第168話 最高の誉め言葉を相棒に
満天の星が降るような夜空。流れる天の川を背景に、青いイオンの火を放って、巨大な妖怪が飛翔している。
妖狐・妲己狐が飛翔する高度は、目算で300メートルから500メートル。飛行機の高度としてなら低空だが、完全にヒチコックの拳銃の射程距離外だし、カエデや死織の攻撃魔法も、あそこまではとどかない。
しかも、死織たちが見上げる妲己狐の巨体は、ぱっと一瞬姿を消すと、数百メートル離れた位置に突然現れるテレポーテーションを繰り返している。あれでは、たとえこちらに高射砲があったとしても攻撃するのは難しい。
さらに。
これだけの距離が開いているというのに、戦闘画面が解除されない。ということは、妲己狐はまだまだ死織たちに襲い掛かる気であるし、反面死織たちは戦闘パレットへのアイテム補給ができないことになる。
『ハルマゲドン・ゼロ』は、もともとただのVRゲームであった。戦闘時の緊迫感を高めるために、戦闘パレットというシステムが採用されている。すなわち、戦闘時に使用できる消費アイテムに制限があるのだ。
たとえば、ストレージにHP回復薬を100個所持していても、戦闘時にそれをすべて使うことはできない。敵とのバトルの最中に使用できる回復薬は20個と制限されていて、その最大20個は、戦闘パレットに事前に入れておく必要がある。
死織はここまで、このアイテム制限に苦しめられることはなかった。
自分はいつも格闘モードで戦ってきたし、相棒のヒチコックはレベルが低すぎて、敵の攻撃を喰らえば一撃死してしまう。すなわち回復魔法の出番も少なく、
だが、今回の戦闘は集団戦であり、彼はクレリックとして、本来の仕事、回復役を担うこととなった。回復、回復、回復だ。とにかく味方へのHP回復である。そして、集団戦において、この味方の回復ほど強い武器はないのだ。
それはどんな攻撃魔法よりも、味方を勝利に近づける武器だった。
今回死織は、MP消費の激しい全体回復魔法を撃ちまくり、さらにMPを大量消費する神聖属性の全体攻撃魔法も撃ちまくった。
いままで半分も減ることがなかったMPは、あっという間に枯渇し、魔法薬をがぶがぶと飲みまくることになる。
クレリックがパレットに装備できる魔法薬の量は20個。これが剣士や忍者だと10個になる。
死織は魔法薬を20個パレットに入れておいたが、さきほどの戦闘でそのほとんどを使い切っていた。もし一度戦闘画面が消えてくれたなら、そのタイミングでストレージからあらたに魔法薬を補充することができたのだが、いまだ戦闘は継続中。
もしこのまま妲己狐がここに着陸してきて死織たちに襲い掛かれば、魔法による回復のできない死織たちのパーティーはあっさり全滅すること間違いなしである。
本来、ゲームに緊迫感をあたえるための戦闘パレットのシステムだが、この縛りが今までにどれほどの地球人プレイヤーを苦しめてきたことか。
せめてこのパレットによる消費アイテムの縛りだけでも手を加えたうえで『ハゲ・ゼロ』をダーク・レギオン討伐用のプログラムとしてスタートさせてくれていたら、地球防衛の戦局は大きく変わっていたはずなのだ。
そう思うのは死織だけではあるまい。このゲームに参加しているすべてのプレイヤーがそう思っているに違いなかった。
「死織さん」
獣化したままのイガラシが声を掛けてきた。ふだんは背の低いナース姿だが、いま彼女は、銀色の毛皮に包まれた巨大な狼の獣人に変化しているため、死織のことを見下ろすことになる。
「これ、どうぞ」
AR画面が開き、『イガラシさんから、魔法薬10個を渡されました。受け取りますか?』のメッセージが表示される。
「すまない、イガラシ。助かるぜ。でも、自分の分はちゃんと残しておけよ」
死織は心からの笑顔で、『イエス』をクリックした。
「もちろんです。でも、召喚士のMP消費は大したことないですから」
この状況で魔法薬を補充できるのは、ほんと助かる。イガラシは召喚士になる前は、死織と同じクレリックだった。だから、魔法使いが魔法薬の消費に苦しむことをよく分かっていて、自分の所持している分を回してくれたのだ。
さらにイガラシは、周囲のプレイヤーたちにも声を掛けてくれる。
「みんな! もし戦闘パレットに魔法薬を入れている人がいたら、できるだけ死織さんとカエデさんに回してあげて」
瓦礫をどかしていた真冬が振り返り、「あー」という顔をしてぺこりと頭をさげる。
もっていないということらしいが、まあ、LV2とか3とかの剣士は、そりゃー魔法薬は持ち歩かないだろう。
だが、隣で瓦をどかしていたヒチコックが走ってきて、死織に魔法薬を三つ、手渡してきた。
「いや、手渡しすんなよ。アイテム選択して、『渡す』をクリックしろよ」
文句を言いつつも、ありがたく受け取る。
よく考えたら、ヒチコックに魔法薬をいつも所持しておくよう死織は頼んでおくべきだっな、と少し後悔する。
もっとも、いままで魔法に頼るシチュエーションがなかったのだから、仕方ない。だが、それは思い返してみたら、死織がヒチコックを回復してやる必要がなかったからだとも言える。
ヒチコックのLVはいまや5。一撃死することもないHPをもっているのだから、ダメージを喰らったら回復してやる必要がある。
あらためて気づいたが、ヒチコックはこれまでの冒険でほとんど敵の攻撃を喰らっていない。
──あれ? もしかして、こいつ、凄いやつだったりして……。
と思ったが、褒めるとまた増長するから、口ではぜんぜん別のことを言う。
「おめー、なんで魔法薬なんて持ってるの?」
戦闘パレットに入れていることも不思議だが、そもそもなんでこいつ、魔法薬を買った? ガンナーに魔法薬はまったく無用のアイテム。そもそも、こいつの戦闘画面にはMPゲージ自体がないはずだ。
「いやー、魔法薬って、飲むとコーラ味するじゃないですか。だから、戦闘中に飲もうと思って持ってたんです」
大真面目な顔で言われた。
「いや、たしかにコーラ味だけどさ。魔法薬だぞ。必要ねえだろ、おめーには」
「でも、お店でコーラ飲むより、安くないですか? 魔法薬って、5Gですよね、どこで買っても」
「まあ、消費アイテムだからな。でも、炭酸は入ってないだろ」
「ええ。でも、そこは戦闘中ですから」
シリアスな顔で言われた。
死織は、こいつアホだな、と半眼でヒチコックのことを見つめる。
──もっとも、関西で「アホ」は最高の褒め言葉だと聞いたこともあるが。
「おい、死織ん! 見つけたぞ」金太郎の声が響いた。「神器『封魔の鏡アマテラス』だ」
「了解!」
死織は一度空を見上げると、こちらに手を上げて合図している金太郎のもとへ瓦礫の山を越えて走った。
いまも、お江戸の空を、妲己狐の巨体は駆け巡り、テレポートを繰り返しながら、容赦なく地上へとプラズマ火球を放っている。
早いとこどうにかしないと、この大江戸八百八町、「嘘より多い江戸の町」は本当に消えてなくなってしまう。
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