第6.7話 半死者ヘル、地下の通路を塞ぐ炎の巨人と対峙すること

 ところどころ備え付けられた燭台でのみ照らされているため、薄暗く、遠くは見通せない。ある程度まっすぐとした通路ではあるようだが、奥行きがわからないために本当に直線なのかどうかも確信が持てない。薄暗く、重苦しく、狭い、そんな場所だ。亡者として産まれたヘルには、いつでもそのようなものかもしれないが。


「どうにかならないのか」

第七世界ニダヴェーリル〉へ続く狭苦しい通路を足早に駆けながら、ヘルは己の左手の手甲を形作るものに話しかけた。

「いま、話しかけるな。聞こえるぞ」

 という返答があったが、ヘルは最後尾にいる。肩に乗っているヨルムンガンドは聞こえる距離だろうが、ヨルムンガンドには既にニドヘグの存在は話してあるので、いまさら秘密にする必要もない。

 前方に見える朧げな灯りを目指して進む隊列の先頭は《聖剣グラム》を持つシグルドで、何が来ても良いようにとさきがけを務めている。一方で後ろから脅威が迫った場合に備え、《戦槍グングニル》を持つヘルが殿しんがりを務めることになったというわけだ。戦闘ならアース神族軍に所属していたウルのほうが得手ではあろうが、〈神々の宝物〉を持たない彼ではあの炎の巨人たちには対処ができない。

(とはいえ、あの炎巨人たちが追ってくる様子はないが………)

 少なくとも背後を振り返って燃え盛る巨人の姿が見えるということはないのだから、追っ手は来ていないと考えるべきだろう。


「フェンリルのことを、どうにかできないの?」

 と再度ヘルは問いかけた。どうなんだ、と。前の者たちは前に集中している。だから他人に聞かれるおそれはない、と言ってやると、手甲――《殻鎧フヴェルゲルミル》を形作るものはようやく語り始めた。

「おまえのきょうだいを助けるということは、〈火の国の魔人スルト〉に抗うということだ。だがそれは我々災厄でも難しい。〈火竜ファヴニル〉あたりなら話は別だが、それ以外だと、対抗できるのはあの忌々しい〈呪われた三人〉くらいだ」

 手甲を形作る邪龍ニドヘグの言い方は確かに苦々しげで、彼女が〈火の国の魔人〉や〈呪われた三人〉といった存在を疎ましがっていることはよく理解ができた。 

「〈呪われた三人〉というのは、わたしたちのことではないのだよね?」

「笑わせてくれるな。おまえたちごときがあの化け物に抗えると思っているのか? おまえたちごときがこの九世界でそれほどの影響力を持っていると思っているのか――わたしが言っているのは、オーディン、ヴェー、ヴィリの九世界を作った3人のことだ」

 つまり、それほどの――おとぎ話に出てくるような伝説的な存在ではないと、〈火の国の魔人〉には勝てないということか。


「だいたい、あの男――シグルドとか言ったか、あれがスルトの作り出す炎の巨人を倒していることから既に信じられないほどのことなのだ。あの男、布でも裂くように簡単に炎巨人を切っているが、〈神々の宝物〉があるからといって撃退できるほど脆弱な存在ではないのだ。なんなのだ、あの男は」

 ヘルは最前列で走るシグルドの背中を一瞥した。一度フェンリルのところに戻り、そして戻ってきたときに大怪我をしたはずが、そんな素振りは一切ない。ニドヘグの疑問は、ヘルも同じだった。

 だがそれよりも今重要なのは、フェンリルのことだった。

「昔、あのような人間族がいたこともあった。おまえたちが生まれるよりもずっと昔だ。この九世界は我々〈災厄〉に侵されていた――特に〈火竜〉だ。あの化け物は、わたしと違って分別というものがない。九世界を生かすなどとは考えず、何もかも焼き尽くす。だがあの竜を退治したのも、最後は人間だったと聞いている――」

「ニドヘグ、昔話はいい」とヘルはニドヘグの話を遮った。「フェンリルのことだ。どうすれば助けられる?」

「助けられん。何度も言っただろう。あれはもう死ぬ」

「でも――」

「おまえとて、それは先のことではないのだぞ」


 ニドヘグがそう言うと同時に、前方から声が聞こえてきた。

「ヘル、下がれ――炎の巨人だ!」

 それは先頭から二番目のブリュンヒルドのものだった。

 声に促され、ヘルは後ろを振り返った。だが背後にあるのは空虚な闇ばかり。燃え盛る炎巨人の姿はない。ない。どこに炎の巨人が――下がれ、だと?

 前方へと視線を戻せば、通路の遥か遠くに見えていたはずの朧げな灯りは、今や狭い通路を塞ぐ火柱と成り果てていた。後ろではない。前方にいたのだ。ヘルたちよりも早く、この通路に入り込んだものらしい。否、ここの通路の入り口は岩で塞がれていたので、外から塞いだのでなければ、何らかの仕掛けを作動させたということなのだから、炎巨人が最後に入ったということはないだろう。では、どこから? 思いつくのは、あの炎の巨人はヘルたちと同じ道を通って来たのではなく、別の地下通路を通って、どこかの合流地点まで到達し、そこから逆走してきたという可能性だ。


 とはいえ相手は〈火の国の魔人〉ではなく、その眷属でしかない炎巨人だ。しかもそれに最も近いのはシグルドで、何度も炎巨人を対処している彼であれば、この狭い通路でも苦戦はすまいと、ヘルはそう思っていた――炎巨人の身体が頭頂から裂けるようにふたつに分かれ、そのうちのひとつが足元を滑り抜けてヘルの背後に回り込むまでは。

 前後から挟み撃ちにするようにふたつに分裂した炎巨人に《戦槍グングニル》の矛先を向けながら、この炎巨人を倒すのは見た目ほど容易ではないというニドヘグの言葉を思い出していた。

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