雪の山荘

4-1.

 窓の外に見える街路樹が葉を落とし、外出時には厚手の上着が必要な季節になった。

 防寒を期待するには少々心許ない壁の向こうに人の気配がして、いつも通り素通りすると思いきや、玄関のチャイムが鳴った。

 春日原ではない。なぜなら、

「何か注文してました?」

春日原は既に室内にいるからだ。

 今は午後一時過ぎ。いつも通り予告なく押しかけてきた春日原が作ったパンケーキを、二人で食べているところだった。

「……いや……」

この部屋を訪れる人間は自分と宅配業者くらいしかいないと自負している春日原は、

「……宅配じゃありませんね。女性がお二人です。片方は飯島刑事じゃないでしょうか」

二度目のチャイムと共に座卓から立ち上がり、玄関へ向かった。なぜ扉を開く前にそこまでわかるのかは聞かない。

「わ、春日原くん」

予言通り、鉄製扉の開く音の後に、聞き覚えのある驚いた声。

「こんにちは、飯島刑事。どうされました?」

「あ、はい、こんにちは。歌ヶ江さんは、いらっしゃいますか?」

「いますよ。外は寒かったでしょう。とりあえず中にどうぞ」

「お邪魔します……」

二人の和やかなやりとりの後、

「……とうとう同居しはじめたんですか?」

当然のように出迎え客人を招き入れる春日原の自然さに、飯島刑事は困惑した様子で室内に入ってきた。

「違いますよ、偶然遊びに来てただけです」

俺の世話を焼きにくるのは春日原的に遊びの範疇らしい。確かにいつも楽しそうではある。

「お久しぶりです、歌ヶ江さん」

「……どうも……」

「連絡もなしに急に来てしまってすみません」

「どうぞ、座ってください。お茶を淹れますね」

前回はなかった座布団を勧められ、おずおずと座る飯島刑事。もちろん春日原が調達してきたものだ。

「そちらのお姉さんもどうぞ」

「あっ、はい。ありがとうございます」

飯島刑事の後ろでぽかんと立ち尽くしていたもう一人の女性が、春日原に促されて我に返り、四角形の座卓の空いている辺に座った。こちらはスーツ姿だ。俺の正面に来る形になってしまい、そわそわと落ち着かなさそうに視線を彷徨わせる。春日原がキッチンに行ったせいで、室内を深刻な静寂が満たした。

「……また何か、聞かれるんですか」

耐えかねて、俺は渋々口を開く。

「いえいえそんな、今回は署にお呼びするような案件ではありません!」

今度は何の容疑者にされたのかと訝しんだら、飯島刑事はぶんぶんと手を振って否定した。

「今日は非番ですか?」

いつものスーツ姿ではなく、シンプルなセーターとスキニージーンズに上着という出で立ちの飯島刑事を見て、お茶を運んできた春日原が訊ねた。

「ええ、そうです。飽くまでも私的な行動です」

何やら含みを持たせた言い方をする飯島刑事。

「ということは、一応警察のお仕事に関わることなんですね」

「まあ、その、こちらの峰月ほうづきが、少し相談事と言いますか、ご意見をお聞きしたいことがあると言っておりまして……。たまたま近くを通ったものですから、歌ヶ江さんならこの時間も在宅していらっしゃるかなと……」

歯切れ悪く引き籠もりと言われているが、否定もできない。

「峰月さん、ですか」

「はい、伊積警察署刑事課の、峰月都巡査であります」

峰月と名乗った黒いショートボブの女性は、反射で姿勢を正して敬礼をし、一拍置いて恥ずかしそうに手を下げた。

「私の同期なんです」

飯島刑事が付け加えた。

「都、こちらが話してた歌ヶ江さんと、ええっと……歌ヶ江さんのお友達? の、春日原くん」

疑問符付きで紹介するのはどうかと思う。確かによくわからないけれども。

「よ、よろしくお願いします」

「伊積市って言ったら、山の手のスキー場と別荘地が有名なところですよね」

深々と頭を下げる峰月刑事の前にカップを置きながら、春日原が訊ねた。このティーセットも、春日原の私物である。もはやキッチンは、俺よりも春日原が置いたもののほうが多い。

「よくご存知ですね」

「小さい頃、両親と一緒にスキーをしに行ったことがあります」

そう言われて、俺は春日原にも両親がいるという当たり前のことに、今更気付いた。春日原の家庭の事情は全く知らない。俺も話したことはないが、こちらのことは大体知られていそうな気がするのは何故だろうか。口の軽い悪友のせいだろうか。

「それに、峰月巡査とお会いするのは二度目ですよ」

「え?」

「一昨年の夏です。あの頃は交番にお勤めでしたが、刑事さんになられたんですね」

カップに紅茶を注ぐ春日原の横顔をまじまじと見つめ、

「え……。あ、ああー! もしかして、引ったくりを捕まえてくれた子!?」

峰月刑事の目が見る見るうちに大きく開き、叫んだ。

「引ったくり?」

「そう、バイト中だからって言って、連絡先だけ置いてすぐいなくなっちゃったの」

「あの時はすみません。今の便利屋に夏休みのバイトで入っていて、伊積市内で引っ越しのお手伝いをしてる時だったんです」

どうやらこの春日原、あちらこちらで地味に活躍しているらしい。

「神出鬼没にも程がありますよ、春日原くん」

顔の広さに飯島刑事が呆れていた。

「こちらこそ、気付かなくてすみません」

「学校の規則で、髪が短かったですからね。峰月巡査はお変わりなかったので、すぐに分かりました」

「春日原くん、人の顔覚えるの得意ですもんねえ」

髪が短い春日原。俺の貧相な想像力では、ちょっと思い描くことができなかった。

「まあ、二年も前のことは置いておいて。伊積市の刑事さんがご相談と言うと、もしかして、先日ニュースになっていた別荘地の殺人事件のことですか?」

「う」

「勘も鋭いんですよねえ」

お茶に口を付けた峰月刑事がお茶を吹き出しかけ、取り分けられるパンケーキを見ながら、飯島刑事が苦笑した。

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