31. 決着
黒シャツは発症後の最初のリープで四十二秒の記録を出しており、S級と認定された。
修練を積めば、もっと跳躍時間は伸びていくだろう。だが生死の際でリープを繰り返した潤には、未だ遠く及ばない能力者だ。
巻き起こったジョルトの圧力で、荻坂は運転席の壁へ叩きつけられて喘いだ。
瞬く蛍光灯が、二人の消えた床を照らす。
五秒、十秒と時間が経過し、何とか息を整えた彼は、喜色を浮かべて喝采を送った。
「素晴らしい! 完璧なリープじゃないか。車体への影響が少ないのは、完璧にコントロールしている証拠だ」
「そんな手品のために、何人殺した」
二両目の穴を越えた矢知が、先頭車両で独り喋る荻坂へ、冷ややかな眼を向ける。
彼の声もまた、騒音に負けていない。
「君には分からんだろうとも。適性も低ければ、思想も偏っとる」
「お前に言われたくねえ。リープが凄かろうが、研究者として優秀だろうが、貴様は大量殺人犯だよ。浦橋が暴走したのだって、お前が元凶だ」
「リーパーは単なる異能者じゃない、次なる人類だ。これを見ずして、今まで研究を続けてきた意味がなかろう」
「ふざけんな。そんな理由で、子供まで巻き込んだのか!」
「ああ、そう言えば――」
荻坂は今思い出したと言わんばかりに、矢知へ悲しそうな表情を作って見せた。
「――君の息子も、高次発症者だったね」
小さな手足を、あらぬところへ切り飛ばした小学生の息子。頭頂から真っ直ぐ垂直に半断された妻。
深夜帰宅した矢知は、血の海に沈む家族の残骸を前にして、刑事となって初めて嘔吐する。
ジョルターを生む奇病の説明を受け、悲劇をこれ以上増やさないようにとスカウトされたのは、その半年後だ。
思えば彼も、荻坂の手の内でおもちゃにされていた人間か。
矢知
拳銃を全ての元凶に向け、矢知は怒りを言葉に変えて絞り出す。
「死んで詫びてこい」
その瞬間、銃を握る手が背後から捻り上げられ、弾は天井に逸れた。
右手を掴まれたまま、両膝の裏をローキックで払われ、俯せになった後頭部を銃のグリップで殴られす。
今度は矢知が、首の後ろに銃を突き付けられる番だった。
「悪いけど、荻坂は殺させない」
「ふざけんなっ! こいつを生かしといたら、また何百人と死ぬぞ」
「銃を放しなさい」
「お前は自分が何をしてるのか――」
高木の銃弾が、矢知の右手の甲を撃ち抜く。
立ち上がった彼女は、彼の拳銃を開いたままの乗降口へと蹴り捨てた。
「研究所のデータは消去され、浦橋の遺体にもメモリらしきものは無かった。最悪の場合、所長がいないと研究再開もままならない」
「……お前も結局、研究が最優先のクソ野郎かっ」
「当たり前でしょ。リーパーを求める組織は、あなたが考えるよりずっと多い。個人的な復讐は諦めるのね」
彼らが格闘している時間が、荻坂に準備を済ませる余裕を与えた。
高木の手腕に賛辞を送りつつ、彼は球を一つ、二人へ投げて寄越す。
手錠をしてぎこちなく投げられた球だったが、見事に目標を捉えて破裂し、ジョルター対策用の粘着液が矢知の膝から下と、高木の靴底を床に接着した。
「何のつもり!」
「投降してもいいんだがね。せっかく護身用に残していってくたんだ、使わせてもらった」
「こんなの、ブーツさえ脱げば……」
「協力者はまだまだいるんだよ。今後を考えると、国を出て行く選択肢も悪くない」
小さな折り畳みナイフを取り出した彼女は、フロアに撒かれた粘着液に触れないようにして靴紐を切り始める。
一方、皮膚を破ってでも引き剥がそうと試みる矢知へ、荻坂が話し掛けた。
「一つだけ、教えてやろう。リーパーは時間をスキップする、これは正確ではない」
「何が言いたい……」
「能力には先があるはずなんだよ。撃たれて死ぬところを、リープで逃れる。おかしいと思わんかね?」
弾が衣服に触れた時点で、能力を発動させて被害を消す。それでは着弾を先見する予知能力に近い。
ジョルトの仕組みを長年に亙って研究した荻坂は、一つの結論を導いた。
リープは自分の過去を消す力。撃たれたという事実ごと、一定の時間を消去する能力ではないか。
もし自分の行動を消し飛ばせるなら、世界の理が変貌する。
誤った選択をやり直し、いくつもの選択肢を総当たりすることすら出来よう。
六次症例――仮定の理論ではあるが――それが発症すれば、真に新しい人間が生まれると、彼は考えた。
自分の眼で次代を見たいと、荻坂はまた繰り返す。
