石鹸の波打ち際

エリー.ファー

石鹸の波打ち際

 石鹸を作る会社を立ち上げて、気が付けば三年の月日が流れていた。

 とりあえず、三周年目ということで、会社の部下たちと一緒に食事会ということになった。

 なんでもそうなのだが、会社というのは。軌道に乗るには三年必要と言われている。一年目は会社が動くということで問題が起きる、二年目は本格的に動くということで問題が起きる。

 三年目は、それらの残った問題を解決しながら会社を軌道に乗せるために仕事をしなければいけなくなる。

 つまり、最も忙しいのだ。

「皆、わが社もこれで三年目となった。これからも大きく進化していく流れに乗っていこうではないか。それでは、我々の未来を祝して乾杯。」

 私はグラスを高く上げて、ワインを飲み干す。

 素晴らしい夜になると思えた。

 この地域では、風呂に入るという習慣がない、それは乾季が非常に長く続くために、皆が汗をかかないのだ。もちろん、臭うことには間違いないが、それを気にしない文化だったのだ。敢えて言えば、それに大きな問題があったと言える。

 その文化へ、商売という形での参入は今後の会社の行く末を波乱万丈なものとした。しかし、それ故に、新しく入ってきたこの石鹸というものが、このままここで形づくられれば、私たちの企業の一人勝ちとなる。

 商売が軌道にのる、というどころの騒ぎではない。

 全て成功。

 安泰。

 完成。

 左うちわで生きていける。

「社長、石鹸の新しい香りを考えてきたのですが。」

「今日は、宴会だ。仕事の話はやめよう。」

「しかし社長、今、思いついたこのアイディアの火を消したくありません。」

「では、勝手にするといい。」

「ラベンダーの香りです。」

「却下。」

 私はグラスを片手に会場を歩き始める。

 会社は今、そうした、そもそも石鹸というものに触れたことのない人々の物珍しさから始まる購買意欲によって支えられている。つまり、この会社独自の目新しさというものを持っていないのだ。

 ラベンダーの香り。

 いかにも普通、といったところだ。

 ソーダの香り。

 悪くはないと思う。

 ピーチの香り。

 消費者の中に、口に入れてしまったものがいたそうだが、あれも悪くなかった。

 しかし。

 個性なのだ。

 ひたすらに、ただ、個性が足らないのである。

 このままでいいとは到底思えない。

 私はワインを見つめる。

「そうか、アルコールだ。」

「社長、なんでしょう。」

「ビールや日本酒、ワインといったお酒をモチーフにした石鹸を作ろうではないか。」

「確かに、それはいいかもしれません。早速作りましょう。」

「これで、うはうはだ。最高の気分だ。」

 私はワインを注いでもらいながら大きな声で笑った。

 周りの従業員たちも笑っている。

 店員たちも笑っていた。

 笑い声が響き、その勢いのまま石鹸を作ると、飛ぶように売れた。

 私の人生は見事に、あがり、を迎えたのである。

 多くの人々からうらやましがられて、そのたびに、最初に作った石鹸と、三年目に催したあの宴を思い出した。

 画期的な考えというのは、会議室で生まれるものではない。

 しかし、不意に最近思う。

 そもそも、あの石鹸を作り出すために必要になったビールや、日本酒、ワインといったものは、どこで製造されたものだったのだろうか。そもそも、あの地域ではお酒を持っていること自体が法律違反であり、加工したものをその地域に持ち込むならまだしも、あの地域の工場で加工をしていたのだから、運搬もしているのだ。

 どうやって、警察を味方につけたのだろう。

 そして。

 わが社の誰がそのような計画を練っていたのだろう。

「社長、去年と比べ、利益が十三パーセント程上がっています。」

「それは、素晴らしい。」

 これもだ。

 今や会社は何十年とこの地域にあり続けているが、あの日から新商品も開発していない。

 なのに、利益ばかり上がり続ける。

 なのに、誰もが喜ぶ。

 なのに、会社はいつまでもこの地位にいる。

「すまない。何故、こんなにもこの会社は安泰なのだね。」

 ふと、秘書に尋ねる。

「社長。ご存知ないのですか。」

「何がだね。」

「いいえ。別に。」

「気になるじゃないか。」

「はい。気にしていただければ、それで結構です。この会社は安泰です。」

「全く分からんのだが。」

「分からなくて結構です。」

「いや、その、知りたいんだが。」

「知ってどうするんですか。」

「考えるよ。」

「今まで、その事柄を知らないままで生きてきて、そのことについて考えてこなかった結果、会社はどうなりましたか。」

「安定して収益を作り出している。」

「上手く行っている所に何故、わざわざ何かをしようとするのですか。」

「そんなつもりは。」

「無駄を省くことで利益は増えます。」

「そ、その通りだな。」

「では、無駄はしないようにしましょう。」

「あぁ。なるほど。」

「これでいいんです。」

 私は間もなくこの会社を勇退する。

 その頃には、この会社はスペースシャトルの制作に乗り出していた。

 この会社は私のものだ。

 私がこの会社の社長なのだ。

 しかし。

 私は何も知らない。

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