傷心のすえ、島で雑貨店をはじめました。

奏 舞音

傷心のすえ、島で雑貨店をはじめました。

 穏やかな波をみていると、心が落ち着いた。

 さらさらの砂浜には小さなカニが歩いていて、時々ぶくぶくと泡を吹いている。

 そよそよと優しく髪をなでる海風。

 何故だか涙があふれて来た。

 “よく頑張ったね”

 ”もう頑張らなくてもいいよ”

 そう言ってくれているみたいだ。

「うわぁぁんっ……!」

 誰もいない、夕陽に照らされた海辺で、私は大声で泣きじゃくった。

 ついこの間まで、声が出なかったはずなのに。



 *



「紗代ちゃん、紅実子ちゃん、おめでとう」

「三周年おめでとう!」

 両手いっぱいの花束をもって、大好きな島のみんなが祝福の言葉を口にする。

「ありがとうございます! 皆さんのおかげです。本当に、ありがとうございます」

 一人一人の顔を見て、私は笑顔で礼を言う。

 都会の喧騒の中で暮らしていた私が島へ移住して、友人の紅実子とハンドメイド雑貨店をオープンして今日で三年目。

 あたたかくて優しい島の人たちは毎年祝ってくれるのだが、三周年目は特別だった。

「“島の芸術祭”だなんて、どんなものになるのか楽しみだねぇ」

 にこにこと、祖母が嬉しそうに言った。

 今年から、各地で活動している芸術家や様々なアーティストを集めて、島全体を舞台にした芸術祭を開くことになったのだ。一年ほど前から私が計画していたのだが、どこから聞きつけたのか島のみんなも乗り気になって、協力してくれたのだ。

「私自身、すごくワクワクしているんです! 皆さんに楽しんでもらえるといいんですけど」

 島独特の雰囲気の中で、個性豊かなアーティストたちが織り成す芸術はどんな風に輝くのだろうか。

「紗代、そろそろ船が着く頃だよ」

 昔馴染みの友人であり、今は仕事のパートナーでもある紅実子の声にはっとする。

 島のみんなからの祝福が嬉しくて、すっかり忘れていた。今はまだ開店準備中だということに。

 一日に6本しかない船の、午前9時半着の時間に合わせて、私の店は開店する。

 “島の芸術祭”の発案者、そして案内店として、しっかりと働かねばならない。


 船着き場から車で十分ほどの場所に、私の店『海と風と星の雑貨店』はある。

 一眼レフを抱えた若い女性たちが、“島の芸術祭”のフラッグをみつけて店内に入る。

「すいませ~ん、ここで“島の芸術祭”のパンフレットとかもらえるって聞いたんですけど」

「えぇ、こちらですよ」

 私ははやる気持ちをおさえて、笑顔で応対する。

「“島の芸術祭”は、大きく分けて四つのエリアに分かれています。海のエリアと、丘のエリアと、石のエリアと、風車のエリアです。それぞれの場所に、各地から集まったアーティストの作品が飾られていて、体感型の芸術からワークショップ体験まで、楽しんでいただけます。もちろん、その他にも島にはカフェも私のお店のように雑貨店などもありますので、ぜひ芸術と一緒にこの島のことも楽しんでいってくださいね」

 パンフレットを見せながら、私は観光客である女性たちに簡単に説明する。簡易的ではあるが、自分で描いた島の地図も渡した。

「あ。この星のイヤリングかわいい」

「ほんとだぁ。また帰りに寄りたいね」

 古民家の蔵をリフォームして開店したこの店は、主に手作りのアクセサリーを扱っている。ネックレスや指輪、ピアス、髪飾りなど、店名にもあるようにすべて海・風・星をモチーフにしている。すべて愛情込めて作った商品だ。女性たちの目に可愛く映っているのだと思うと、とても嬉しい。


(三年前は、こんな風にしてる自分想像もできなかったなぁ……)


 人生って、本当に何が起きるか分からない。



 私は三年前まで、都会の大企業で働いていた。心が折れそうになる就職活動を乗り越えて掴みとった仕事は、地獄のような場所だった。サービス残業は当たり前、上司からの暴言は日常茶飯事、ミスをすれば責任のなすりつけ合い、同僚や先輩後輩との仲もギスギスしていて、空気は最悪だった。

 少しずつ体力と気力をそぎ落とされ、心まで削り取られるような日々。

 そんな中で、私の身体はある日突然異変を起こす。心因性のストレスのためか、声が出なくなったのだ。それでも職場にはいかなければいけないという強迫観念があり、私は出勤していた。しかし、声が出ないのは演技で怠慢だと決めつけられ、仕事を舐めているのかと怒鳴られ、何のために自分は生きているのか、分からなくなっていた。

 生きることが苦しくて、もう動けなくなった。過労で入院すると、さすがに家族にも隠し通せなくなった。大学生からずっと独り暮らしで、家族のもとへも数えるほどしか帰っていなかったのに、娘の危機に家族は心から心配してくれた。あたたかかった。

