敬具、こういう理由で死にかけていました



 だが、先生は相変わらずそっぽを向いている。


「先生! ……あれ? ちょっと? 先生!?」


 そして突然、俺が居る場所から1mも無いような場所の床がバックリと切れる。床だけではない。壁も天井も、車両そのものが綺麗に切り離される。床に倒れているジョーダムもハーフサイズにも切れる。

 切り離された先頭部分、機関車は、俺たちが居る車両を置いて先に進んでいく。


「……へ?」


 なおも揺れが激しくて起き上がれない俺のすぐ足元には、緑の深い谷が見える。即ち、車両の外が見えている。風が冷たく、耳元でがなり立てる。

 更に、床に這いつくばりながら振り返って見ていた俺の目の前で、さっき切り離された機関車が、金色の大きな手に轟音と共に殴り飛ばされて谷底へと落ちていくのが見えた。

 おそらく、機関車を切り離したのも先生なのだろう。


 何とか近場の座席に捕まろうとしたとき、先生が俺の方を見ずに言った。


「茶島くん。流石にちょっと、僕でも傷ついたんだ」


 背後で、機関車が谷底に落ちた時の轟音が俺の尻まで届いてくる。


「ブレーキが壊されてることは予測してたから、各車両の車輪に『ヘルマプロディトス神代錬金術ヶ最奥魔術改変』を仕込んでブレーキの役割にしようとしてたんだけど……でもそれが、その仕込みがまさか“手抜き”と言われたら、ねぇ……落ち込むなぁ」


 え? あ! さっきの、そんなに堪えたの!?

 先生は尚も俺に目を合わせずに言い放つ。すごく嫌な予感がする。


「まあ、そういうわけで、車両を急停車させようと思うんだが、茶島くんは

「慣性の法則ってたしか……急に止まっても中の物まではすぐに止まらないっていう……」


 あっ……ああっ!! 待って!!

 走る電車に今まさに急ブレーキをかけようとしている最中に聞くってことは……!


 すごく冷めた目で、俗にいう養豚場の豚を見るような眼で、少年は俺を見下ろしていた。


「というわけで、“慣性の法則”を実体験してきて」


 そして、一段と大きな衝撃が車両を襲い、突如車両が急停止する。




 かくて、俺は宙に放り出され……ことになった。

 世界が、すごくスローリー……嗚呼、空は青いし山は緑で見えてる水平線はきらきらと……


 というわけで、俺は冒頭で言ったように……死にそうな状況になったわけだ。

 まぁ、もちろん死なずに済んだわけなんだが。










「はい。正直、すみませんでした。死ぬかと思いましたごめんなさい」


 結論から言うと、俺は地面に落ちる前に『ヘルマプロディトス神代錬金術ヶ最奥魔術改変』で助けられた。

 助けられたとは言うが、落ちていく最中に無理に足を引っ張られ、バンジージャンプが如く上下に振り回され、数分の間逆さまのまま宙づりになっていた。

 絶対にバンジーのごとく振り回される必要はないだろうと思ったが、流石に黙って振り回されることにした。


 その後、車両まで引き上げられて今に居たる。


 先生は仁王立ちで腕を組んで何か言いたげに口をとがらせて睨んでいたため、とりあえずまた投げ出されないために俺は平謝りした。


「うん……ともあれ、電車は止まったし、ハイジャックも退けたね。とはいえ、こんな橋のど真ん中で止まってしまってどうしたものか」


 先生がため息交じりながらも話題を変えてきた。ということは、なんとか許されたらしい。良かった。


 ところで、先生も言っていたが、機関車はもう谷底。駅まで歩いて行ける距離なのかどうかも分からない山中のようだし、俺たちは、もしかしなくても取り残されている状態なのではないだろうか?

