第7話
「きみ、毎日毎日僕のところに来て、学校に友達とかいないわけ」
ずっと思っていた疑問だが、こんなタイミングであおいにぶつけるとは、なんだか八つ当たりのようだ。
「……別に。いるけど、学校の奴と遊んでも楽しくないし」
「学校、つまんないか?」
「じゃあ大学は面白いのかよ」
「別に。面白くはねーよ。ただ、小学校とか、中学校とか、高校よりはずっとマシ」
「みゆきって友達いなかったの?子供の頃」
「なんだっていいだろ。……てかきみ、ほんとにちゃんと小学校行ってるんだろうな」
「は?何なのさっきから。俺が登校拒否とかしてるように見えんのか?」
「別に。行ってるんならよかったよ」
昔の自分が、登校拒否でもしていたら、逆にマシだったかもしれない、と思う。たぶん行幸には、登校拒否をするほどの度胸もなかった。登校拒否をしていた子がクラスにいたこともあったが、彼らは少なくとも、登校拒否という手段を使って何かに抵抗していたという点では、行幸よりよほど勇気があるだろう。例えそれが登校拒否のようなものでもいいから、意思表示をすることもなく、悩みがないのではなく、悩みすら感じないほどに無感動に生きてきた。それが自分という人間の10代だったのだろう。
そろそろ日が落ちるな。そういえば、電気を点けるのも忘れていた。部屋が薄暗い。
「あのさ」
あおいに呼び掛けられる。あおいは夕日が細く射し込む窓を背にして、薄暗がりの中にいる。
「いつも俺のことカメラで撮ってるけど、撮ってどうすんの」
「……何、急に」
「どうせ撮るなら、俺の身体でも撮ったらいいじゃん」
そう言ってあおいが自分のTシャツに手を掛けたので、行幸は慌ててその腕を抑え込んだ。
至近距離で見たあおいの顔は、寒気がするほど無表情だった。
「……僕はガキの身体になんて興味ねえよ」
やっとのことで発した言葉が、こういう場合の返答として果たして正しいのかは分からない。
「みゆき、俺は……」
耳元に子供らしい高い体温を感じる。熱い息が行幸の首筋にかかる。のに、行幸の背筋にはぞっと冷たいものが走って、今にも震え出さんばかりだった。
もういい。続きを言うな。
「きみ、何言ってんの」
目を見開いて発した声は、自分の声と思えないほど冷たかった。――そんな自分に嫌気がさした。
あおいはふっと身体の力を抜くと、行幸の腕の中からするりと抜け出し、黙ってアパートの部屋を出て行った。行幸は、その背中をただ眺めていることしかできなかった。
わけもなく、誰もいない道を、ハイヒールで駆け抜けたくなることがある。
何も、女物の服や靴を全部捨ててしまったわけではない。行幸は欲望に忠実に、随分久し振りにグレンチェックのワンピースとヒールの靴を引っ張り出した。
家を飛び出し、夕暮れ時の住宅街をただ走った。どこまで行くか、そんなことは決めていなかった。ただ、頭を空っぽにしたかったのだと思う。
走って走って振り切ってしまいたい、いくつもの考えが頭に浮かんでいた。
あおいに好意を持たれていた。
しかしそれがどんなベクトルのものなのかが分からない。10は年下であろう少年のあおいが、男のフリをしている自分のことを好きだと。あおいの恋愛対象って、男なのか?それとも、本当は行幸の正体を見抜いていて、その上で――?
「わからない……」
呟いて歯を食いしばる。自分の足音が歯にまで響いている気がした。
と、いうか。
行幸は一つの可能性に思い当たる。
あおいは少年のはずとばかり思っていたが。やけに華奢な手足。いつもぶかぶかの服。
あおいも、私と同じなのではないか。
そうなるとより、話はややこしくなるが。
あの時、あおいに流されてそのTシャツを捲ってみるべきだったのか。
――いや。知ってしまうのは、怖かった。知らなくていいと思った。
どんなあおいが、どんな行幸のことを好きになったのか、それは分からないが、考えても仕方ないことのような気がした。あおいが自分のことを好きになってくれた。その事実だけでいいではないか。
走りながら、叫び出しでもしたいくらいだった。足を止めると、息が切れて、意識が一瞬遠のいた。苦しかった。このまま死ぬんじゃないかと思うくらい苦しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます