休日のパリ市内
ぶらっくまる。
出会いと絆と新たな出会い
買い物を終えた俺は、そのあとに予定が無いことから、あてもなくパリ市内をぶらついていた。
セーヌ川に沿ってリブ・ドロワ側の大通りを歩き、ルーヴル美術館を過ぎたあたりで、四区のノートルダム大聖堂の方まで足を伸ばすことにした。
それから、せっかくなのでセーヌ川を越え、リブ・ゴーシュ側の五区の散策をすることにした。
五区のムフタール通り界隈には、色々な雑貨店や飲食店が立ち並び、昔ほどの活気はないが、落ち着いて食事するにはちょうど良い。
サン・ルイ島名物のアイスクリーム屋でストロベリーアイスを買って、それを食べながら橋を渡り、五区の住宅街を抜ける。
学生街というだけあって、若い子たちが多かった。
大声で話しながら迫るそんな集団を、建物際によってやり過ごす。
万一、ぶつかってアイスをつけてでもしたら大変だ。
学生の集団を見送り、歩みを開始して何の気なしに建物の角を曲がると、
「きゃっ!」
と、軽い衝撃に襲われた。
がしゃんと陶器が割れるような音と共にコーンの上の部分が落ち、土色の石畳をピンク色に染めた。
「あ、あのー大丈夫です?」
衝突の衝撃で女性が尻餅をついており、広げた足の隙間からスカートの中身が丸見えだった。
レースのような素材で明るいブルーだった。
おっとりとした素朴な顔立ちとは違い、その中は過激だった。
眼福、眼福と内心で呟きながら、手を差し伸べた。
が、その手が取られることは無かった。
「す、すみませんっ。大丈夫です」
慌てたように顔の前で手を振り、自ら立ち上がった。
黒髪のフェアリーショートボブで、白いブラウスに、上品な青のベルベットスカート姿。
青が好きなのかな? と、どうでもいいことを考えてしまう。
「ごめんなさい、わたし急いでて……ああー!」
「え?」
目の前の女性が謝りながら俺の胸元辺りを指さした。
俯き、視線を向けると――
先程の衝撃でアイスがついたのか、黒いシャツが俄かにピンク色に汚れていた。
「ああ、大丈夫ですよ」
そう言って、左ポケットからハンカチを取り出し、胸元を擦った。
「ほんとーに、ごめんなさい」
頭を下げて、謝罪してくる女性。
「大丈夫、大丈夫……」
問題ないと答えながら落としてしまった手提げ袋を拾い上げ、黙り込む。
カチャリ――と嫌な音に、女性も息を呑んだ。
手提げ袋から箱を取り出し、中身を確認したら、案の定、ティーカップの取っ手と、ソーサーが割れていた。
ブランド通りを外れたアンティークショップで一目惚れしたティーカップセット。
「はあ……」
その無遠慮なため息に、目の前の女性は瞳に涙を滲ませていた。
ああ、やってしまった、と後悔する。
何を思ったのか青い手提げ鞄から、これまた青い財布を取り出す女性。
「これで足りるでしょうか……」
突き出された右手には、黄色の紙幣が握られていた。
「え? いや、こんな不味いですって」
たかが二〇ユーロの物に二〇〇ユーロなんて受け取れない。
それに、凄い注目されていた。
「ちょっと、こっち!」
「え、えっ?」
咄嗟に女性の手を取ってその場から急いで離れた。
「ここまで走れば大丈夫かな」
「あ、あの……」
「あっ、すみません」
慌てて手を放し、頭をかいた。
女性の陶器のような白い頬が、微かに朱に染まっていた。
「一応、不用心に道端で財布を開いてはダメですよ。結構スリとか多いですし、さっきも、複数の男たちが遠巻きに見ていたんですよ」
「あ、そうだったんですね」
確かに注目を集めていたが、その男たちがスリかどうかはわからない。
ただ、手を繋いでしまったことの言い訳としては、十分な効果を発した。
「もしかして、パリははじめてですか?」
「はい、大学の卒業旅行で、友達と……ああー!」
また大声を上げてどうしたんだ? と訝しむ。
「このあと予定があって急いでて! ああ、どうしよう」
慌てた様子で誰かに電話をかけ始めた。
その話を聞く限りでは、どうやら友達とはぐれ、道に迷っていたようだった。
