奸雄ノ始末

山崎十一

第1話 廃聖堂にて


 晩秋の双子月が暗い森の中の廃聖堂を白く浮き上がらせている。

 枯蔦の絡まった石壁と崩れかけた神像――古に滅んだ土着宗教のものだと舩坂干城ふなさかたてきは推測した。

 厄介な仕事になりそうだ――木立に半身を隠しながら、舩坂は遠見筒を構え直す。

 訪れる者などいるはずもない廃聖堂の窓には微かに灯火。周囲の立木には複数の蛇馬たちが結ばれている。何者かが廃聖堂に籠もっているのは、火を見るより明らかだった。

舩坂は金属籠手を外して親指の爪を噛んだ。悪癖だと自覚しているが直すつもりはない。それから無精髭の残る顎を一撫ですると舩坂は覚悟を決めた――戦闘になる。

「我、汝を裁く者なり。隠されし罪を暴き、償わせる者なり……」

 神掟聖句を呟き、鎧に刻まれた車輪と断罪鎌の意匠に触れる。黒鎧の左胸に刻まれた意匠は、舩坂が巡回警邏隊の隊士であることを示していた。

 舩坂が副長を務める巡回警邏隊に女人誘拐の通報があったのは六時間ほど前のことだった。匪賊が若い女を誘拐しているのを付近の農民が目撃したという話だった。

 巡回警邏隊の主な任務はふたつ。ひとつは領内を巡回する移動裁判所の護衛。そしてもうひとつが領内治安維持の補佐だ。

 基本的に領内各所の治安維持は、其の地を預かる在郷騎士の職分である。

 だが賊が多勢であり、在郷騎士だけでは手が足りない事態は間々ある――その際に武装領主の命によって、各所に派遣されるのが巡回警邏隊である。

 領主直属の組織ではあるが、討伐任務時には在郷騎士の指揮下に組み込まれる必要があるため、警邏隊の隊員は騎士ではなく、准騎士として扱われている――実情を素直に述べるならば、便利屋という言葉が最も適切だろう。

「騎士様は到着せず、か……」

 在郷騎士団の遅れは意図的に違いないと舩坂は考えていた。匪賊の処理など警邏隊に任せておけばいい――そう考える在郷騎士も多いのだ。 

 繋がれた蛇馬の数から見積もれば、廃聖堂の中には最低でも二十人以上の賊がいると予想できる。対して舩坂の率いてきた警邏小隊は十名しかいない。荷馬を含めて二十頭編成の小規模な部隊だ。人数では勝ち目がない。

 やはり厄介な仕事だ――廃聖堂を攻略する手順を思い浮かべながら、舩坂は改めて独りごちた。

「副長――」

 舩坂の後背の森から警邏隊副長補佐の甲野が現れた。

「第三継嗣が突入の段取りを確認したいとのことです」

 今戻る――甲野に返事しながら、舩坂は溜息を吐いた。

 厄介なのは賊だけじゃない。味方にも面倒な奴がいるのだ。


 月光が微かに差し込む暗い森の中で、黒鎧の男たちが警戒態勢を取っていた。男たちの鎧には舩坂と同じ意匠が刻まれている。巡回警邏隊第一小隊――舩坂が厳選した部下であり、いずれも手練の者だ。

「遅くなりました」

 甲野と共に警邏隊に合流した舩坂は、巡回警邏隊の中心に佇む少年に頭を下げた。

「構わない」

 可愛げがないんだよ――少年の声に感情は籠もっていないと舩坂は思った。

 少年の名は鷹乃雅真たかのまさざね――巡回警邏隊の隊長にして鷹乃領の武装領主・鷹乃弦正たかのげんじょう公の第三継嗣である。

 舩坂が巡回警邏隊の副長に昇格して既に二年――今年で二十五歳になった。その自分が頭を下げた相手は成人の儀を済ませたばかりの少年だ。

 武装領主の継嗣ともなれば、初陣でも指揮官の立場が用意される。正直な話、馬鹿馬鹿しくも思うが、舩坂はそれを表に出すことはしなかった。その程度の処世術は心得ているのだ。

