四月五日-四時間目・家庭科-

 「各自材料は揃ったよね?はい、じゃあ始めて下さーい」

 そんな号令を皮切りにして、調理器具をガチャガチャする楽しそうな音が室内に溢れた。


 ここは調理実習室。四時間目の家庭科の時間は、言わずもがなの調理実習だった。

 一年D組の家庭科の授業は、これが三回目。

 わずか三回目で早速調理実習というのも珍しいが、初回の授業で先生から説明された授業計画では、教室での授業や被服室での授業より、ダントツで調理実習の時間が多かった。


 今日のメニューは、シンプルに親子丼。中学生の時も一度は作るメニューだ。

 一度は作るメニューなの、だが…。

 「あぁぁあぁあ」

 「なぁにやってるのよ、日向ひゅうが!卵くらいちゃんと持ちなさいよね!」

 「あーあ、勿体ねー!」

 「勿体ねー!」

 「何やっとんの、日向ー!勿体ないやろー!」

 仲間から口々にそう言われて、翔がほとんど泣き声を出した。「俺より卵の心配かよー!」


 エプロンをしているのに何をどうやったらそうなるのか、かけるは卵を二つ盛大に割って、制服の前を卵黄と卵白でべっとり汚していた。

 その場にへたりこんだ翔の頭に、風菜ふうなはお玉を打ち付ける。

 「当然でしょ、アンタが卵より役に立つ訳!?もー、役に立たないから

あっち行ってなさいよ、新しいの取ってくるから!」


 そう言ってお玉の先で翔に示したのは、風菜や翔達の班に割り当てられたキッチンの洗い場だった。洗い物でもしてろという意味だろう。しかし、まだ調理が始まったばかりで洗うものなど何もない。しいて言えば、自分の汚れた制服位だった。


 「…うぅ」

 何も言い返せない翔は、しょぼくれて洗い場へ。-せめて、手に付いたベタベタだけでも落とそう。

 「何をやってるんだ、お前」「卵割ってるんだよ。悪かったな」

 迎えてくれた結城ゆうきに言われて、翔はムッと返した。


 翔が所属する調理班は、風菜ふうなかけるひかるの三人。十川とがわ里良りら結城ゆうきの三人は、隣の調理台だ。作業スペースが近いので、自然と班の垣根が希薄になる。


 「しゃあない奴やなぁ」

 光に笑って言われて渡された石鹸で手を泡立てながら、翔は未だ帰ってこない風菜をキョロキョロと探した。

 新しい卵をもらって帰って来るだけなのに、やたら時間がかかっているものだ。


 翔が手を洗い終わって、予備の材料が置いてある一番前のテーブルを見ると、先生と笑顔で話し込んでる風菜がいた。

 「私ぃ、ちょっと親子丼、自信無くって…あとから先生、味見てくれますか?」

 「はい、もちろん。頑張ってね」


 爽やかな笑顔で先生に言われて、「はぁい」とスキップを踏み踏み戻って来る風菜。調理台の上に貰って来た卵を置いた彼女に、翔はコソリと耳打ちする。


 「先生相手にホラ吹くなよ」

 実は風菜は中学生の頃に両親が別れて、父親に引き取られている。その頃から家事を任されていたので、親子丼は得意中の得意料理のはずであった。


 「何よ、何回作っても自信がつかないなんてほんの可愛い乙女心じゃない」

 しれっと言い放つ風菜に光が「今日も全開やなぁ」と笑ってタマネギを切った。


 風菜が今日も全開な訳-家庭科教師・日比谷蓮ひびやれん先生は、爽やかな笑顔が素敵な三十歳だ。数学の親鸞先生や体育の芭蕉先生、美術の嵐先生とは全く違った魅力で、生徒人気は高い。


 「何よ、光まで」

 風菜が面白くなさそうに言うと、光はタマネギが目にしみて滲んだ涙を袖で拭った。その時、蓮先生が「あ、そういえば」と思い出した様に言い、声を張り上げてクラス中に言い渡した。