 それなのに、疲れすぎていた私の心はまだ癒えず、自分の声でお礼を言うことすらできなかった。


『おばあちゃんの家で、療養しなさい』


 母は島の出身だった。幼い頃に一度か二度しか会ったことのない祖母に世話になるのは抵抗があったが、母に強引に連れていかれた。祖母は無感情な孫相手にもとても優しかった。祖父が他界してずっと独りだったから、嬉しいのだと、ありがとうと私に微笑んだ。

 祖母の家は、海の近くだった。一人で海を眺めていると、何故だか突然涙が溢れてきた。


 それからようやく、私はだんだん感情を取り戻していった。

 高校生の頃から大好きだった、アクセサリーや小物作り。休職中の私には時間が有り余るほどで、最初は趣味として作っていた。就職してから趣味を楽しむ時間も余裕もなかったんだな、と改めて感じたものだ。自作のアクセサリーの写真をインターネットにあげていると、欲しいという声が少しではあるが上がった。それなら、趣味の延長でアクセサリーを売ってみようと思いついたのが始まりだった。


「私ね、ハンドメイドの雑貨店を開きたいなって思ってるの!」

 高校の手芸部で仲良くなり、社会人になっても付き合いのあった紅実子に連絡すると、彼女もまた上司からのセクハラで会社を辞めたばかりだった。

 二人で高校生の時に夢見たハンドメイド雑貨店の話をすると、すぐに紅実子はこの島にやってきた。紅実子も、婚約者には浮気をされ、仕事も好きなことができず、何もかも忘れてやり直したい、と思っているところだったのだ。

 これはまさに運命だ! と二人で盛り上がり、開店準備を始めた。三十手前にして、私たちはもう一度夢を追うことにしたのだ。

 人口一万人ほどの小さな島の町では、人のうわさはすぐに広まる。みんなが、自分たちにもぜひ協力させてほしい、と子どもから大人まで、近所の人たちが手伝いに来てくれた。都会で、隣人と口もきいたことがないような生活を送っていた私は、本当に驚いた。こんなにも、誰かに優しくなれるあたたかい心の持ち主がいるのか、と。

 そして、島の良さをもっといろんな人に知って欲しいと思うようになった。私は、この島に救われた。

だから、何か恩返しをしたい。

 島の過疎化は深刻化していた。人口が少なければ、それだけ様々なものが減っていく。若者が出ていき、未来の働き手もなく、店の数も減り、船の運行数も減る。そうなれば島に来る機会はますます減ってしまう。観光名所といえる場所もないので、観光客が来ることもない。

 そんな時に、私はとある田舎の町おこしイベントをテレビで見たのだ。アーティストを呼んで、景色とアートを融合させる。観光名所がないなら、作ってしまえばいい。私はインターネットを使って様々なアーティストに声をかけて誘い続けた。現代美術に空間芸術、コンテンポラリーアート、演劇など。芸術活動を熱心に行っている人たちから色よい返事をもらえて、町長も島おこしとして支援してくれた。


「この日まで、長いようであっという間だったなぁ」

 自身の店のこともしながら、“島の芸術祭”実現に向けて走ってきた。

「ほんとにね。大変だったけど、高校生の時みたいに紗代と一緒に何かできてよかった」

「それは私の台詞だよ。紅実子が来てくれて、本当に嬉しかったし、めちゃくちゃ楽しい」

 仕事終わりには、夕陽から夜に変わる空をみながら、海辺で語り合う。それが二人の、店をはじめてからの日課だった。

 “島の芸術祭”は、事前の宣伝効果もあってか初日にしてはまずまずの来場者数で、好評だった。三か月だけの期間限定の開催ではあるが、少しずつSNSで拡散されているので、来場者数はきっと増えていくだろう。

「この島に来る前は、こんなに充実した毎日じゃなかったから。何かを楽しいと思うことも、何かをやりたいと思うこともなくて、ただ仕事して、暴言吐かれて、ストレスの捌け口にされて、終わり。本当に、自分が今こうして笑っていられるなんて、あの頃の私には想像できないと思うなぁ」

「私も。実はね、紗代から連絡があった日、衝動的に自殺しようって思ってたの。でも、私のことを必要としてくれる人がいたんだって、救われた。本当にありがとう」

 初耳だった。私自身も心を病んでいたが、紅実子もそうとう追い詰められていたのだ。

 しかし、当時を語る紅実子に悲壮感はない。

 だから、私はにっこりと微笑んだ。

「紅実子、生きていてくれてありがとう。これからも、一緒に頑張ろうね」

「こちらこそ、よろしくね。でも不思議だね。諦めなければ夢は叶うんだって、ありきたりな言葉だけど、本当のことなんだ……」

 互いに心に傷を抱え、この島で再生を目指した。

 一度は捨てた夢をみて、走り出した。

 これからも、きっと優しいこの場所で。


「ねぇ、せっかくだから二人で乾杯しない?」

 私はがさごそとコンビニ袋からチューハイを取り出し、にぃっと笑う。紅実子も、笑顔で頷き、チューハイを受け取った。


「「三周年、おめでとう!」」


 二人だけの祝杯を、カニが横目に見やる。空には星が輝きはじめ、海は穏やかに波打っている。


 穏やかで、優しい風景が、今日も二人を見守っていた。



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傷心のすえ、島で雑貨店をはじめました。 奏 舞音 @kanade_maine

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