 それにしても不条理だ――出自によって立場や生き方が決まる。それは酷く面白くないものだと舩坂は考えていた。

「情報の摺合せを始める」

 黒い髪に焦茶色の瞳――血色の悪い少年の肌はどこか病的に見える。左眼の周囲には古傷のような引き攣りがある。色男とは言えないが、鷹乃雅真は妙に印象に残る顔立ちをしていた。そして第三継嗣の傍らには、彼の武芸師範だとかいう女武人が立っていた。

 刃傷事に女を連れてくるかよ――舩坂は内心で毒突きながら、報告を始めた。

「廃聖堂の外、三十丈まで近づきましたが、外周を警戒している者は確認できませんでした」

 第三継嗣は確か十五歳になったばかりだったな――知り合いの騎士から聞いていた情報を思い返す。第三継嗣は成長期を迎え、身長は伸び始めているが、一人前の戦士としては、まだ筋量が足りていない。武人然した領主の鷹乃公とはかなり印象が違う。同時に第三継嗣の母は後添えだったという話を思い出す――第三継嗣が柔弱に見えるのは、ふたりの兄とは違って、母方の血が濃く出た結果なのだろう

「屋内から灯りを確認しています。蛇馬は三十二頭。――賊はこちらより多勢であると考えます」

「近隣の邑落の郷長を招聘してある。――郷長、匪賊どもは犯行を目撃されたのを知っているのだな?」

 第三継嗣は傍らに控えていた老人に向かって言った。老人は頷くと嗄れた声で話し始めた。

「はい、そのとおりでございます。賊の狼藉を目撃した者が数名いますが、いずれも這々の体で逃げ出すのが精一杯で……」

 匪賊からすれば、女攫いは割のいい商売である。男に比べれば非力だし、若い女なら買い手に困ることもない。

 舩坂には匪賊の手から攫われた女を救出した経験があるが、それは例外なく悲劇的な結果に終わっていた。家族を殺され、賊に嬲られる。いっそ殺されれば幸いで、生きて救出されたとしても、純潔を失ったと噂され、行く宛を失う。絶望に打ちのめされ、感情を失った女たちの顔を思い出し、舩坂は唾を吐き捨てた。

「賊は古鐘との国境沿いに巣食っている連中だと思うのですが……」

 途切れ途切れに老人は言葉を続けた。

 古鐘は鷹乃領より西に勢力を張る国であり、鷹乃とは片務的条件付きではあるが同盟関係にあった。そして国境近くに匪賊が拠点を置くのはよくある事であり、警邏隊でも問題として認識していた。軍が他領に侵入することは条約によって禁止されているため、賊どもが国境を跨いで他領に逃げ込んでしまえば、警邏隊は越境して追うことはできない――厄介なのは賊たちも、それを理解していることだ。

「徒歩なら一刻半ほどの距離です。蛇馬なら半刻」

 郷長の発言に舩坂は情報を追加した。

「想像していたより近いな。――郷長、廃聖堂について詳しく教えて欲しい」

「あの遺跡は月照大君の御代以前に信仰されていた土着宗教の聖堂と聞いています。もう信者もおりませんので、廃墟になっていましたが、三十年ほど前に村の男衆の手で修繕しました。今では冬の狩猟小屋として、村の共同資産になっております」

 農作物の収穫を終えた農民が冬季に猟師になることは、鷹乃領ではよくある話だ。

「――すまない、来歴ではなく廃聖堂の内部構造について聞かせて欲しいのだ」

 第三継嗣の言葉が舩坂の耳に残った――強烈な違和感。

「扉や窓は修繕しました。狼避けのために正門と裏門に閂は付けましたが、それほど頑丈ではありません」

「少し待て。――図を描く」

 第三継嗣は地面に枯枝で絵図面を描きつけ、質問を重ねていった。

 正門を抜けたあとの大広間の様子、窓の位置、部屋の広さ、天井の高さ、壁の厚さ。随分と質問の勘所がいい――舩坂はそう思った。第三継嗣は屋内戦闘に必要な情報をしっかりと収集している。

