リーパーは弧に斬り裂く

高羽慧

プロローグ 前兆

00. 春、前夜

 パァンと渇いた破裂音が、深夜の街路に響く。


 音の出所に向けて、男たちは息を潜めて走った。

 揃いの制服は警官よりラフで、只の警備員にしては手にする装備が物々しい。

 数は七人、その内の一人が、銀光を反射するを腰ベルトから引き抜く。


「戦闘準備、通信器ヘッドセットの動作を確認」


 了解、の返答と共に、一から六までの番号が点呼された。

 午前一時を過ぎると街路に人通りは無く、まして三月の薄ら寒い河原を散策するような物好きはいまい。

 誰の目にも触れずに彼らは堤防に沿って進み、川岸にいるはずの対象へと距離を詰めた。


 再び、癇癪玉が弾けるのに似た音が聞こえる。

 銃を持つ男が土手の斜面に体を預け、這い上がって頭を出した。様子を窺う彼に倣い、隣へもう一人が並ぶ。


「高次発症でしょうか。ガスを使いますか?」

振動シバリングが弱い、低次もいいとこだな。接近して飽和攻撃しよう」

「了解」


 低くざらついた声は、次いで対象を囲み込むための陣形を指示した。

 他の隊員にも指示が伝わると、ほんの僅かに皆のまとう空気が弛緩する。

 低次発症者の捕獲であれば、さしたる危険も無く遂行できるだろう、と。


 部下が散開する間も、銃の男はうずくまる対象へ目を凝らし続けた。

 口許に出来始めたしわが、月明かりで一層深く見える。

 正式な役職名はともかく、皆からは“隊長”と呼ばれる彼に油断は無い。低次であっても、気を抜けば惨事を招くと重々承知していたからである。


 最前線を担当する六人が失敗しても、二重の包囲網が控えており、対象に逃げられるとは思えない。

 しかし、出来れば最初の接触で決着させることを望んでいたし、隊長が自ら前に出てきたのはそのためだ。

 川下に二人、川上に二人が向かい、隊長を含む残る三人はその中間地点で待機する。


『一、二、位置につきました』

『三、四、拘束準備完了』

「よし、行くぞ。演習通りにやれ」


 一斉に、男たちが駆け出した。

 対象までの距離は何れも二十メートル未満に過ぎず、通常ならこの時点で気取られたことであろう。

 だが、対象は振り返ることもなく、川に向かって微かな呻きを上げるだけだ。


 十メートルを切れば、荒い息遣いも聞こえるようになった。

 意識が混濁するのは発症者の常であり、これなら反撃されるリスクも少ない。


「構えっ」


 隊長の号令で、まずは四つの銃口が対象へ突き出される。

 三人は第二弾に回したわけだが、その予備攻撃を使う事態にはならないだろうと、隊長は予測した。


 接触まで二・五メートル、低次発症者なら、これでもまだ安全圏か。

 座り込む対象が首を回し、胡乱うろんな眼差しで彼を見る。

 血涙を流す顔に、まともな思考力は感じられなかった。


「撃てぇっ!」


 四発の発射音が、きっかり〇・五秒間隔で打ち鳴らされる。

 最初の弾が当たると同時に衝撃波が発生し、全て一塊となった爆音が暗い河原で木魂こだました。


 隊へ伝えられた詳細が正しければ、対象の年齢は十六歳の男性、配管工の見習いだという。

 仕事はサボりがちで、今夜も遊び歩いた挙げ句に、路地裏で喧嘩沙汰を起こした。それなりに人の多いこの街では、よくある騒動である。

 警察が到着した時には既に血まみれだったため、救急車に乗せられたところを脱走したらしい。


 事の輪郭に、目を引くような特殊性は無い。

 逃げ出した被疑者が、河原で行き倒れた――それだけだ。

 警察の調書には載らない部分にこそ、街に秘された本質が在る。

 出血にも拘わらず、男には外傷が無く、救急車の後部ハッチは内側から捩り開けられていた。


 四発撃たれた麻酔弾も、命中したのは三発のみ。

 至近距離から狙いを外すような鈍臭い者は、この隊には存在しない。初弾は男によって、弾かれた・・・・のだ。


 より安全に拘束するため、ガスマスクを被った隊員が樹脂球を携えて前に出る。

 内部に麻痺性のガスを収納した特製球を、隊長は必要無いと片付けさせた。


「今ので野郎は打ち止め、もう虫の息だ。見てろ」


 足元に転がる小石を三つ拾った隊長が、崩れ伏せる男に向けて放り投げる。

 緩い放物線を描いた小石は、丸めた背中へぶつかり、転がった。

 ほんの少しくらいは、揺れが生じただろうか。

 目視出来るギリギリの現象といった程度で、ハッチを吹き飛ばしたり、弾を跳ね返すような威力には遠く及ばない。


「静かに動かせば、事足りるだろう。第二班が到着したら、担架で運ばせろ」

「はい、すぐに来るはずです……」

「どうかしたか?」


 歯切れの悪い隊員は、長く隊長の下で働く副長だ。

 ネクタイを締めさせれば役所務めで通る、真面目で平凡な外見である。

 仕事ぶりは優秀なものの、現場から撤収する度に鎮痛剤と称する錠剤を服用していた。

 頭痛に悩むのも、殺伐とした任務を考えると理解出来なくはない。

 ただ少し、この仕事を続けるには繊細に過ぎるのではというのが、隊長からの評だった。


「今月、街中で発症したのはこれで三例目です。多過ぎませんか?」

「多いな。偶然ならいいが、装備を増強することも検討しよう」

「そろそろ隠すのも限界では?」

「これ以上頻発したら、内々に処理はできんだろうな」


 そうなれば、メディアも嗅ぎ付けるし、公機関が対応すべき案件となる。

 センセーショナルな見出しは容易に想像されども、実際にどれほどの混乱が生じるのか、見当がつかない。

 川床から立ち上がる冷気が、まだ春には遠いとばかりに彼らの頬を撫でた。


「もっと抜本的な解決策を考えるべきかと」

「そうかもな」


 受け合った言葉は軽く、夜陰に紛れて消えてしまう。

 いくら頭を捻ろうが、自分たちの手に負える案件でないことを、彼ら自身が最もよく承知している。


 薄皮で守られた街の平穏を、粛々と保つ。

 そんな任務が行き詰まったのはこの半月後、四月に入ってすぐのことだった。

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