しかし、セーヌ川付近まで来たことで、現在地がわかり、合流地点を打合せしていた。
「あの、済みません。本当にもう行かなくちゃいけなくて」
「いいですよ。あれは大したものじゃないんですよ」
「で、でも!」
「本当に大丈夫ですから」
「そ、それじゃあ、連絡先を交換しませんか?」
急いでいるなら、そのまま去ればいいのにと思うが、それが我慢ならない性格なのだろう。
「はづき?」
「はい、高梨葉月です。必ず、あとでラインしますのでっ」
去り際にそう言い残し、半身になりながら大きく手を振って、人混みの中に姿を消した。
それが、葉月との出会いだった。
それから一年――一周年。
再会を果たした。
何故、そんなに時を要したかというと。
あの出会いの日どころか、次の日も連絡は無かった。
別に期待していた訳ではないが、少し虚しかったのを覚えている。
葉月からの連絡に気付いたのは、日本に帰国してからだった。
『今夜、お食事でもいかがですか?』
送られてきたのは、一二時間前――どうやら飛行機に乗っているときだった。
慌てて返事をした。
それから、頻繁にやり取りを交わすようになった。
しかし、北海道の稚内に住む俺が、都内の葉月とそう簡単に会える訳もなかった。
北海道まで来ると葉月は言ったが、流石にそれは断った。
たかが、三千円程度のティーカップセットのためにそこまでさせる訳にはいかなかった。
そして、それを果たしてしまったら、葉月とこうして連絡を取り合う口実が無くなってしまうと思った。
気付かないうちに、葉月の存在が大きくなっていた。
幸いにも葉月は、絶対お詫びをしたいといって、関係を断とうとはしてこなかった。
そして、何の偶然かわからないが、出会った日に出張で東京へ行くことが決まった。
一年ぶりに会った葉月は、少し大人びて綺麗に見えた。
それは、仕事帰りのスーツ姿だからなのか、化粧のおかげかはわからない。
ただ、胸の高鳴りが治まらなかったのは事実だった。
楽しい時間があっと言う間に過ぎ、終電の時間まであと少しというとき。
「あのっ」
「は、はいっ」
緊張のあまり、思わず声が上ずってしまった。
その緊張感が伝わったのか、身を正し、何かを待ち受けるかのように口を結んでいた。
「え、えーっと……」
「はい……」
ええいままよ!
「俺と付き合ってくれませんか」
「はい」
「遠距離になりま、す……が……」
「気にしません」
どうやら、お互いの想いは同じだったようである。
遠距離であったため、中々会う事はできなかったが、頻繁にラインや電話で連絡を取り合い、愛を育てた。
更に一年――二周年。
家族になった。
出会いから丁度一年で付き合ったことから、どうせならと記念日に思い切ってプロポーズを決行した。
その勢いのまま、葉月の友達を呼び出し、婚姻届も提出した。
そこまでしなくてもと思ったが、葉月がどうしても結婚記念日も揃えたいと言い出したのだった。
おっとりした見た目とは違い、言い出したら聞かないのである。
更に一年――三周年の今日。
家族が増えた。
まさかと思うが、出会った日と全く同じ日に息子が生まれた。
それは、正に数字の三が持つ意味の通り、新たな命が生まれた。
三年前のあの日、何の気なしに向かった先で葉月と出会った。
あのまま真っすぐホテルに帰っていたら、ティーセットが割れることはなかった。
が、葉月とは間違いなく巡り合えなかっただろう。
葉月に出会えたのは、まさに僥倖だったのだ。
更に、時間がなかったことから連絡先の交換ができた。
人生、何が起きるかわからない。
一周年で付き合い始め――始まり。
二周年で結婚し家族になった――調和。
三周年で息子が生まれた――創造。
これまでのことを思い出し、これからのことを想像し、息子を抱く葉月に微笑みかけた。
休日のパリ市内 ぶらっくまる。 @black-maru
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