「副長なら何処に歩哨を置く?」

 突然の質問――古参兵の意見は聞くようにと言い含められてきたのだろうか。ひょっとしたら事前に聞いていた噂より、扱いやすい奴なのかもしれない――頭の片隅でそう考えながら、舩坂は地面に小枝で点を打っていった。

 正門、裏門、二階の窓、そして廃聖堂の外に巡回する歩哨――。 

「穴のない配置はこうですが、実際には正門と裏門だけだと考えます」

 実際には、それすらしてない可能性が高い。現に先程の偵察では、外を巡回する者は見かけなかった。

「何故、そう考える――匪賊どもは追手が懸かるとは考えないのか?」

 絵図面から視線を切らずに、第三継嗣が問い質してくる。

「連中は賊で武人じゃない。欲望のままに動くんです。腹が減れば奪い、女が欲しければ攫う。奴らにとって規律なんて道端の糞と同じですよ。――だから見張りなんて下っ端の仕事だと思ってるし、下っ端は下っ端でやってるふりをして酒でも飲んでいる。そんなものですよ」

 賊の特性をわかりやすくするために、少し誇張した答えを舩坂は返してみた。

「規律は糞か――」

 第三継嗣は薄い笑みを浮かべた――舩坂は胃の辺りに冷たい感触を覚えた。第三継嗣の顔は十五歳の少年の表情とは思えないほどの性悪さを感じさせたのだ。

「法に従える連中なら、雇われ武人として食っていけます。ですが連中には無理です。奴等は規律に従えないから賊に落ちた。社会から外れたんですよ、あいつらは――」

「副長の見解は理解した。だが少し雑に思える」

 第三継嗣の見方は正論だ。しかし、社会から逸脱した者たちが、どれだけまともではないのか――舩坂は主君の息子に教えてやらねばならないと思った。

 第三継嗣は支配者として自分たちの上に立つ人物であり、世間知らずでは警邏隊の任務に支障がある。

「連中は単純です。知恵が足りないと言ってもいい。女を拐ったら、次に考えるのは誰からやるかって事だけです。拐ったその場でおっ始めなかっただけ、まともですがね」

「つまり、賊は今あの廃聖堂の中で肉欲に取らわれている、と?」

「胃袋と睾丸――それが奴等のすべてなんですよ」

 舩坂の下品な冗談に警邏隊の准騎士たちが笑いを噛み殺した。

「……攫われた女はふたりだ。そして廃聖堂には少なくとも二十人以上の賊がいると思われる」

 第三継嗣は絵図面を見下ろしたまま呟いた。

「副長、私にはどうにも理解できない。……それだけの数の男がいて、女ふたりで足りるのか?」

 何が言いたいんだ、この小僧は――微かに苛つく。こちらが教えてやってるというのに、この態度は何だ。

 ふいに舩坂は第三継嗣が初陣だったことを思い出した。理屈は捏ねているが、結局は突入する勇気がないということか――。

 女の御守りが付いてくるくらいだしな――第三継嗣付きの武芸師範を視界の隅に入れながら舩坂は短髪を掻き上げた。

「……大変でしょうな、女たちは」

 舩坂の切り返しに部下たちから下卑た笑声が漏れる。それは現場に不慣れな第三継嗣を暗に嘲笑するものであり、本来であれば咎められてもおかしくない無礼な態度であった。

「……つまり、賊と私の考え方に乖離があると言うことか」

 しかし第三継嗣は毅然としていた。いや、まるで自分が馬鹿にされたことに気づいていないようにも見えた。

