1-4.

 今の俺の状況は、とても旗色が悪い。

 何しろ、被害者が試着室に入った直後に、まるで後を追うように向かっているのだ。俺が刑事の立場でも、まず一番に疑う。

「もちろん僕じゃないですよ。って言っても、今のところ、身の潔白を証明できる証拠はないんですけど……」

春日原も首を振って否定した。

「あ、でも、歌ヶ江さんの無実は、多分証明できます」

「本当ですか!」

飯島刑事がぱっと明るい顔になり、権藤刑事は無言で眉間の皺を深めた。春日原は、話を続ける。

「僕が入った後に被害者、その後に歌ヶ江さんが入ったんですよね。歌ヶ江さん、どの試着室を使いました?」

訊ねられて、よく思い出す。

「……一番手前。……他の二つは、埋まってたから……」

確か、どちらのカーテンも閉まっていて、靴があった。言われてみれば、その片方は真っ赤なスニーカーだったような気もする。

 すると、春日原は笑って頷いた。

「僕が使ったのは、真ん中です。使ってる間、両側から一度ずつカーテンの音がしました。一度目は奥、二度目は手前です。被害者の女性が亡くなっていたのは、一番奥の試着室で間違いないですか?」

「はい」

視線を向けられた飯島刑事が、慌てて頷いた。

 春日原の記憶力は、先ほど店員の名前を覚えていたところから見ても、信用できる。権藤刑事もそれはわかっているようで、眉間に皺を寄せたまま、黙って聞いていた。

「でも、その後に気になる音は聞いていないんですよ。二度目のカーテンの音も。あの狭くて壁の薄い個室で人殺しなんかしたら、どう頑張っても物音はすると思うんですが」

犯人が強盗目的で侵入したなら、被害者だって悲鳴を上げるなり抵抗するなりするはずだ。もしも悲鳴を上げられる前に上手く口を塞げたとしても、何の物音もしないわけがない。

「それに歌ヶ江さん、背が高いですからね。試着室を出る時、カーテンの上からちょっとだけ頭が見えました。随分背が高い人だなあと思ったので、よく覚えてます」

あちこちに頭をぶつける邪魔な身長が、初めて俺の身を守った瞬間だった。

「そういうわけで、もし歌ヶ江さんが犯人なら、僕が出てから犯行に移ったことになります。……たったの二分で、人を絞め殺して財布からお金を抜いて試着室を出るのは、無理があると思いません?」

部屋の中は、しん、と静まりかえった。春日原の言葉におかしな点は見られない。ある程度の信憑性はあるように思えた。

「……じゃあ、誰がやったって言うんだ」

もはや権藤刑事は、このかしましい少年――年齢が本当なら青年だが、どうしても少年と呼んでしまう――に、事務的な敬語を使うことをやめてしまっていた。

「さあ? さすがに、そこまでは」

にへ、と気の抜けた顔で笑った春日原に、権藤刑事はますます眉間の皺を深め、鼻でため息をついた。どうにもこの春日原、重い空気を霧散させるのが得意らしい。

 しかし、

「春日原くん、随分とその歌ヶ江さんって人の肩を持つんすね。実は共犯なんじゃないですか?」

元村が口を挟んだ。一向に進展しないどころか、話の流れ次第では自分に疑いがかかりそうな状況を見て、痺れを切らしたようだ。

「まさか。さっき話した通り、一方的に見かけてはいましたけれど、お目にかかったのは今日が初めてですよ」

大げさに首と手を振り、春日原は否定した。

「そうだ。被害者の、松田さんでしたっけ。松田さんは、発見された時どんな格好だったんですか?」

「着替え中に襲われたようで、商品タグが付いたままのワンピースを着ていました」

「着替え中に……。じゃあ、元々松田さんが着ていた服は?」

「上着は壁のハンガーに、それ以外は備え付けのカゴの中に入っていましたよ」

「どんな服ですか?」

「ええっと……。ロングカーディガンにフリルのついたブラウス、あと、花柄のフレアスカートですね」

矢継ぎ早にくる質問に、飯島刑事が手帳を見返す。

「なんでそんなこと訊くんだ」

いつの間にか話の中心にいる春日原に、権藤刑事が苛立っていた。

「お店の中で見かけたかもしれないと思って。あの、防犯カメラの映像って、僕たちにも見せてもらうことはできませんか?」

「なんで」

権藤刑事の機嫌が、夏の気圧のように乱降下していく。

「何か、新しいことを思い出すかもしれないじゃないですか」

今思えば、散々記憶力が良いことを披露した後に、よくもまあいけしゃあしゃあと言ったものである。


*****


 捜査資料を一般人に見せていいものか、しばし揉めていた刑事たちだったが、最終的に春日原の希望は通った。

 パソコンなどの機材が準備されている間、容疑者たちはなんとなくお互いに距離を取りつつ、邪魔にならない場所から見ていた。

 俺は、いつの間にか隣に待機していた春日原に、小さな声で礼を言う。

「……証言してくれて、ありがと……。助かった……」

このままでは、試着室に向かった順番という状況証拠だけで、犯人にされているところだった。

 すると春日原は、肩を揺らして小さく笑った。

「さっきのは僕の無実を証明するための演説だったので、気にしないでください」

「え?」

「だって、被害者が試着室に来てから、歌ヶ江さんが入ってくるまでの間は三分くらいなんですよ。歌ヶ江さんが不審な物音を聞いていないなら、僕にも同じ説明が成り立つんです」

言われてみればそうだ。俺と春日原は、ほとんど同じ状況だった。春日原ほど気がつく性格ではないので役には立たないが、それでもあからさまに変わった音がすれば、覚えているはずだ。

「自分はやっていないと主張するよりも、他人の無実を証明してみせたほうが、信じてもらいやすいんですよね」

腹黒いというか、場数を踏んでいるというか。まるで、何度も疑われてきたような言い方だった。

「ただ、一つわからないことがあるんですよ」

「……何?」

「どうして、何も物音がしなかったんだろうと思って」

「……?」

その時にはまだ被害者は殺されていなかったのだから、何も物音がしなくて当たり前ではないだろうか。

「いえ、歌ヶ江さんが入っていたほうからは、服を着替える音はしていたんです。布の音とか、金具の音とか。確か途中で、何か落としましたよね。スマホですか?」

その通りだ。ジーンズの尻ポケットに入れていたスマートフォンを、着替えた時にうっかり落としたことを思い出した。聴かれていたとわかると、少し恥ずかしい。案外人間というのは、不用意に音を立てるのだ。

「でも、一番奥の試着室からは、初めに荷物を置く音がしたっきり、何も動く音がしなくて」

腕を組んで、春日原は首を傾げた。

「彼女は、試着室の中で何をしていたんでしょうね」

それから俺を見上げて、にやりと口の端を持ち上げると、

「実は、大体の見当は付いてるんです」

「……え」

「どうです、歌ヶ江さん。『探偵役』やりませんか」

突然、そんな提案をしてきたのだった。

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