第21話
日曜の仕事終わり。今日は月末の、イベントのため早くから出勤していた。故に、十五時には甘ったるい香りと作り笑顔の労働から解放され、さらにはお疲れ様ということで、四号サイズのガトーショコラを貰った。これも訳ありの売れ残りである。
甘いものは好きじゃないから、ケーキなんてもらっても喜ぶのは母とコハルだけだ。サクラはケーキの入った箱を自転車のカゴに突っ込んで上から鞄を乗せ、持ち手をハンドルに巻きつけて通した。ポケットに入れていたスマホを鞄にしまおうとした時、一時間前から通知が来ているのに気がついた。
ダルマに必殺と書かれたアイコン、名前はユッキート。メッセージは「東図書館にいる。閉館までいる予定。時間があれば話がしたい」とのことだった。
東図書館までは、ここから自転車で駅まで行って、普通電車に乗って五駅目の場所にある。トータルでも上手いこと電車が来れば三十分で行ける。サクラはユキトに「三十分後くらいに着く」と送った。足からじんわり伝わる八時間の疲労に顔を背けて、自転車にまたがり、駅へと向かった。
駅に着くと、電車はついさっき行ってしまったところだった。仕方なく自販機で小さい緑茶を購入して、がらんと人のいないホームのベンチに座ってスマホで音楽を聴きながら電車を待った。たぶん、何か新しい情報があるのだろう。呼び出すくらいなのだから、大きな進展があるといいのだが。
進展……あったところでこの先どうなるんだろう。リツもモモカも結局は離れていってしまった。これからはユキトと二人で協力して調べていくしかないし、何か対策を練るにしても自分とユキトだけじゃ不安しか残らない。
三曲目の二番のサビのところで、電車が来た。気づけば、誰もいなかったホームにちらほらと数人、電車を待っていた。
五駅目の東基町駅の西改札口前に、東図書館はある。公園の敷地内に建ち、この辺では大きい図書館に分類される。サクラは滅多に来ないが、十年前ほど、母が保育士をしていた頃は絵本を借りるからと付き合わされた覚えがある。
サクラはユキトに到着したことと、どこにいるのか聞こうとしたが、すぐにそれは必要ないことだと気がついた。ユキトは人気のない図書館の前の木陰に覆われたベンチに座っていた。ペットボトルのオレンジジュース片手にスマホを見ており、サクラには気づいていないようだ。
「せっかく図書館まで来てんのに、なにしてんの」
ユキトは「ぎゃっ」と悲鳴をあげて、オレンジジュースを薄汚れた白のタイル張りの床面にぶちまけた。よほど動画に集中していたらしい。
「ちょっと……馬鹿じゃないの……」
サクラは固まっているユキトに半分くらい減ってしまったベタベタのオレンジジュースをつまんで拾って渡した。ユキトは「うわっ」と小さく声を漏らして、ジュースをベンチの上に置いた。
「驚かすなよ……」
「驚かしてないし。ていうか、ほんと何してんの?」
「いや……また物騒な事件があったでよ」
そう言って、ユキトはスマホの画面を見せた。東北で一家の殺人事件があったらしい。今朝、ニュースでやっていた。七人家族が亡くなっており、別居中の次男が行方不明だという。
「最近、まじで物騒だな。事故も多いし、通り魔も捕まっとらんし」
「本当、そういうのは、フィクションだけにしてほしいよね……」
サクラは小さく吐いた。現実問題に追われているだけでお腹いっぱいだ。そこに血生臭い殺人事件や人身事故なんかが飛び込んできたら、自身の小さな胃は破裂してしまう。
なんて、魔法少女時代に関わった世界の問題を抱えようとしている自分が言うのも変な話だ。
「それで、こんなとこに呼び出したんだから、何か良い情報でも仕入れたの?」
サクラはユキトと少し距離を開けて座った。鞄を隣に置いて、ユキトにガトーショコラの箱を差し出した。
「ああ……なんだこれ」
「あげる。売れ残り」
「ありがとう……」
ユキトは店のロゴが入った白い箱を受け取り、膝に乗せて指先でカリカリと開けようとしていた。
「……その、最近図書館回っとったじゃんね、俺。で、サクラからブラントの話聞いてからブラントの出身の……ってなんだよこれ?」
話の途中、ユキトは開けた箱を見て、素っ頓狂な声をあげた。
「ガトーショコラよ。いつもはカットしてケーキセットに出しとるんだけど、店長がサイズ間違えてさ。試しに昨日一日売ってみたけど、売れなくて」
「そうじゃなくて、なんでこんなボロボロなんだよ」
箱の中のガトーショコラは本来なら丸かったのだが所々崩れており、丸と言うよりは歪に四角くなっている。
「自転車に乗せたからだわ。味は一緒だって」
「雑だなぁ……お前」
ユキトは肩掛けバッグからコンビニでもらうウェットティッシュを出して手を拭き、ガトーショコラを半分に割った。意外と綺麗好きなんだと思った矢先、「食べるか」と聞いてきたのでサクラは首を振って断った。
「好きじゃないの、甘いもの」
それに、人が触ったものは例え手を綺麗にしたとしても食べたくない。その辺はやっぱりデリカシーが無いのだろうか。
「へえ、意外……でもないか。なんか、俺のっていうか、世間一般がイメージする女子じゃねーもん、サクラは」
「ああ、そう」
ユキトはガトーショコラを齧って小さく「美味い」と呟く。こうやって美味く食べてもらえれば、崩れたガトーショコラも、間違えて作った店長も報われる。そんなことを考えて、ハッと思い出す。今日はガトーショコラが無事に食べられていくのを見に来たんじゃない。
「んで、ブラントがなんだって?」
サクラはユキトが口にケーキを含んでいるのもお構いなしに切り出す。ユキトはペットボトルを拭いて、ケーキをジュースで流し込んだ。
「ああ、ごめん。そうそう、そのブラントのこと調べとってよ……出身のハイアだ。そこの地区の人を探したんだ」
「ハイアの?」
「そう、ハイアって職人とか……今で言うアーティストが多かったんだとよ。だで、いろいろ出てきた」
ユキトは鞄から、小さく折りたたまれた紙を出して、広げた。A4サイズのコピー用紙が数枚。英語で書かれた文字の羅列で、オレンジ色やピンク色のマーカー線がいくつか引いてある。
「なにそれ、英語読めるの?」
「俺、英語はすげえ苦手」
「そう。で、なんなのそれ」
「人物名鑑のコピー。年代別になっとったからブラントが生きた時代あたりの人を調べてみたんだ」
一枚に何十人もの名前が書かれている。それが数枚あるのだから数百人、ユキトは調べたのだろうか。一つずつ見てみると、名前と生年月日と命日、性別と職業が描かれていた。
「最初はブラントの生きた……1894年から1957年まで調べたんだ。で、そこから気になる名前や職業の人を個別に調べてったんだけどよ、有益な情報がまるでねーんだ。だで、ブラントが生きた時代に亡くなった人も見てみたんだよな」
ユキトはコピー用紙をペラペラとめくり、目当てのをサクラに見せた。赤色で丸く囲ってある名前に自然と目がいく。
「サ……テ……?」
あまり、見慣れない綴りだった。1844年に生まれ、1903年に亡くなった女性。ユキトが得意げに口を開いた。
「テリーサ・アプラス……人形師だ」
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