とある夫婦のコーヒータイム  KAC8

ゆうすけ

記念日に夫婦が語り合う休日の夜


 土曜日の午後7時45分。


 ある夫婦のマンションのダイニングには、二人が向かい合って座っていた。


 その夫婦が毎週末行っている真剣勝負。


 その日の勝負は、夫の繰り出した 「どう見ても無理なのに見栄をはってちょっと小さ目の服を買ってすぐ着れなくなった件」 の攻撃に対して、妻が 「昔片想いしていた女の子にあてて書いたけど渡せなかったラブレターを、いつまでもこっそり隠し持っている件、しかもその文面が超絶恥ずかしい件」 で反撃して秒殺に成功。めでたく妻の圧勝に終わっていた。


 夫婦は、夫が作った煮込みハンバーグとおろし玉ねぎソースのマカロニサラダを食べた後、二人でコーヒーを飲んでいた。


 妻はミルクと砂糖を入れたコーヒーに息を吹きかけて一口すする。


「ところであなた、今日は何の日か知ってる?」

「ん?今日は……、なんだっけ。結婚記念日でもないし、誕生日でもないし……」


 こういう妻の問いかけはだいたい地雷である。夫は必死にそれっぽいものを探したが思い当たらない。美容院行って髪の毛切ったとか、新しい服を来ているとかではなさそうである。


「あー、まったくダメね。相変わらず」


 結局夫は妻からダメ出しを食らった。それでも「そんなことも気が付かないの!」といきなりキレモードに入るよりは幾分ましだった。


「おまえのそういう言い方、少し腹立つ。なんだか教えてよ」

「今日はね、昔、私とあなたが始めて話した日」

「えー、そうだっけー。あ、あのゼミの打ち上げか。よく覚えてるなあ、そんなの」


 妻は意外なことを少し得意気に言い始めた。元から夫が覚えているとは思っていなかったような素振りだった。


「あなた、私に向かって熱弁をふるったのよ?日本の工業製品が世界市場で戦っていくにはどうすればいいかって」

「……まじ?」

「うん。私とカオリちゃんに向かって」

「……カオリに絡んでたのは覚えてる。けど、そこにお前がいたのは……覚えてないや」

「まー、私あなたの話なんかロクに聞いてなかったけどね。何この人アツく語ってんの?とか思っちゃった。それで印象に残ったかな。あの時が、私たちが最初に話した日だった」


「ということは、それから一周年の時はあれか」

「そう。カオリちゃんの結婚式の日」

「……嫌な思い出だ」

「ふふふ、あなたがバカなんじゃない」

「言うな!言うなよ!俺は何も知らんからな!もうカオリの話はさっきので終わり!」


 夫はさっきカオリ宛に書いて出せなかったラブレターの件で、さんざん妻にいたぶられたことを思い出して身震いする。


「なーんかね、カオリちゃんどう見ても脈なしだったのに。まったく、片想いの相手の結婚式に友人として出るのだけでもアレなのにねー。あなた披露宴の間中、すごい暗い顔してたわよ?」

「があああ!言うな!忘れた。もうその辺のことは全部忘れた」


 ふふふ、と妻はいたずらっぽく笑う。


「二周年の時はちょうど私が忙しくしてたころだよね」

「……確かにお前とエキナカで飲んだのは、二周年の日のすこし後だったな」

「びっくりしたわよ。いきなり 『結婚しろよ』 だもん。あなた、あんなこと色んな女の子に言ってたわけ?」

「いや、あれはあの時お前があんまりぐちぐち愚痴るから、思わず……」

「確かにあの時めちゃくちゃ愚痴ったのは悪かったわよ。でもいきなり 『結婚しろよ』 はないわよねー、普通」

「その時は必死で、あんまり細かいこと考えてなかったんだよ」

「でも、それで舞い上がっちゃった私も私よね。次の日会社で 『私、結婚することになりました!』 とか言っちゃって大騒ぎになったんだから。いろいろ質問攻めに遭ったわ。式はいつかとか、おめでたなのかとか。そりゃそうよね。それまで男っ気なんてまるでなかったのに、いきなり結婚します、だもん」


 妻はそのころのことを思い出して柔らかく笑った。妻は今でも夫の常識外れのプロポーズはたまに夢に見る。


「俺たち、なんにも決めてなかったよな。ただ、お互いにこいつと結婚するっていう確信だけだった」

「若かったのかもねー。私、式はいつなんだ、って聞かれて我に返ったのよ。あ、そういえばその辺のこと何も考えてないやって」

「毎晩、長電話で相談したよな。俺の地方勤務が終わってからかなと漠然と思ってたのに、お前がゴリ押しして3ヶ月で別居婚したもんな。行きあたりばったりにもほどがあるよ」

「何言ってんのよ。それを言ったら、そもそもあたしに結婚しろって言ったの自体が行き当たりばったりだったじゃない」

「いや、まあ、そうなんだけどさ。俺たち結婚する、って言ったら友達みんな唖然としてたよなあ。お前たちいつから付き合ってたの?って聞かれて困ったな」

「そうね。その質問、めちゃくちゃ困ったよね。だって私たちそもそも友達ですらなかった感じだったし」

「すげー適当なこと言ってごまかしたよな」

「うん。ホントのことなんて恥ずかしくて言えない」


 夫はマグカップのコーヒーを一口飲んだ。


「そう言えば、すぐにお互いの両親に挨拶に行ったよなあ。うちの両親も驚いてたけど、お義父さん、お義母さん青ざめてかわいそうなぐらい狼狽してたよな」

「うん。私男っ気ぜーんぜんなかったところに突然連れてったからね。それよりもあなたのこと紹介する時にどういう人なのか説明するの、困ったのよ。だって細かいこと全然知らなかったんだもん」

「それでお義父さんたちに挨拶行く前の日に、それまでの人生をプレゼンして丸暗記して行ったんだよな。お前があのお嬢様女子校出身ってその時まで知らなかった」

「あら、私、あなたの出身校知ってたわよ?でもあなたがこんなにずぼらで適当な人だと思ってなかったから結構どんビキしたわ」

「俺もドン引きしたよ。お前が意外に巨にゅ、ぐほっ、いてー、蹴るなよ!今すねにヒットしたぞ!」


「でもねー、不思議なのよねー。どんなに意外な面があっても、結婚やめとこうかな、とは一切思わなかったのよねー。あれも運命だったのかもね」

「まあな。結婚してもしばらく別居してたけど、こっちに転勤で戻って来て、一緒に暮らすようになってもう3年かあ。早いもんだなあ」


 夫は感慨深げにそういうと手元のマグカップに視線を落とした。妻の顔は気恥ずかしくて見れない気がしている。


「ねえ、あなた。あの時、結婚しろよって言って良かったと思ってる?」

「そりゃ思ってる。もしあの日にお前に電話していなかったら、と思うと身震いするよ。怖くて」


 妻はストレートな夫の物言いに少し赤くなる。まったく、たまにこういうことを真顔で言うからタチが悪いのよね、この人は、と口に出さずに毒づいた。


「今日はね、あなたと始めて話してから3周年の日。私たちの記念日よ……」


「そうだったのか。明日から3月だもんな。お前、また忙しくなるんじゃない?」

「そうね。また愚痴だらけになっちゃうかも」

「大丈夫だ。いつだって俺がお前の愚痴を聞いてやるから。そのために夫婦になったんだろ?」

「うふふふ」


 妻はにこやかに笑って席を立った。

 夫はその後姿を愛おしそうに見つめている。



おわり

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とある夫婦のコーヒータイム  KAC8 ゆうすけ @Hasahina214

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