第37話

 一枚目の絵から兎だった。順路通り一本道を進んでいくとブラントの年代順で絵を見ることができるらしい。絵が、もしその人の人生の生き写しなら、この真っ直ぐな廊下はブラントの年表みたいな物だろう。

 サクラは兎の絵をまじまじと見る。

 白黒の兎の顔に色とりどりの花が描かれて、それをつた模様が囲っていた。そんな絵が4枚並んで飾られている。見比べても、兎の顔の角度や花の種類が違うくらいだ。

 これは、メモ帳なんかの表紙にしたら売れそうだ。


 次は、風景画だった。緻密な線で花畑を描き、薄く色が塗られている。遠くにはいくつもの塔が見える。枠線を自分で描くのが画風なのか、セピア色のインクで囲い、四隅には鳥モチーフの模様を入れていた。


 次は2枚、少女の絵が展示されている。

 一つは首から上を花で描き潰した少女の絵。簡素な椅子に座って、リラックスしてるのかあまり姿勢は良くない。そんな彼女も白黒だ。奥行きがあり、今にもゆっくり立ち上がって動き出しそう。足元には小さくコメントと変ならくがきがあって、翻訳されたものがキャプションに載っていた。

 『──へ、あまりに変な顔をするから君の顔は上手く描けないね』

 ──モデルに贈った絵だが、変な顔と言われ頭を描かなかったせいなのか、らくがきをつけて突き返されてしまったようだ。


 もう一つは、こちらも白黒だ。沢山の鳥に囲まれて、長い髪が羽ばたきで靡いている。顔の大半は翼で隠れて、綺麗な顎のラインがどことなくあどけなさを残していた。彼女も10代なのだろう。

 キャプションによると、これもらくがきと一緒に突き返されたらしい。ブラントも懲りないなとサクラは思った。もしかしたら、この冷たいらくがきの女の子は同一人物で、ブラントの後の妻であるカトレアなのだろうか。粘着質な彼が絵を贈り続けて結ばれた……なんてそんなことあるだろうか。


 あとは数枚の風景画のデッサン。お城のある風景や煉瓦通りの町は服を着た兎が行き交う。山羊頭の農場と、腐った林檎の森とお姫様、煌びやかな装飾の処刑台。どれもが奥行きが強く描かれており、ネット上で空間把握が得意だと書かれていた所以なのだろうと思った。それにしても感性が独特だ。この感性はいずれリアリズムへと変わり、無くなってしまうのだろうか。

 解説によれば、絵の具を買うお金が無かったから、ずっと鉛筆だけで緻密な絵を描いていたのだという。


 次の絵は……?

 ほんの少し、展示品の間に空白があるのを見ると区切りなのだろうか。先程の白黒とは雰囲気が変わり、薄く色のついた絵が並んでいる。

 ざっと見ると風景画が多かった。

 海の中の街には鳥が飛んでいる。塔の天辺からは白い人影が星空へ落下していく。……空想画は合計で7枚。サクラは一つずつ丁寧に見ていった。

 その後も、絵描き仲間の肖像画や、街中の犬や猫、日常を切り取ったような風景が続く。

 少し、またスペースが空いて、今度は2枚の肖像画がかけられていた。

 1枚目は、窓辺の椅子に座った穏やかな母親の肖像だ。花を抱えて、少し照れ臭そうに微笑んでる。全体的に少し白っぽく、花の枠線で縁取られた彼女を見て、サクラはふとこれは亡くなる直前に描いたんじゃないかと思った。根拠はないのだけど。

 対を成すように自画像が描かれていた。あまり似合わない青のショールを肩にかけた、栗毛の男性だ。鏡に写った姿なのだろうか、反射光が描き込まれていた。母親譲りの穏やかそうな雰囲気が絵画の中から感じ取れた。

 

 この2つが、絵描きを諦めることを決心した最後の絵だったという。やっぱりそうかと、サクラは思った。

 最後だからと、きっとヴィクターは集大成として母親と自身を描いたのだろう。それなのに、この後、母親が亡くなるんだ。ブラントも複雑な思いだっただろう。母も絵も大切で、選んだ途端に両方失ってしまう。……ただ、それでも復帰できたのが救いだろうか。


 また、白黒の絵だ。荒い鉛筆画だ。

 おそらく、カフェのテラス席だろうか。背景に街灯がある。向かい合って座った長い髪の女性を描いたものだ。そっぽを向いて頬杖をつき、退屈そうに目を細めていた。日付とカフェにて、とだけ下の方に書かれていた。

