイケメンのお兄さんたちにナンパされたの。めちゃくちゃどちゃくそタイプ。そのまま軽く話して、メール交換して解散。

後日、めちゃくちゃどちゃくそタイプのお兄さんから連絡が来て、2人で遊ぶことになったの。そのお兄さんはフリーター、19歳。

でもとにかくお金がないお兄さんで、高校生のわたしが奢ることもあった。でもお兄さんもお金があれば奢ってくれてた。

元々、わたしは不良になりきれない不良って感じの女子高生。金髪に髪を染めたり、ピアス10個くらいあけたり、しまいには舌ピ開けたりしてた。だから、友達も不良みたいな子が多かったけど、上辺だけ。ペラペラの関係。男ができても、相談なんかしなかったし、ただ学校に行ったら、自分の居場所が欲しくてその友達たちと一緒にいただけ。ただ、ひとりになるのが怖くて、人の顔色伺って、嫌われないように、自分の居場所が無くならないようにしてた。



ちなみに部活はやった。週1回の茶道部。副部長として、部活は必ず行ってた。高校3年間これだけはしっかりやったと思う。部長があんまり使えないから、基本的にわたしが後輩面倒見たり、指導したりしてた。実質、わたしが部長だったんじゃないかな。

茶道部の講師って、外部から来るからめちゃくちゃ厳しいオバサンが来るんだよね。茶道って、お箸使うときあるんだけどさ、お箸を受けとるところから作法は決まってるの。間違えると、厳しい声で、「そこ違うね。なんで間違えるの?なんでできないの?」って責めた口調で言われる。

でも終わったあとはめちゃくちゃ先生たち優しくなるんだよね。別人のように。たくさん褒めてもくれた。

そしてなにより、日本の伝統文化を知るってとっても楽しかったんだよね。



この頃からだと思う。友達ってなんだろうって思い始めたのは。そして、友情なんて存在しないんだろうなって思い始めたのも。



そして 自分がひとりってことも。

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