「……誰もが軍学を修めてるわけじゃないんです。彼奴等が女に跨って尻を振ってる間に襲撃するのが最善の策ですよ」

「だが副長、それでも私は敵が間抜けであるという前提で作戦を立てるのは間違いだと思う」

「それは当然、仰る通りです。――ですが過剰に警戒するのも、また間違いです」

 第三継嗣は絵図面を眺めたまま動かない――攫われた女たちを助けられないなら、早めに殺してやるのも情けだ――舩坂はそう考えていた。

「奪還が遅くなればなるほど、人質の生存は難しくなります。――股が裂けた女の死体を見たくないなら、早めの決断が重要かと――」

 努めて冷酷に言い切ると副長補佐の甲野が驚いたような視線を向けてきた。素人相手に、そこまで言う必要ないでしょうと、その表情が言っていた。

 ガキ相手に何をしてるんだ、俺は――舩坂自身も言ってしまったことを後悔していた――在郷騎士に協力を強制できない自分の立場への不満を、第三継嗣にぶつけているだけに過ぎないのだ。

 地に描かれた絵図面を見詰めていた第三継嗣が顔を上げる。流石に癇に障ったか――だが予想に反して第三継嗣は冷静なままだった。

「副長の言うとおりだな。――具体的に手順を煮詰めよう。考えられる侵入口はふたつ――正門と裏口だ。正門は、そのまま大広間に繋がっている。ここは百人近くの人間が入れるほどの広さがあるという話だ。入り口には閂――郷長の話では蹴破れる程度のものらしいが、補強されている場合もあるだろう」

 初陣のくせに古強者のように抜け目がない――だから舩坂は多少の虚勢を張って答えた。

「扉については丁字で突破できるでしょう」

「――丁字? 何のことだ?」

 補佐の甲野が部下を促し、『丁字』を持ってこさせる。舩坂はそれを第三継嗣に見せた。

「こいつです。――丁字大剣」

 それは切先が両刃斧へ――丁字状に変形した大剣だった。

「元来、断頭処刑用の大剣ですが、破砕斧としても使えます。――こいつで閂をぶっ壊します」

 通常の大剣とは異なり、重心が切っ先にあるため扱いが難しい武器ではある。だが舩坂は、この剣を好んで使用していた。

 第三継嗣は丁字大剣をしげしげと観察して言った。

「なるほど、これが処刑大剣か……」

「そうです。こいつで何人もの罪人の頸を落としてます」

「丁字は何本用意してある?」

「二本です。自分と甲野が使っています。重いので普段は馬積みですが」

 では正門と裏門の同時突入は可能だなと第三継嗣が呟いた。

「二方向からの突入をお考えですか?」

 賊の方が人数が多い――舩坂は言外に抗議した。

「そのとおりだ。今作戦の目的は攫われた領民の奪還だ。一方から攻めて反対から逃げられるという間抜けなことはできない」

 基本的に戦いは数で決まる。少数が多勢に勝利するのは夢物語だ。嫌われようが構わない。舩坂は第三継嗣の考え方を修正することに決めた。

「無理筋な考えかと――我々は人数で劣っています」

 本来は在郷騎士の応援を待ちたいところだ――それが叶わない現状では攫われた女たちの無事奪還は難しいだろうと舩坂は考えていた。

 無論、無辜の領民たちを救いたいとは考えている。だが舩坂は、それが実現可能かどうか、見極めなければいけない立場にあるのだ。いまの最悪の想定は、賊による返り討ちで警邏隊が壊滅することであり、そうなれば攫われた女の奪還はおろか、民心も鷹乃公から離れることになる。

