思考がぐるぐる回っている

 時々、思考の袋小路に迷い込むことがある。

 別段、哲学的な事を考える訳でもないが、創作を行うようになってからはその頻度が上がっている気がする。


 思考に惑うと言えば聞こえは良いのだが、私の悩みなど高々知れている事だ。

 例えば、何故小説を書くのか? とか、分り切った事をうじうじと考える。

 

 私は表現者になりたいと思っていたが、それを早々に諦めた男だ。

 或いは、諦めるなどと言う以前の話であったかもしれない。


 流されるように生きてきただけとも言える。

 それで生きて来れたのだからよい身分ではある。


 それが近年、一念発起して小説など書き始めた。

 そのおかげで、こうしてうだうだと思い悩む。


 今考えているのは概ねこんな事だ。


 何を書きたいのか、如何して書きたいのか。

 誰に見て貰いたいのか、どんなテーマを忍ばせたいのか。

 書き続ける事が出来るのか、こんな表現で良いのか悪いのか。

 有体に言えば受けるのか、受けないのか。

 

 或いはこうも考える。

 誰かの模倣ならば、その誰かの作品を紹介する方が読者にも私にも良い事だ。

 C・A・スミスの作品を模倣するだけならば、C・A・スミスの作品を紹介する方が何倍も良い。

 これがロバート・E・ハワードでも同じことだ。

 前述の二人は、結果を出している小説家で、面白さ矢表現能力も担保されている。

 似たような事をやるだけでは、過去の偉人に到底かなう訳もない。

 似たようなことをやりつつも、武器を持たねばならない。

 自分だけの武器を。


 さて、上記の問いかけに答えを返すには如何すれば良いか。

 何はともあれ考える事しかない。

 私はC・A・スミスの描く様な終末世界を書きたい。

 終末世界の、あの荒涼たる風景と甦った太古の神や悪魔が跋扈する世界を描き切ったその表現に挑戦したい。

 だが、そのまま書いたのでは駄目だ。

 古臭いし、何より本家の方が良いに決まっている。

 だから、如何するのか?

 自分だけの武器はどれだ?

 引き出しが足らないならば本を読まねばならないし、何かほかの娯楽に手を出す必要もある。


 アイデアは幾つかある。

 だが、安易に書き出せば、苦しむのは自分だ。

 だから深く考えろ。

 何を書きたい?

 何を書ける?

 自分で読みたいか?

 そして、誰かが求めているのか?

 最後は、まあ無視しても良いが、如何なのだ?


 と、まあ、こんな事をずっと考えている。

 ぐるぐる回る回転木馬だ。

 

 あんまり良くない傾向に思えるから、一層の事暫く創作から離れるか?

 

 だが、それが出来るんだったら、とっくにやっているんだよなぁ。

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