鎮魂 ーrepose of soulsー
天城ゆうな
第1章
2045年、少子高齢化による空洞化を防ぐため、国は、47都道府県を7つのブロックに分けて、合併した。この1道6県の県庁所在地には、法医学センターがある。法医学センターとは、監察医務院、AIセンター、法医学教室を一つにしたもので、死因究明を主とした施設である。センター内には、新東京大学と横浜大学の法医学教室がある。
僕は、日野彰。新東京法医学センターに勤める解剖医だ。僕たちが行う解剖は、行政解剖がほとんどだ。行政解剖とは、主に死因の判明しない異常なご遺体に対して行われる解剖で、死因の究明のために行われる。一方、司法解剖は、犯罪性があるまたは、犯罪性が疑われる場合に行われる解剖である。
「よお、日野」
「お疲れ、乃木」
「ご遺体のMRI画像とCT画像。見るの疲れるわ」
「この間の、孤独死した老人のご遺体か?」
「ああ、死因は、慢性閉塞性肺疾患による呼吸器不全だ。たった今死体検案書に報告書を添付して、警察に送ったところだよ」
読影室から乃木京介が出て来た。乃木は、僕の同期で、放射線医だ。放射線医としてのキャリアを積み、AIセンターに引き抜かれた、創設時からのメンバーである。ここは、休憩室。僕は、解剖を一体終えて、死体検案書を書き終え、休憩していた。乃木は、コーヒーに砂糖を入れると、僕の隣に座った。
「二時間前に、日野が解剖したご遺体。遺族が引き取りを拒否してるんだってな」
「ああ、ご遺族の話によると、生前、コンビニで嫌がらせに近いクレームを何十件と入れたり、調剤薬局で横柄な振る舞いをしたりとかしてたとのことだし、家族にもモラハラ的な言動も多かったって話だ。火葬場でゼロ葬になるかもしれんな」
「そうか、火葬場でゼロ葬か。死んだ後は、人の生き様を現すとはよく言ったもんだが、悲しいな」
「ああ。特に今は、墓を造る概念がなくなってきているのもあるし、墓じまいなんて言葉も死語になってるしな」
「そのせいか、火葬場で遺骨を完全に燃やしてしまうことが多くなったからな。むしろ、そうしてくれって要望が増えているって、ニュースサイトで読んだよ」
僕は、紅茶を飲むと、ため息をついた。実際、遺族がセンターに来て、遺体の引き取りはしない。無縁仏にでも何にもでもしてくれとのことだった。センター長が説得を試みたが、遺族の意思は変わらず、結局、火葬場で遺骨を完全に燃やされることとなった。
「お疲れ様です」
「あ、森崎教授、お疲れ様です」
休憩室に新東京大学の法医学教室教授の森崎智文が入って来た。解剖が終わったのか、疲れた顔をしている。
「日野先生、孤独死のご遺体、解剖依頼があったそうですね」
「ええ、死因は、慢性閉塞性肺疾患による呼吸器不全です」
「慢性閉塞性肺疾患、いわゆるタバコ病か」
「ええ、喫煙率も加熱式タバコも利用者が減ってきて、減少したかと思ったのですが、時折あるみたいですね。VAPEのようなタールもニコチンも含まない電子タバコが主流になってきている今でも、あるのかと思うと、驚きですね」
森崎教授は、紅茶を入れると、スライスしたレモンとブドウ糖を大量に入れた。乃木が、驚いた顔で森崎教授を見ていた。森崎教授は、それを美味しそうに飲み干した。森崎教授は、僕たちより三歳年上だ。
「甘くないですか?」
「甘いよ、でも、脳の疲れを取るには、ブドウ糖がベストだからね」
「たしか、脳はブドウ糖を栄養にすることしかできないんでしたよね」
「そう、レモンは僕の好みで入れてるんだけど」
「コーヒーでも効きますかね」
「試してみるといいですよ」
「そういえば、売店で、ブドウ糖、売ってましたよね。一度、試してみます」
乃木と森崎教授が話していると、電話が鳴った。僕は、電話を取った。電話は、事務からで、役所から、解剖したご遺体の火葬許可書が出て、僕のメールに添付ファイルを送ったとのことだった。
「さてと、火葬許可書を印刷して、葬儀社の人に渡してきますか」
僕は、紅茶を飲み干すと、休憩室を出て、事務課へと向かった。僕は、火葬許可書を葬儀社の人に渡すと、ご遺体を載せた霊柩車を見送った。
「先生、ご遺体が運ばれてきます」
「検死だけではわかんなかったの?」
「死因不明のご遺体です」
「順番としては、AIセンターで検死して、それで不明なら、解剖じゃないのか?」
「そうだよな」
「まずは、AIセンターに運んでくれ、解剖の有無を判断するのはそれからだ」
「すいません。わかりました。ご遺体をAIセンターにお願いします」
後輩が、霊柩車を見送っている僕に、声を掛けた。僕は、更衣室へと向かった。乃木は、読影室に向かった。ご遺体が警察の車両で搬送されてきた。そのままAIセンターの搬入口に停まった。搬入口から、ストレッチャーに載せられ、CT・MRI室に向かう。まずはCTだ。乃木は、CTスキャンされたご遺体をくまなくチェックする、技師に細かく指示をしながら、撮影をする。脳のあたりでぼんやりとした出血の痕跡が見えた。出血がどのあたりかまではっきりと見当がつかない。見当を付けるために、MRIを撮ることにした。脳のあたりを重点的に撮影する。出血部位は脳幹のあたりのようだ。乃木は、データを解剖室の端末に転送し、大型液晶画面にCTとMRI画像を表示する。僕は、更衣室に入ると、着替えた。手を洗い、手袋とゴーグルを付けると、解剖室に入った。
「お願いします」
僕は、助手たちに挨拶をすると、「合掌」の言葉と共に、ご遺体に手を合わせた。ゆっくりと目を開けると、僕はメスを手に取り、ご遺体を開いた。
「うーん、心臓、肝臓は思ったより綺麗だな。CTの画像を見ても、肺は綺麗か」
僕は、ご遺体から摘出した臓器を助手に渡す。重さを量り、もう一人の助手が記録していく。臓器を元に戻し、丁寧に縫合していく。僕は、できる限り、綺麗な形でご遺体を遺族に返したい。その思いがある。
「画像から行くと、頭のあたりでもやっとした影があるんだよな」
僕は、頭にメスを入れ、頭蓋骨をドリルで穴を開けた。メスで切り進めていく。血が溢れてくる、計量カップで血を計量した。300 ccはある。
「脳の壊死が激しいな。やっぱり脳幹部の動脈からの出血か」
僕は、頭を閉じると、ご遺体を冷凍保存のための寝台に移した。扉を引き出すと、中にご遺体を寝かせた。冷気が白く煙のように立ち昇る。扉を閉めると、再び、合掌した。遺族に死因を伝えられますようの思いを込めた。
「報告書をまとめるか」
手を洗うと僕は、庶務室に戻り、自分の席に着くと、端末のスイッチを入れた。ワープロを立ち上げると、死体検案書のフォーマットを呼び出し、ご遺体のデータを入力し、名前を付けて保存した。死体検案書を警察に送信した。少し後、電話が入った。
「はい、新東京都法医学センター、日野です」
電話は警察からだった。ご遺族が、死因を知りたいと言うことだったので、センターへの地図を渡したとのことだった。昔は、警察から簡単に告げられるだけだったが、今は、法律が変わり、遺族からの要望があれば、法医学センターへ来ていただいて、僕たちが死因を説明することもある。報告書の原本や写し、撮影したCTやMRIの画像をDVDにして渡すこともある。
「あの、こちらに運ばれた新田徹の家族ですが」
「新東京都法医学センターの解剖医の日野と申します」
「同じく、放射線科の乃木です。失礼ですがお名前は?」
「新田加奈子と申します。徹はわたしの父です」
数時間後、ご遺体の遺族だという女性が現れた。年代は、50代前半と言ったところか。氏名が分かったのは、歯科に治療記録があったため、歯の治療跡からだ。
「少し寒いですが、ご遺体のご確認をお願いできますか?」
僕は、遺族に防寒服を渡すと、着てもらうように促した。解剖室に入ると、僕たちは冷凍保存庫の鍵を開け、503番と書かれた扉を開いた。
「間違いありません、父です」
ご親族は、顔を見て、父親であると言った。ご親族の顔から涙が溢れてくる。僕たちは、彼女の姿を見ていた。泣くだけ泣いて落ち着いたのか、ご親族は、僕たちに向き直った。
「死因を説明していただけますでしょうか」
「分かりました。こちらへ」
僕と乃木は、面談室に遺族を通すと、コーヒーを入れ、彼女の前に置いた。向かい合って座る。沈黙を開いたのは彼女だった。
「あの、父はなぜ死んだんですか?」
「お父さんの死因は、脳内出血です。タブレットの画像を見ていただけますか?」
僕は、ご親族の前に置かれたタブレット端末に脳内のMRIとCTの画像を見せた。
「こちらの、脳幹という、脳の中心の部分から大量に出血していまして。それが死因となってますね」
僕は、ご親族にお父さんの死因を説明した。彼女にも解剖所見を見せた。死因が分かり、彼女は安堵したような顔を見せた。
「時々、きちんと薬を飲んでいるのかもメッセージアプリで確認してはいたのですが、それでもこういうことは起きるんですね」
「まれに起きることはありますよ」
「あの、先生」
「どうしました?」
「父の遺体は引き取らせていただけますか。私と父だけなので、葬儀は行わず、火葬だけにしようかと。つきましては、死亡診断書と死亡届と画像をいただけますでしょうか」
「いいですよ、少々お時間をいただけますか?」
「分かりました。役所に出す書類として、死亡届、死亡診断書が必要なんですね」
「はい。あとは、火葬許可書、埋葬許可書が必要になります。こちらで用意できるのは、死亡診断書と死亡届ですね。こちらを役所に提出していただければ大丈夫かと」
「書類が出来上がるまでにどのぐらい時間がかかりますか?」
「1~2時間ほどですね」
僕が、事務室に書類作成のために向かうと、ご親族は端末に映し出された、ご遺体のMRI画像やCT画像を見ていた。僕は、なるべく早く書類を作成した。そして、ご親族に死亡届と、死亡診断書の入った封筒を渡した。
「葬儀社はこちらでご紹介できますが。後の手続きを代行していただくことも可能ですよ」
僕は、ご遺族に紹介できる葬儀社のリストを手渡した。ご遺族は携帯端末を取り出すと。いちばん上の葬儀社の電話番号をタップし、電話を掛けた。しばらく経ってから、葬儀社からの寝台車が着て、ご遺体と遺族を運んでいった。僕と後輩は、寝台車を見送った。
「人生の縮図だな。片方は、引き取られることなく骨さえ残ることなく焼かれて、片方は遺体を引き取られ、たった一人でも遺族に見送られる」
「なんだか悲しいですよね」
僕と後輩は、ため息をつくと、センターに戻った。その後、ご遺体の解剖などもなく、帰宅した。帰り際、マスターの店に寄った。
「マスター」
「よお、日野ちゃん」
マスターは、法医学センターの元センター長だ。早期に退官し、ジャズバー「レクイエム」を経営している。
「いつものでいいかい?」
「はい」
マスターはお酒が飲めない僕のために、ロックグラスに氷を入れ、ウーロン茶をグラスに注ぐ。僕はそれを一気に飲み干した。その後、ノンアルコールのカクテルを二杯ほど、飲み、店を後にした。
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