「火攻めにでもするか、在郷騎士を待つか――。いずれにせよ、この人数で突入するのであれば、我々にも相当の損害が出るのは確実でしょう」

「賊の掃討が目的であれば、私もこの手は使わない。在郷騎士の増援を待つさ。――だが、在郷騎士連中が来ると思うか?」

「それは――」

 予想外の反応だった。

 第三継嗣は――まさに領主の一族でありながら、在郷騎士を信用していないと言い切ったのだ。

「奴等が来るとしても明朝――場合によっては正午を回ってからだろう。それを期待しても意味がない。その頃には匪賊はここを離れてるだろうしな」

 それはそのとおりだ――。

「副長、我々の目的は攫われた領民の奪還だ。それを忘れないで欲しい。――そして元より無茶な作戦だ。失敗した所で不名誉にはなるまい。精々私が恥をかくだけの話だ」

 沈黙――警邏隊の准騎士たちは反応を見せない。

 不快感に舩坂の背中がざらついた。この若僧に舐められたような気がする――阿呆な理想主義者かと思えば、わかっていて無理をするということか。

「そういうわけにはいきません。作戦の失敗は巡回警邏隊の失敗として認知されます。そうなれば鷹乃公の名誉に傷をつけることになる」

「――そうだな。鷹乃の馬鹿息子が失敗したと囃されるだろうな」

 返す言葉が見つからない。何なんだ、この小僧は――理解できない。

 凡そ武人が最も重視せねばならないのは、己の名誉だ。名誉は信用に繋がり、信用は力になる。なればこそ、武人は己の名誉のために死ぬこともできるのだ。

「時間がない。人質救出作戦だ、副長。通常の用兵ではどのような策が採用される?」

 あくまでも現有戦力で強行突入するつもりかよ――舩坂は息を呑んだ。

「……奇襲か揺動が選択されます。敵が我々に気づく前に人質を奪取する。もしくは揺動を掛けて相手の注意を引き付けている間に人質を強奪。――ただ、何れの策を取るにせよ、賊が人質を盾にしようとした時点で失敗です」

 元来、人質の奪還というのは困難な任務だ。成功率は著しく低い。

「そのとおりだ、副長」

 冷徹な声音――舩坂は思った。これでは立場が逆だ。まるで自分が新兵で、古強者の第三継嗣に採点されているかのようだ。

「今の所、我々が連中の喉元まで迫っているとは気づかれていないはずだ。よって今回は奇襲を基にした作戦を構築する。――副長、君は人質が何処の部屋にいると予想する」

 地面に描かれた廃聖堂の絵図面を見下ろす。女が置かれている場所は何処か――かつての経験を脳内で再生する。

「……大広間か、二層にある教導師の部屋のどちらかでしょう」

「大広間の根拠は?」

「最も広い場所です。全員で鑑賞できるから、文句がでない」

「どういう意味だ?」

 第三継嗣の確認――わからないということを素直に表明できるのは、指揮官として正しい資質だと舩坂は知っている。だが、その事実が無性に気に食わない。

「個室で女とやる場合、抜け駆けしてひとりで二回、三回気をやる奴がいるかもしれんでしょ。皆、一刻も早くやりたいんだ。ですから、それは許されない。よって公平を期するには皆で監視する必要がある。――まぁ、見て楽しむってのも理由なんでしょうが――」

「なるほどな……。衆人環視の中での強姦……それが彼等なりの秩序ということか」

「そういうことです」

 第三継嗣は何か考えてから、傍らの女武芸師範に向かって言った。

「――里海師範、少し外しますか?」

「いいえ、結構です」

 里海と呼ばれた女武芸師範に動揺は見られなかった。

 舩坂は第三継嗣付きの女武芸師範を横目で観察してみた。厳つい面頬を付けているので素顔は見えない。だが背筋が伸びて姿勢が良かった――舩坂の思う良い女の第一条件は満たしている。

 女武芸師範の外套の下は焦茶色の革鎧。籠手と脛当ては金属で補強されているが、軽さを重視した造作だ。どこぞの剣術家の息女という話だが、舩坂は詳細を知らない。

 不意に舩坂の股間が少しばかり疼いた。この仕事が終わったら娼館に行こうと舩坂は心の中で決めた。結局の所、自分も賊と大きな差異はない。きちんと金を払うか、暴力で押し切るかの差だけだ。