 「時間が余った班はデザート作っていいからね。ここにデザート用の材料もちょっと用意してるからー…完全に早い者勝ちになっちゃうけどねー」


 あは、と笑って言った言葉に突然やる気を出した風菜はホウレン草をみじん切りにし出した。翔が急いで止めに入る。

 「おまっ、何やってんだよ!ホウレン草はぶつ切りでいいの!そんな細かかったら煮た時美味しくないだろが!」

 これまた、お母さんみたいな注意だ。


 結城はその光景に、呆れたため息を吐きつつ、自分の班の調理へ戻った。その時。

 「風月ー!」


 十川の怒声に、里良がペロッと舌を出した。

 「え…えへへっ……やっちゃった…」

 「おま、やっちゃったって…米を流すなんてこんなミス、今時は小学生でもしないぞ!しかもこんな大量に!」


 早く集めろ集めろ、と十川と里良が躍起になっているのを嘲笑う様に、水は流し台にぶちまけられた米達を弄んで、排水口にさらっていった。せめて水を止めてから集めればいいものを。


 というわけで、当初二合渡されていた結城達の班の米は、一瞬の内に〇.五合に減った。

 -いち合半流すって一体…。


 その騒ぎを聞き付けて、れん先生が駆け付けて来た。

 「い、一体どうしたの!?」

 シュンとするのを通り越して何だか逆ギレしてる里良に代わって十川が状況を先生に説明すると、先生はすまなさそうな声を出した。


 「あぁ…そういうハプニングは想定してなくて予備のお米用意してないんだ」

 「えぇ、もうこんなちょびっとなのにぃ」

 蓮先生の言葉を聞いて、非難する様な声を出したのは元凶の里良だ。彼女の言葉に、すまなさそうな笑顔のまま先生が言った。


 「うん、お米流す様な罰当たりな奴が僕の授業で調理実習するなんて、考えて無かったからね。まぁ、自業自得だから、自分で何とかしてね」

 「「「………」」」

 完全に優男だと思っていた先生が悪びれも無くツラっとそう口にした事に静かに驚いて三人が押し黙ってしまうと、隣の班が風菜が頬をピンクに染めて割り込んで来た。


 「食べ物を粗末にする奴にはそれなりの償いをしてもらうなんて、さっすが先生!実家が農家なだけあります!」

 「ははは。卵は予備があったから良かったけど、君達も気をつけてね?」


 笑って言った蓮先生に「はいっ」と機嫌良く答えた風菜は、溶き卵のボウルにおもいっきり殻を入れていた。

 どうやら風菜も卵を貰いに行った時に、同じ様な説教をされたらしい。

 「…ほんっとに、顔さえ良ければ何でもいいのね…」

 里良が呆れて呟くと、「じゃ、気をつけて調理を続けてね」と言って、蓮先生は他の班の調理具合を見回りに行った。声がかかった時に里良・十川は思わず姿勢を正していた。


 ため息混じりで、結城が炊飯釜の中身を見る。

 「どうするんだ、これ…」

 「風菜ぁ、米半分ちょうだい」

 「何で半分もやらなきゃいけないのよ!アンタ達の方が多くなるじゃない!」

 「そうだぞ、風月かざつき…。お前の失敗で藤森ふじもり達を巻込む事は無い」

 「えぇ、でも~…せめて一合半だけでも!」

 「「増えてるし!」」


 「あっ、ええ事思い付いたで!」

 ピンと来た顔をした光が、そう言った。みんなが彼女を振り向く。

 よいしょっ、と言いながら後ろの棚から光が取り出して、調理台にガン!と音を立てて置いたのは、まぎれもなくホットプレートだった。


 「デザート用の小麦粉あるから、ホットケーキ焼いてそれをご飯代わりに親子丼を…」

 「「「「却下!」」」」

 二班全員の声が重なった。何をどう捻ればそんな思い付きが出来るのか。


