第16話
その女性がリツだというのはすぐにわかった。
見た目もモモカほどに変わっていなかったし、なにより雰囲気が当時のままだった。気が強くて、少しだけ威圧的な雰囲気を今も醸し出している。それを見て、サクラの胸に緊張が走った。
サクラはアプラスとマルルで頭を埋め尽くされていたから、考える余地がなかったのだろうか。最後に会った時、リツを怒らせてしまったのだ。今更リツと上手く話せるだろうかと不安になる。
リツはすぐにこちらに気がついて、近づいてきた。
白いスキニーパンツを履いた折れそうなほどに細い足はなんとなく骸骨を連想させた。
「早かったのね」
リツはサクラの前に座って、短い髪を耳にかけた。大ぶりの青いビジューのピアスがキラリと光った。
「ああ、思ったより早く着いたの」
「そう。なんか頼んだ?」
「いや、まだ」
リツはこちらの目も見ずに、流れるように喋る。久しぶりに会ったなんて思わせないような口ぶりだった。
「決めた?」
「ああ、わたしは決めた。モモカは?」
「あ、え……あの……じゃ、レモンティー」
モモカの声は焦ったせいか少しだけ上ずった。
リツが店主を呼んで、それぞれが注文した後に、またもリツから口を開いた。
「久しぶりじゃん。急に会って話したいなんて驚いたんだけど」
リツは頬杖をついて、水を飲みながら淡々と言う。リツの目つきはもともと悪く、そのせいでなんだか睨まれたような気がして、サクラは肩を竦める。
「まあ……いろいろ積もる話があって」
「ふーん……」
「リッちゃん今日はお休みなの?」
「午前中は強制参加のセミナー。休み返上だで、まじで怠い」
リツはフッとため息を吐いた。もともとこんなに不機嫌そうに見えるタイプだったろうか、それとも強制参加のセミナーとやらで本当に疲れて不機嫌なのだろうか。もしくは、サクラにまだ怒りがあるのだろうか……いや、でもそうだったら来てくれないはずだ。だから、大丈夫なはず。
「それは、お疲れ様だね」
モモカが柔らかく笑う。ピリついたリツの周りの空気が心なしか、柔らかく暖かくなった。リツも少し目元を緩めて答える。
「まあ、仕方ないわな」
ドリンクが来るまでは、三人で今日のことを話した。サクラは午前中はバイトをしたことくらいで、学生のモモカは今日は午前中に買い物を済ませてきたこと、リツはセミナーの内容をざっくりと話してくれた。
それなのに、サクラは自分が何を話したのか、二人が何を話していたのか、よくわからなかった。サクラの頭の中はどうやって話を切り出そうかという思考でいっぱいだった。
「てか、モモカさ。太ったね」
サクラはあまりにストレートなリツの発言ギョッとして、モモカの方を恐る恐る見やる。頭の中の計画が一瞬で消えて無くなってしまう。
「……知ってるよ」
モモカは俯き加減で、消えそうに答えた。口元だけ緩く笑っているが、目は泣きそうに、見開いている。事実は事実だが、ショックを受けたのは目に見えてわかった。
「あ、ちょ……リツ……」
サクラは慌てて何かフォローしようと声を出すが、言葉にはならなかった。
「事実じゃん」
「うん、事実だよ。サクラちゃん、だからね、フォローいらない」
モモカは貼り付けたような笑顔で、単調にいつもより低い声で吐き捨てるように言った。
サクラはここでフォローしたらサクラ自身もモモカが太いということを肯定していることになるのではと考え、小さく唸ることしかできなかった。……まあ、太っているとは思っているが。
「まあ、デブでもガリガリでもモモカが可愛いのに変わりないから良いんじゃねーの」
ガリガリ体型のリツはニッと笑う。細身の体つきも笑うと目がなくなるのも変わっていない。
一方のモモカは落ち込んでいるのか、諦めているのか、よくわからない複雑な顔をしていた。
