助手探偵

毒島(リコリス)*書籍発売中

試着室の殺意

1-1.

 寒風が和らぎ、近所の中学校の桜がぽつぽつと花を付け始めた春先のことだった。俺が買い物から帰ってくると、メールボックスに緊急の仕事依頼が来ていた。人と会話するのが苦手な俺には在宅ワークは性に合っているとはいえ、時間が不規則になりがちなのはデメリットだ。


「今日は休みにするって言ったのに……」


 俺の都合を無視して仕事を寄越した相手に文句の一つも言いたいところだが、このタイミングで期限が明日までということはゴネても延びることはないだろう。というかたぶん、たらい回しにされた挙げ句に最後の砦である俺のところに回してきたと思ったほうがいい。


 依頼主を呪いながら慌てて取りかかり、どうにか仕上げてメールを送った頃には窓の外が白み始めていた。夕方まで起きないぞという決意を込めてベッドに倒れ込み、俺は深い眠りについた。


 はずだったのだが。


 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴る。


「……」


 今日は宅配が来る予定はなかったはず。となるとそれ以外の来客だ。考えている間にも再び同じ電子音が苛立たしげに鳴り、加えてゴンゴンという鉄製のドアを叩く音も聞こえた。


「歌ヶ江さーん。ご不在ですかー」


 やや威圧的な男性の声の後、布団を被って無視しようとしたところで三度目のチャイムが鳴った。


「歌ヶ江さーん?」


 これは俺が室内にいるとわかって呼んでいる。居留守を使ったところで帰ってくれそうにない。これ以上は近所迷惑だ。ベッドから転がり落ち、逆さで見た壁の時計はまだ朝の九時を過ぎたばかりだった。四時間も寝ていないではないか。


 寝癖の付いた髪を手櫛で梳かしながら短い廊下を抜け、チェーンロックは掛けたままドアを開ける。


「お休み中のところすみません。歌ヶ江トキヲさん、ですね」


 立っていたのは厳めしい顔の中年男性だった。その後ろに立っていた小柄な若い女性が、ドアの隙間越しに俺を見上げて肩を少しだけ震わせた。想定より高い位置に頭があったせいで驚いたのだろう。無駄にすくすくと育ってしまった俺の身長は百九十一センチほどある。


「……? どなた、ですか……」


 俺の名前を知っているようだが見覚えのない顔だ。恐る恐る訊ねる。


「浮草署の者です。少し、お時間いただけますか」


 スーツの男性は胸ポケットから警察手帳を取り出し、こちらに見せた。


*****


 玄関先で警察と立ち話をするのは憚られて、不本意ながら仕事終わりの荒れた室内へ二人を招き入れた。

 眉間に皺を寄せたままの男の刑事と、きょろきょろと室内を見回す女の刑事。


「……適当に座ってください」


 来客など滅多にないものだから、持てなすような設備はない。食事用の座卓を囲んで、カーペットを敷いただけの床に座ってもらった。


「……」


 早く話を済ませて帰っていただきたいところだが、いきなり『警察が何の用ですか』なんて聞いたら感じが悪いだろうか。親に『あなたは仏頂面だからせめて話し方だけでも優しく』と言われてから、余計喋るのが苦手になった。――用があるのなら早く切り出してくれないだろうか。


「……」


 しかし相手も何やら戸惑った様子だった。互いに目配せをしてからようやく男性のほうが口を開いた。


「改めて、浮草署刑事課の権藤です」

「同じく、刑事課の飯島です」


 女性の警察官が続けて名乗る。


「……刑事さん?」


 交番勤務の巡査ならまだ馴染みがあるが、事件の捜査を行うような部署とはさすがに縁がない。


「実は昨日、浮草署の管轄内で殺人事件がありまして」

「殺人……?」


 現実味のない言葉が急に出てきて思わず復唱してしまった。


「夕方にはニュースなどでも報道していましたから、ご存知かもしれませんが」

「いえ……。朝方まで、仕事をしていたので……」


 俺の部屋にはテレビがなく、ニュースサイトを見る余裕もなかった。月末月初にはよくある修羅場とはいえ、そろそろ改善したいところだ。


「そうですか。あまりお時間を取らせるのも何ですから、早速本題に入ります」


 権藤刑事は咳払いをして手帳を開いた。


「歌ヶ江さん。昨日、浮草ショッピングモールに行きましたよね」


 浮草市の駅前には巨大な商業施設がある。半端田舎の広大な土地をふんだんに使った横長い三階建て。食料品や生活雑貨はもちろんのこと、専門店にレストラン、映画館まで入っているので市内の老若男女の憩いの場となっている。


「はい……」


 確かに昨日は午前中からモールに買い物に行った。しかしそれがどうしたというのだろう。平日でもモールにはたくさんの人出があった。身長のせいか通行人からやたらじろじろと見られるので居心地は悪いが、一ヶ所で何でも揃う便利さには替えられない。


「モニカという服屋で、服を買われましたね」

「はい……」


 モニカは俺のようなひょろ長い体型でも着られる服を売っている数少ない店だ。浮草モールに行った時には必ず立ち寄る。それをわざわざ確認するということは、だ。


「……モニカで、人が殺されたんですか。……それで、俺が疑われている」


 先回りして答えた。自分の容姿が目立つことは自覚している。目撃情報ならいくらでも出てくるだろう。


「いえいえ、疑っているわけでは。事件が起きた時間、モニカに出入りした方全員に話を伺っているだけです」


 刑事のわざとらしい身振りで、どうやら容疑者になってしまっているらしいことはわかった。もちろん身に覚えはない。


「あまり驚かないんですね」


 権藤と名乗った刑事が訝しげに俺の目を見た。


「……驚いては、いるんですが……。顔に出ない、らしくて」


 何かを探るような視線から思わず目をそらしてしまう。正直、近くで人が殺されたと言われてもいまいち実感が湧かない。眠気で頭がぼーっとしていることもあり、普段よりも更に表情が顔に出ていないのだろう。


「お人形みたいな顔ですもんねえ。あいてっ」


 飯島刑事が感心するように頷いて、脇腹を権藤刑事に小突かれて黙った。


「はあ……」


 よく言われるのだが、褒め言葉なのか顔の筋肉が動いていないことを揶揄されているのかわからず曖昧な返事しかできない。


「すみません、緊張感のない奴で。……もしお時間が空いているなら、これから署ま  で来ていただけませんかね。強制ではありませんが」


 本当は断って二人を追い返し二度寝をキメたいところだ。でも拒否したら余計に怪しまれるのだろう。


「……着替えるので、少し待ってもらえますか……」


 俺は渋々頷いて、床から立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る