 結局、小さなクラス協議をそこで開き、結樹達の班は米を他の班から少量ずつ分けて貰って何とか一合近くを補う事が出来た。

 クラス長直々に事情を話した所、他の班の女子達が挙って米を分け与えてくれたのだ。十川と里良は思った。今日ばっかりはモテモテのクラス長さまさまだ、と。


 そして、各班、炊飯のスイッチを押した時だった。調理実習室の戸がガラリと開いた。蓮先生も何事かと思って開いた戸口を見る。

 そこには腹を抱えてヨロヨロと入って来る女校長・星野鷹ほしのたかがいた。

 

 「…蓮ちゃん、もうダメ…お腹が空いて死にそうだ……。何かお恵みを…」

 今日もジャージ姿の校長に、生徒達の視線は釘付けになった。蓮先生が優しく受け答える。


 「校長先生…またお昼ご飯持って来て無いんですか?…購買で何か買って来ては?」

 まだお昼前ですけどね、と付け加えた蓮先生の言葉に、風菜はホワイトボードの上の時計を見た。十二時まで、あと三十分近くある。

 鷹校長は、その問いにふるふると首を弱々しく横に振り、震える声で言った。


 「お金も一銭も無いの……」

 蓮先生が困って笑顔になる。

 「また新発売のゲームに手を出したんですか?そういえば、今朝の職員会議の時からやってましたもんね」

 その会話を聞いて生徒達は苦々しく笑った。-まさか現職の校長先生がそんな事するはずが…。

 すると鷹校長は弱々しく首を一回縦に降る。生徒全員が彼女を凝視した。-すんのかい!!


 「まぁ、幸いもうちょっとで生徒達の作った親子丼ができますし。…みんなぁ、校長先生の分少し取り分けておいてねー」

 蓮先生がクラスに向かって言うと、各班手を上げて「はーい」と良い子のお返事をした。

 

 「恩に着るよ……」

 ぐぎゅるるる、と大きく鳴った腹を抱え、校長が蓮先生と生徒達に頭を下げる。もはや校長としての威厳など皆無だった。


 さて、親子丼は後はご飯が炊き上がるのを待つばかり、と言うことで、生徒達がデザート作りに取り掛かる。

 「あ、光。そのホットプレート、そのままでいいわよ。すぐ焼くから用意しといてね」


 風菜に言われて、光がしまおうとしたプレートの電源を繋いだ。。翔と結城達もその様子を見て思う。-何だ、結局ホットケーキにするのか。

 材料を取りに行った風菜が、そこで縮こまってる校長先生に提案した。

 

 「先生。私達、先生がご飯炊き上がるのを待たなくていいように、すぐにホットケーキ作りますね。是非食べて下さい」

 それを聞いて、校長の今にも死にそうな顔が、ぱぁぁ、と明るくなった。立ち上がり、風菜の両手をガシッと取る。

 「いやぁぁ、藤木くん!君はいい子だ!天使か天女か救世主か!!」

 「あはは、藤森です」


 校長先生が間違えた名前を笑顔で訂正する風菜。その様子を遠巻きに見て、仲間達は思った。

 -なるほど、そのためにか。イケメンにしか興味無いと思ってたが、優しい所もあるじゃないか。

 すると二人の会話を聞いた蓮先生が、風菜の頭を優しく撫でた。

 

 「校長先生、よかったですね。藤森さんは本当に優しい良い子だね。いいお嫁さんになれるよ」それをデレデレの笑顔で受ける風菜。

 仲間達五人の声が重なった。「「「貴様、それが目的かぁっ!!」」」



 以後、この日の風菜を風刺し、「腐ってもミーハー」という言葉が一年D組から広まった。社会に出た後はこの言葉を知っているかいないかで青嵐高校の卒業生を見分ける事ができる様になったとか、ならなかったとか…。

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