中身のない会話を続けていると、注文した飲み物を店主が持ってくる。可愛らしいティーカップも、涼しげなグラスもそれぞれが全部違っていた。
リツのクリームソーダのアイスは溶け始めており、テーブルに置かれた瞬間からリツはアイスを食べ始めていた。「氷とアイスの境目が好きなんだよね」と笑う。
こんなに笑う人だっただろうかとサクラはリツを、ティアドロップを思い出そうと記憶を辿る。それでも一番最初に出てくるのはマフラーをしたセーラー服の女子高生だった。不機嫌そうに眉をひそめて、低い声で何かを言っていた。何を言って何を言われてかは思い出せないけど、あの頃はリツに拒絶されたような気がした。
「リツ……あの……」
そんな記憶は搔き消したくて、サクラは無意識にリツを呼ぶ。ソーダを飲んでいたリツはストローから口を話す。
「なに?」
あまりに何も考えてなくて、本日一番どうでもいいことを聞いた。
「えっと……アイス好きだっけ」
「え、好きだけど?」
リツは眉をひそめた。怒っている様子はないがやっぱり不機嫌そうに見えてしまう。
「そうだったっけって思って……一緒に食べたことあったかな」
「ああ、なんか一緒に食ったのは覚えとるけど……そうだっけ?」
「あ、でも一緒にハンバーガー食べたよね。モモカ、あれ始めて食べたから覚えてるよ」
それは、サクラも覚えている。良いとこ育ちのモモカは添加物まみれのハンバーガーを初めて食べて、「美味しい美味しい」って目をキラキラさせていた。
リツはまた眉をひそめて、首を傾げた。「そうだっけ」って。
「覚えとらんわ。なにも」
リツは目を伏せて呟き、またクリームソーダを口にする。
モモカが、リツにまた別の思い出話を振る。リツが行っていた高校の文化祭に、サクラとモモカが行った話だ。楽しかったことは覚えているが、サクラにはその内容が頭に入ってこなかった。
サクラの中で、看護師の鵜塚律とティアドロップがどうにも一致しなかった。
ティアは冷静沈着で物静かで、普段はあまり笑わないけど、だからこそ笑顔を見せると本当に楽しいのが伝わってくるような少女だった。目の前にいるリツというきつい顔立ちの女性が、冷静沈着なのはなんとなくわかる。だけど、彼女はサクラよりもたくさん喋るし、よく笑う。でも、それが本心で笑っているのかわからなくて、不気味ささえ思わせた。
モモカとリツは思い出話が尽きると、近況や近くのカフェやコンビニスイーツといった当たり障りのない話題を話し始める。サクラは考えることに集中してしまい、適当な相槌しかできなかった。
「あ、そうそう。あたし、六時から病棟の飲み会なわけで。あと、二、三十分くらいで帰るけど、あんたたちはまだ残る?」
気づけば到着してから一時間半も経って、リツとモモカのドリンクも空っぽになっていた。
「うそ……もうそんな時間なんだ」
「あんた誘っておいて、ぼーっとしすぎじゃね? 何のために集まったんかわかんねーじゃん」
リツは小馬鹿にするかのようにサクラを笑った。
モモカが心配そうにサクラとリツを交互に見て、リツには聞こえないほど小さい声で「サクラちゃん……」と呟く。
話さなきゃ。リツに、アプラスのことをちゃんと言わなきゃ。
「あ、あのね、リツ」
モモカの時よりもずっと緊張する。自分の意思で、お腹の底から絞り出さないと言葉が出てこない。
「なに」とまだ笑みが残るリツが聞く。
サクラは机の下、膝の上で手を組んだり離したりしながら、口を開く。
「アプラスって覚えてる?」
息を吸って勢いつけて、聞く。どうしてこんなに緊張するのかわからない。
リツの眉がピクリと動いて、綺麗な顔がわずかに歪む。
「……知らね」
たった三文字の言葉が、サクラの心臓にずきりと刺さった。
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