 友人なのか、恋人なのかはわからないが、こんな退屈そうな女性の顔を描くだろうか。復帰したばかりの肩慣らしに描いた絵だと解説にある。詳細は一切が不明らしい。


 数枚、何気ない風景の鉛筆画が並び、その後は荒っぽい空想画が続いた。色も以前とは打って変わって勢いに任せたようにはっきりとしたものだった。一際目を引いたのが2つ。一つは『魔女』というもので、顔を黒いヴェールで隠した王女の肖像だ。もう一つが『根源』で、少女が暗い森の中で座り込み、泉を覗き込んだ絵だった。泉がぼんやりと複雑に光っていた。水底に何か落ちているのだろうか。ブラントの絵にしてはどちらも暗くて、混沌とした悪夢でもみている気分になったのだった。


 次の絵でまた区切られている。『飽き性』と書かれていた。散らかった部屋だ。中心にアーチ型の窓が描かれている。脱いだコートはベッドに投げ捨てられ、裁縫道具は机の下でひっくり返っている。書きかけの原稿用紙は風で飛ばされたんだ。それから窓辺の花瓶が倒れている。その下には人形が落ちている。

 緻密に描かれた鉛筆画で、薄く絵の具で色が塗ってあった。今までのものに比べたら奇妙だ。


 サクラは何故か、そのなんの変哲もない絵から目が離せなくなった。その絵に囚われたように、金縛りにあったみたいにピクリとも動けなくて、浅く呼吸をしていた。


 この部屋には、何かがある? ベッド? 誰か寝てる痕跡はない。けど、シーツがぐちゃぐちゃになってる。いくらなんでも、少しくらい直しなよ。コートを調べてみたら何が出てくるだろうか。あれ、よく見たら女物だ。ならここは女の人の部屋なのか。

 裁縫道具の周辺……机の下を覗き込んだけど、作品はないな。原稿用紙……小説家なのかな。手紙ならこんなに紙を使わない。花瓶の花は……残念だけど枯れてる。でも、水は入ってたみたい。


 ああ、潮風が髪を抜ける。窓枠に寄って外を見る。窓の外は白黒の、海が見えたんだ。足元に服を着てない人形が転がってる。壊れてる。胸に大きな穴が空いていた。……かわいそう。

 この部屋の住民は飽き性? いや、飽き性で片付けられるようなものじゃないだろう? 住民は、どこへ消えたの?


 「あんたまだ、そんなとこいたん?」


 リツだった。「二周目だよ」と少し呆れた顔をする。いやいや、呆れたいのはこっちだよ。ただ、見にきてるんじゃなくて情報収集しに来ているんだよ、わたしたち。

 サクラは美術館のぼんやりと薄い灯の中で、真新しい建物の独特な香りを肺に収めた。なんだか酸欠みたいに頭がくらくらとする。


 「早すぎない? リツこそなんだか飽き性?」


 「ああ、その絵……。飽き性なのは否定しんけど。一通り全部見てから、もう一度見ようと思って」


 リツの顔がどことなくぼやける。ピントが合わないのだ。一つの絵を見すぎたのだろうか。


 「結論言うと、こっから先はなんだか別の人の作品みたいだった。なんとなくだけどさ」


 「そっか……」


 サクラは自分の存在と心が分断したみたいに、ふわふわと宙に浮いている感覚が拭えなかった。そんな生返事にリツは顔を顰めて、ふいにサクラの前髪を掻き上げた。


 「なんか、顔色悪いよ」


 「そう? 全然大丈夫だけど」


 リツは手を離す。リツの手の方が熱かったから、熱はないはずだ。


 「うーん……少し先に中庭へ出られるとこあるからさ、ちょっと外の空気吸ったら? 中庭なら飲み物良いみたいだし」


 「でも……」


 サクラが曖昧に吃ると、リツはため息混じりに口をひん曲げ、そうかと思えばニヤリと笑う。


 「プロの言うこと聞いとけって。まだ時間はあるんだし。モモカが確かお茶持っとったで、ちょっと貰ってくるわ」


 「それもそうだね。頭スッキリさせた方が効率いいか。ありがとう、リツ」


 やけに世話焼きなリツに何だか空想でしかないのだけど、仕事中の彼女が思い浮かんだ。口は悪いけど、根っからの人間好きなのだろうか。

 モモカを捜しに、リツは早歩きで2周目を行く。そんな後ろ姿を見送って、サクラも絵画を横目に、中庭のドアを探すことにした。

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