彼は自分が症例者になりたいのでも、人類の発展を望んでいるいるわけでもない。ただ研究が結実するのを見届けたいだけなのだと、矢知は察した。
「くだらねえ」
「まあ、学究は理解されづらいものだよ。皆、目先の利益に
「何を待って――」
自分の問いの答えに矢知も思い当たり、亀のように身を縮こませる。
ブーツから脱出した高木が、仕切直そうと顔を上げたが、残念ながらタイムアップだ。
彼女たちが立つ正にその場所に、長いリープから潤が還ってきた。
空間から弾き出す猛烈な衝撃が、矢知と高木を浮かび上がらせ、電車の窓枠へ叩き付ける。
備えの足りなかった高木の方が、より酷い怪我を負った。左肩は脱臼し、右の足も妙な角度に曲がっている。
背中をしこたまぶつけた矢知も、撃たれた右手を庇いながら、一早く床を這って進む。
潤と一緒に飛ばされた黒シャツは、前後不覚となって顔から突っ伏した。
リープ後の状況を把握しようと見回す潤も、機敏な動きが出来る状態ではない。
そこへ荻坂が、二個目の球を投げ付ける。
球は彼の頭上で破裂し、無効化剤が潤の髪の毛をぐっしょりと濡らした。
高木が落とした銃を、矢知が拾おうとしたものの、彼女が先に外へ投げ捨ててしまう。
胸に血も滲む激痛の中、武器を始末しただけでも大した精神力と言える。
しかし、それ以上何か行動するのは無理らしく、荒い息で矢知と、運転席へと入っていく荻坂にただ視線を送った。
「巻月! 岩見津のリュックを持ってこい」
言われるままに、潤は第二車両へとややふらつきながら取って返す。
岩見津も矢知たちに続いて大穴を乗り越えたものの、高木に麻痺薬を撃たれ、連結部の直前であうあうと唸っていた。
治療は後でと謝りつつ、潤はリュックを持って矢知の元に戻る。
「荻坂は運転席に立て篭もりやがった。開けられそうか?」
「やってみる」
無効化剤の破り方なら、彼も一度経験して会得した。意識をかき集めて、バックジョルトさえ発動すれば、薬を体外に切り捨てられる。
鈍った頭でも、今の潤ならそう難しい注文ではなかった。
威力は不必要、重要なのは自分自身を規定する範囲だ。
パンッと空気が弾け、薬剤が床に散った。
間髪入れずに運転席への扉に手を当てた潤は、ドアをジョルトで切り刻む。
崩れ落ちる扉の向こうに、戸惑う荻坂の顔が在った。
「なぜだ? 無効化剤は直撃したろうに」
「所詮、貴様は頭でっかちの研究者だ。リーパーの能力は、実戦で鍛えた巻月の方がよく理解してる」
揺れる車中、バランスを取りづらい矢知は、潤に助けを求めた。
「肩を貸してくれ」
「あいよ」
「お前は馬鹿じゃない。本物の馬鹿は、こいつだ」
復調した潤に掴まって近寄る彼へ、焦った荻坂が早口でまくし立てる。
「話を聞いていなかったのか? 私を殺せば、研究は泡と消える。どれだけの人と金と時間が、ここまで費やされてきたと思っとるんだ。君の一存で左右出来る領分は、もうとっくに超えとる」
「黙れ。殺しはしない」
「そうか! 私も日本で研究が続けられるのなら、それがベストなんだ。もう一度、政府と交渉するのも
「実験は、自分でやれ」
無事な左手で注射器を荻坂の胸に押し付けた矢知は、注入ボタンを握り締めた。
振り払おうとする老いた手は、潤が押さえて許さず、促進剤は全て荻坂の中に取り込まれる。
効果は
老化した細胞では新型促進剤が誘発する圧力に耐えられず、ジョルトを発現するより先に全身で内出血が進む。
獣の唸り声を上げて身をよじった荻坂は、助けを求めるかのように運転席の外ドアに
「出たいらしい。開けてやってくれ」
「オーケー」
内折れの小さなドアを潤が開くと、血に汚れた老人はトンネルの闇に落ちて消える。
不愉快な存在がいなくなり、矢知は深く腹の底から息を吐き出した。
手の力を抜き、その場にしゃがみ込む彼の横に潤も跪き、怪我の具合を調べようとする。
「やめろ、お前はやることがあるだろ」
「けど、放っておくわけには……」
「決めたんなら、最後までやってみせろ。そうだろ?」
一瞬の沈黙の後、潤は運転台に向き直った。
円いメーターが三つに、前後に動かすハンドルが三本。
荻坂が独りで運転するつもりだったことから考えても、そこまで複雑な機構ではないだろう。
親切にも、操作目的を記した金属札が各部の上に貼付けてある。
“加速”と表示された真ん中の大きなハンドルを、潤は思い切り下に引き倒した。
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