いろんな自分があってもいい

実はボク、歌うのが大好きなんだ。




 特に歌が上手いわけではないが、家では爆音で曲を流しながら歌って暴れまくることもある。解放感があって、すごくそれが気持ち良かったりする。




 でも、家の外ではとてもそんなことはできない。友達とカラオケに行くこともあるが歌うのはいつもバラードみたいなしっとりとした大人しい曲だ。本当はロックみたいな激しい曲も歌いたいんだけど、そこは我慢している。友達の中にはそういう曲を好んで歌う人もいて、すごくうらやましいと感じることもある。ときには一緒に叫びだしたくなる瞬間もあるんだけど、そこはぐっとこらえている。自分でもおかしいと思うくらいに。




 ロックは大好きだ。だけど、ロックを歌うときのボクは普段のボクとはあまりにもかけ離れているのだ。それこそ、まわりの友達も引いてしまうくらいに。普段のボクはすごく静かで、ゆっくりとした口調で話すし、どちらかというと無口な方だ。基本的に自分が思っていることはすぐに言葉にしない。慎重に、相手を配慮して発言することが多い。




 でも、自分が大好きな歌を歌うときはまるで人が変わったみたいに、声を荒げ、唾を飛ばし、頭を乱暴に上下させる。まっすぐに自分の共感した歌詞を吐くし、おかしいと思ったことはおかしいと言う。相手のことは正直あまり見えていない。自分が気持ちいいことを優先にしてしまう。




 一人の世界にいるときは別にどんなことをしてもいいと思うが、他人を前にするとどうしても気にしてしまうし、自分もなんだか恥ずかしいのだ。でも本当は。みんなで暴れまわったりするようなカラオケをしてみたい。




 友達はボクのことを「やっぱり、静かな人だから静かな曲を好むのだろう」と思っているだろう。それはそれでいいような気もするし、そう思われた方が楽だ。だけど、ときどき思うのだ。ボクって、ほんとに静かで大人しい人間なのだろうか…。もしかしたら、心の中ではこんなふうにふるまうことしかできないボクをはがゆく思っているんじゃないだろうか…。本当の自分はロックをしているときにいるんじゃないか…。




 今日もボクは友達とカラオケに行って、バラードを歌う。友達はボクの歌声に合わせて身体を揺らしてくれる。それはそれで、満足だ。だけど、どこか物足りない思いがある。ボクはこれだけがやりたいんじゃない。もっとちがうこともしてみたい。そんな欲求に突き動かされそうになる。




 口実をつくって、ボクはカラオケボックスを出てトイレに行った。鏡の前の自分を見つめながら、これでいいのかと考えこんでしまう。他人の目から見たら些細な問題なのかもしれないが、ボクにとっては重要なことなのだ。




 本当の自分は、どこか別にいるんじゃないか…。これは、ニセモノのボクなのではないか…。




「ニセモノなんかじゃないよ!全部ホンモノのあなただ。」




高く澄んだ声がトイレ中に響き渡った。反射的に音が出た方に振り向くと、ドアのそばに小学生くらいの年の小さな女の子が立っていた。腕組みをして、じっとこちらを見つめている。




 え…?ここ、男子トイレなんですけど…?




 ボクは怖がらせないように腰をかがめたまま歩み寄って、できるだけやさしく話しかけた。




「キミ、場所間違えてるよ。女子トイレは隣だからね。」




「そんなこといまは関係ない。あなたの問題のほうが大切だ。」




なに?この変な女の子?大人だったら無視して立ち去ることもできるのだが、相手がなにぶん子供なのでぞんざいに扱うこともできない。うわ、くそめんどくせえ。




「一体、なんの話をしているのかな…?ボクには問題なんてなにもないよ。さ、女子トイレはあっちなんだから一回出なさい。」




「そうやって、ウソをつき続けるのはよくないよ。あなたの声は、しっかりわたしの心にまで届いていた。ホンモノの自分はどこかにいる。友達といるときは、偽りの自分を演じているのだ。そんな悩みを抱えているんだよね。」




ボクは開いた口がふさがらなかった。突然現れて何を言い出すかと思えば、ボクが悩んでいる内容までずばり当ててきた。まるで自分の気持ちをすみずみまでわかりきっているかのようだ。気味が悪い。




「何を言っているかまったくわからないよ。ボクはこれで失礼させてもらうね…」




テキトーなことを言ってその場をあとにしようと思ったが、彼女はボクのシャツを手で引っ張って、なかなか離れてくれない。




「待って。わたしのことを気持ち悪いと思ってくれてもかまわない。だけど、わたしの言葉には耳を貸してほしい。あなたは思い違いをしている。本当は、悩む必要のないことまで悩んでしまっているんだ。」




しかたない。ここまで言われてしまっては、彼女が満足するまでおしゃべりを聞いてあげるか。それが大人というものだ。ボクはあきらめて真剣な表情で訴えかけてくる彼女の方に顔を向けた。




「わたしの話を聞いてくれてありがとう。ひとつだけ、質問をさせてほしい。バラードを歌っているときのあなたと、ロックを歌っているときのあなた、どちらが好き?」




ボクは宙を見上げて少しばかりの時間考えていた。いったいどちらの自分が好きなんだろう…?とても決められなかった。




「どちらのボクも、好きです…」




「そう、そうなんだよ。どっちもかけがえないあなた。選べるわけがない。だって、あなたは一人しかいないけど、一種類の人間ではないんだから。たくさんのあなたがいる。その中のだれがホンモノでもないし、正解でもない。いろんな自分がいてもかまわない。そうじゃない?」




「確かに…。」




「もちろん、なんでもかんでもやっていいわけじゃない。だけど、だれにも迷惑がかからない範囲であれば、もっといろいろな自分を表現した方が人生楽しいんじゃない?まわりの友達に引かれるとか、そんな心配はいらない。すべてを受け入れてこそ、真の友情だよ。もしあなたを否定するような人がいたら、わたしがぶっ飛ばしてあげる。」




ニヤリと笑って、彼女はボクの目の前で拳を振り上げてみせた。ボクはその言葉になんだかどうしようもないほど惹かれた。心の中がじわじわと温かくなって、安らかな気持ちになれた。




「わたし、けっこうロックも好きなのよ。」




そう言って彼女はかわいらしい二本の腕でギターを抱えているような手ぶりをして、ボクが大好きな曲のメロディーを口ずさみ始めた。




「バラードを歌うあなたがいるなら、ロックを歌うあなたがいてもいい。ここで一発、みんなに披露する曲の練習でもしちゃいなよ♪」




ボクは彼女のメロディーに合わせて、歌いはじめた。トイレの中に彼女の高い声とボクの野太い声が響きはじめた。








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