第2話 強襲、ふたり

 枯草に身を隠し、風音に合わせて歩を進める。

 廃聖堂の裏口にある窓からは僅かに灯りが漏れている。だが、まだ距離があるせいだろうか――こちらを警戒している気配は感じられなかった。

「あの舩坂という男は使えるかもしれません」

 女の囁きが第三継嗣・鷹乃雅真たかのまさざねの耳朶を擽った。

「あの男は耳障りの良い言葉で誤魔化すことをしなかった。そういう人材は貴重です」

 目を掛けておくべきでしょうね――里海師範は言葉を重ねた。

「そうか」

 女武芸師範の言葉に賛意は示したが、それは話を合わせたに過ぎなかった。

 舩坂干城ふなさかたてきは鷹乃一族を恨んでいてもおかしくない男だ――彼が十年前の五條の乱で、反逆者側についた男の息子だと雅真は知っていた。巡回警邏隊の隊長に任命されることが決まった後、部下については、すべて調べたのだ。

 内乱が鎮圧された後、舩坂の母親は反逆者となった夫とは、内乱の前に離縁していたとして、元の氏族に戻った。だが息子である舩坂干城は母親に同調せず、亡くなった父の家名を受け継ぎ、一時は隷民にまで身分を落としていたという。あの男は、それだけ自分の父親に拘っていたのだ。

 士分復帰後は巡回警邏隊の副長として、問題なく務めているようだが、本当のところで何を考えているか――心の奥底は誰にもわからない。

「……賊には気づかれていないようですね。灯りを消した窓から監視しているかもしれませんが――」

 裏口の扉を開ければ厨房跡だと郷長から聞き取りしてある。そこから廊下を経て、二階へと登る階段があり、その先に教導師の私室がある――まずは、その部屋を制圧する。

 廃聖堂裏口までは走れば僅か――外套を脱ぎ捨てた雅真は、石弩の上で白く固まった獣脂を指の腹で溶かす。それから音を立てないように弦を引いて太矢を装填――鏃は鎧通しを選択した。

 石弩を地面に置き、背負っていた分解式の十字槍を手槍の長さで組み立てる。管握りを柄はめ込み、穂先を茎基に嵌める。バネの強い反発力――ガチリと小さく金属音。穂先の革鞘を外すと小振りの十字刃が月光を微かに反射した。

「正門で吐龍機を使えば、賊はそちらに気を取られることでしょう」

 武芸師範の甘い体臭――苛つく。里海師範は女であることを隠しきれていない。

「期待していない。――最悪、ふたりで賊を制圧することになると考えている」

 気に食わない上将が戦死するようにと部下が誘導したという事例は枚挙に暇がない。正門を制圧した警邏隊が、必ず応援に駆け付けてくるとは限らないのだ。

「そうなっても問題はありません。――それが可能な程度には貴方を仕込んでいます」

 女武芸師範は微笑した。

「私が前にでます。扉を破ったら弩を――最初の敵は音を出さずに始末を」

「わかった。――閂は任せていいのだな?」

「問題ありません」

 彼女がそう言うのであれば問題はない――雅真は地面に置いた小弩を左手で拾い、右手には手槍を構える。

 頷き合って飛び出し、音を立てずに裏口に到達。室内からはボソボソとした会話が聞こえてくる――賊には気づかれていない。

 武芸師範の槍が縦に振り下ろされると、木扉の閂が切断された。同時に木扉を蹴破って突入。瞬時に室内の状況を把握。それほど広くもない厨房で調理をする男がふたり。驚愕の表情を浮かべた男の喉元に太矢を撃ち込む――声もなく絶命。小弩を捨てて手槍を構える。視線を横にやると、師範がもうひとりの男を始末し終えていた。

 厨房奥の扉に耳を当てて廊下の様子を探る。気配はない――ゆっくりと内扉を開ける。

 火の起こされていた厨房とは異なり、廊下は暗い。目を慣らし足を滑らせるようにして階段を駆け登る。

 教導師の私室の前まで進み、再び動きを止める。内扉から薄い明かりと声が漏れている。まだ気づかれていない。

 里海師範が室内の会話の聴解を試みる――部屋の中には四人以上いると指で示してきた。

 ふたりまでは同時に殺せる。だが、それ以上の人数では、声を上げる時間を与えてしまうかもしれない。そうなれば階下の賊が襲撃に気づき、此処を目指して上がってくることになる。

 舩坂は約束どおり動いてくれるだろうか――雅真は師範が笑みを浮かべていることに気づいた。緊張している自分がおかしいのだろう――雅真は苛立ちを噛み殺す。

 手振りで突入を指示――里海師範が内扉を蹴破って室内に飛び込む。

 賊らしき男が五人と囚われた女がふたり――女は壁際で身を寄せ合っている。

 人質と賊の間に割って入ることはできない――雅真は主敵を最も大柄な男に定め、秒で大男の装備を確認する――胸甲あり、脛当てあり、籠手、兜は外している。扉が開放された瞬間に抜刀していた――手練だ。

 大男の顔面に向けて遠間から牽制の突き。男は手にした剣で受けようとする。その握り手に向けて突きを二連。切り落とされた男の指が宙を舞った。

 甲高い悲鳴――喉を突いて黙らせる。崩れていく大男の陰からもうひとりの賊――手槍で応戦しようとしたが、喉をさされた大男が血塗れの手で雅真の槍の穂先を握っていた。それを好機と見た賊が奇声を上げて剣を振りかぶる。間に合わない――雅真はを槍を手放して前に出る――左の肩当てに強い衝撃。同時に雅真は右腕を横薙ぎに振るう――次の瞬間、賊の顔面が爆ぜて血と骨が飛び散った。雅真の手甲に仕込まれていた暗器――袖鎖の錘が賊の顔面を強打したのだ。

 ふたりの男を始末した雅真は落としていた手槍を拾って素早く室内を再確認。里海師範はすでにひとりの男を倒し、もうひとりの男と対峙していた。援護しなければ――そう考えた瞬間、師範の槍が男の急所を刺し貫いていた。これで残敵はひとり――そこまで思考を進めた時だった。

「動くんじゃねぇ」

 賊の首魁と思われる男の重い声――師範がぴたりと動きを止める。首魁は攫った女のひとりを抱えていた。

「武器を捨てろ。――じゃなきゃ、女を殺す」 

 上等な飾服を着込んだ娘の喉元には短刀が突きつけられている。年の頃は十代前半――おそらくまだ成人の儀を迎えていないはずだ。娘は元々色白なのだろうが、今はひどく青褪めて見えた。

「車輪に死神の鎌――巡回警邏隊か……」

 もうひとりの女が部屋の隅に力なく横たわっているのを雅真は横目で確認した。女はふたりとも、武家か豪商の娘だろうと判断――だが記憶を探ってみたが、自分の見知った顔ではない。

 どうする――そう考えた瞬間、階下で喊声が上がった。正門から舩坂たちが突入したことを雅真は察した。



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