「よろしい。――では副長に再度問う。教導師の私室という根拠は?」

「そちらについては理由がふたつ。ひとつは拐ってきた人間に価値がある場合。この場合、高く売るために傷物にはしません。そしてもうひとつは――頭領がひとりで楽しむ場合です」

 再び部下たちから下卑た笑声が上がった。ずるいとか、汚ねぇ奴だという言葉も聞こえた。だが、それは長く続かなかった。

 第三継嗣の顔に表情がなかった――沈思黙考。何故かはわからないが、第三継嗣が怒っているのではないかと副長は思った。

「……副長、人質が自力で逃げてくる可能性は?」

「無理ですね。反撃できるものじゃないですよ。――大抵はじっと耐えるんです。その方が余分に殴られなくて済む」

 自然に視線が女武芸師範に移動してしまう。鷹乃領では女の武人は珍しいのだ。それにいたとしても、大抵は貴族階級の女性の護衛の仕事についている。里海師範と呼ばれた女武人のように、男子の後継候補に付けられることは滅多にない。

 不意に里海師範と視線がぶつかり、その圧力が舩坂から言葉を吐き出させた。

「……人質の女を盾にされた場合、どうします?」

 その場合、領民を見捨てることを許すのか――無論、簡単に答えの出せる問題ではない。士気への影響を考慮すれば、あやふやにしていた方がいい時だ。しかし舩坂は第三継嗣の器量を探ってみたくなっていた。

「無論、捕まった人間の救出が最優先だ」

 想像していたよりも躊躇いのない答えが戻ってきた。だから舩坂は意地悪く質問を重ねてみた。

「兵の命よりも? 村娘と訓練して育てた兵の命を天秤に掛けるわけですか?」

「そのために兵には俸金を払っている。――誤解してくれるなよ、副長。鷹乃が領主として、この地にあるのは、その責務を果たしているからだ。それは私も同じだ。我々は治安を維持し、民に安寧を与えることで領主としての責任を果たさねばならない」

 見事なまでの正論だった。やはり第三継嗣はまだ若い――舩坂は、そう考えることにして、それ以上揺さぶることを止めた。

 廃聖堂を攻略するための手順が少しずつ纏められていく――少数による裏口からの侵入。時機を合わせて正門からの主力突撃。

 夜間である。多人数に包囲されたと賊どもに錯誤させることができれば、あっさりと降参してくる可能性はある。正門を吐龍機で制圧するというのも正解だと舩坂は思った。

 吐龍機とは火の点いた燃水を放出する兵器だ。操者は燃水の入った樽を背負い、筒先を相手に向けて使用する。射程はおよそ五間。弓矢に比べると飛距離は貧弱であるが、灯明油よりも燃え易い燃水が人体に付着すれば、川にでも飛び込まれない限り、確実に相手を焼死させることができる。主に攻城戦に使用される兵器であり、通常装備ではないのだが、偶然にも放火犯への火刑による死刑執行のために警邏隊が運んでいたのだ。

「廃聖堂は焼けても構わないが、攫われた女たちが巻き込まれないようにしてくれ」

「わかりました。――で、裏口からの侵入は誰が? 戦の要です」

 人質がいる可能性がある教導師室の制圧を担う少数の突入部隊――舩坂は隊の手練の者たちの顔を思い浮かべる。

「すでに決めてある。――私と里海師範が裏口から先突する」

 思わず言葉を失う――この御曹司は何を言っているのだ。

「どうした? ――あぁ、女の尻に付いていく情けない奴だとは言わないでくれ。里海師範は傍に置くように厳命されているのだ」

 いいえ――慌てて第三継嗣の言葉を打ち消すが、その後が続かない。部下たちも完黙していた。まるで物の怪を見ているかのような表情で、舩坂が発言するのを待っている。

「裏口は自分か甲野が――」

 領主の一族に最も危険な仕事を任せるわけにはいきませんので――辛うじて言葉を返したが、第三継嗣は真顔のままだった。それから、さも当然の如く言った。

「私がやる。――私はまだ諸君に己の武を示していないだろ?」



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