 俺は先生に言う。


「そもそも、『ミッション』に行くための足として電車選んだわけですし……どうします?」


 そう、元々、使徒としてのミッションで“この時代”に来ていたわけだが、ミッションがある場所から少しずれた場所に来てしまっていたため、“電車で現地まで行く”ことになっていたのだ。


「そうだねぇ。いくつか手はあるけれど……」


 と、言いかけたところで、床に残っていたハーフサイズのジョーダムの口から声が出る。


「おや? お困りのようですね?」


 一瞬ドキッとした俺を脇に、先生がその人狼の亡骸を見下ろしながら、嫌そうな顔をして言う。


「この悪趣味なコンタクトの仕方は……聖霊のクソ野郎か?」

「Yes! 神の御使い、使徒と神の橋渡し役、墓マイラーのアイドル、あなたの聖霊さんの登場ですよ」



 聖霊、とは……まぁ、本人が言うように神のミッション内容などを使徒に伝える役割を持つ、姿の分からない存在だ。

 他にも、“使徒を目的の時代に転移させる”のも、この聖霊さんの持つ魔術的なサムシングによるものらしい。つまり、使徒の上司、のようなものだ。

 年代を移動するときは聖霊の力が無いと移動できないらしい。

 曰く、聖霊とは高次の存在過ぎて人の目に映らないので、何か喋らなくちゃならない時は近場の人型の物に宿るのだとか……どこの何某Xじゃあるまいに。


 というわけで、今回はジョーダムの亡骸に宿ったらしい。

 その聖霊に対して先生は恨み言を込めながら言う。


「ああ、神のクソ野郎に飼われてる優秀な聖霊様じゃないか。優秀過ぎて転移先が数キロ離れてたせいで電車に乗ることになっていたんだが、どうしてくれるのかね」

「待て、使徒よ。我が前で、をそのような下品な呼び方をすることは許さない。訂正したまえ」

「ちっ……ほんと、僕は君たち嫌いだよ」

「あ! あと、この時代は汽車ですぅ! 電車じゃないのだよ、使徒よ!」


 そういえば、この時代の人に電車って言っても通じてなかったんだろうな、と、今更気づいた。


「本当に面倒だな、もう!」

「それはそれとして……さあ、言い直しなさい、使徒よ。主をそのように呼んではいけません」


 聖霊たるもの、使徒にはやはりアドバンテージが有るらしい。

 とはいえ、あの神にしてこの聖霊あり。この聖霊さんとやら、主が主だけに、性格と言動が……


「いいですか、使徒よ! 丁寧に言い直しなさい! クソでなく、『』と言いなさい!!」


 言動と性格が……あの神にしてこの聖霊あり。

 先生の眉間にしわが寄る。

 先生の言葉は口に出なくてもわかる。「は!? それを、言えと? 正気? 滅茶苦茶言いたくないんだが?」


 が、聖霊や神の言うことには使徒は絶対である。言えと言われた以上、言うしかないのが使徒である。


「ぐっ、この……! うん〇野郎!」

「いいえ、まだです! 『』をつけなさい! 『』を!」

「御うん〇野郎!」

「そうです! リピートアフターミー! サンハイ!! 御〇んち!!」

「御〇んち!! この御う〇ち野郎!!」

「Yes! 御うん〇!!」


 白髪で真っ白な肌の絶世の美少年が、怒りと恥ずかしさで耳を赤くしながら力の限り「う〇ち」と叫ぶこの光景を楽しんでいるようにしか見えない。

 ってか汚いよ。複数の意味で汚い。


「おっと、そうだった。遊んでる場合ではありませんでした。通達ですよ、使徒よ」


 やっぱ遊んでたんかい。

 先生が声にならない怒りに、金魚のごとく口をパクパクしているのを脇目に、ジョーダムの死体が喋る。

 そういえば、聖霊が来て喋るということは、目的が有って来ているはずだ。例えば……


「今回、1800年代にもかかわらず“人狼”が生き残っていた件に関して、これを修正すべき事案であると神はお考えになっておられます。

 すなわち、原因になった時代へ行き、原因の排除を命じます」



 そう、『ミッション』の通達、とか……





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