土方真冬にとって、ここは大切な自分の居場所だった

第139話 真冬の焦り


 おまえは、この場所が大切ではないのか?


 その怪異な男は、炯々と光る両眼で真冬のことを睨みつけ、そう言ったのだ。

 おまえは、この場所を失ってもいいのか?と。


 でっぷりと太った男だった。色が黒く、体毛が濃い。目だけがぎらぎらと光り、なにか人間離れした凄みがあった。獣じみていると言ってもいい。


 真冬の生業が新選組隊士であり、その男の役職が火付盗賊改方の頭であることから、幕府の命令系統の上では、彼は真冬の上士となる。一介の隊士が奉行待遇の重職の命に逆らうことはできない。

 いや、身分家柄の問題ではなかった。

 真冬は彼に見つめられ、まるでヘビに睨まれたカエルのように射竦められてしまったのだ。彼には逆らえない、そう脳に刷りこまれてしまったのかも知れない。

 しかも、彼は、真冬の痛いところを突いてきた。


「いやです。ここを、この場所を失いたくないです」

 真冬は強く首を横に振っていた。なにがいったい真冬をそこまで執着させたのかは、自分でもわからない。気づいたときにはもう、絶対にこれをしなければならないと信じ込んでしまっていたのだ。

 いいとか悪いとか、そういう判断はすっ飛ばして、しなければならないことになってしまっていたのだ。


「ならば、江戸に入府する者を見張れ。その者たちがここへ楽しむため以外の目的で来ていたことが分かったら、すぐに火付盗賊改方へ報告いたせ。それ相応の謝礼を支払うし、特別の便宜も図ってやる。いいな、江戸に来た新参者を見張り、その動向を知らせるのだ。安心いたせ。この密偵を命じられている者はおまえ一人ではない。大勢の仲間が、おまえにはいるのだ」


 真冬は、それから毎日のように四谷見附の木戸を見張るようになった。

 木戸の近くには、古着屋総兵衛の店がある。川原に幾本もの紐が張られ、色とりどりの古着が甍の波のように風にはためいている。

 その古着の中に身を潜めて立ち尽くし、あらたに江戸に入って来た者を、毎日毎日、見張りつづけたのだ。

 そして、彼らの動向を探るために接触し、問題があるようなら報告した。それが理由で姿を消した者も少なくない。

 だが、それは必要な措置だった。そいつらはこのお江戸を破壊しにきた者たちなのだ。それは排除しなければならない異分子なのだ。


 今回見つけたのは、死織とヒチコックという二人のプレイヤーだった。

 新参者は江戸では目立つ。洋服を着ているし、古着屋で購入した和服は着こなせていない。

 真冬は彼らの会話を盗み聞きし、その動向を探った。


 花魁を目指してド派手な着物を買い漁ったのに、失敗して遊び人になってしまった死織。ヒチコックの言によれば彼女は実は中身おっさんであるらしい。


 また、リアルな女子中学生のヒチコックはどうゆうセンスか、絵に描いたような岡っ引き装束で、そのまま岡っ引きになってしまった。


 CGっぽい美少女顔の死織はあきらかなゲームキャラ。いっぽうヒチコックの容姿は作られた感じは全くなく、よく言えばナチュラル、はっきりいえばダサい。これすなわち、ログイン時にやらかして素顔で参戦している失敗組。


 しかし、中身おっさんの死織と、やらかし女子中学生のヒチコックは、なぜか羨ましいくらい仲が良かった。そう、その仲の良さは、真冬にはまぶしい程だったのだ。

 そして、二人はとても、楽しそうだった。このデス・ゲームにログインしているというのに。



 真冬は昔から歴史好きだった。

 中学のころから幕末にハマり、マンガや小説を読みまくった。ただし大学では歴史は学ばず、社会学を専攻した。彼女にとって歴史とは、楽しい趣味であって、専門的に研究する世界ではなかったのだ。

 歴史好きが高じて、古武道の道場に毎週日曜日、通うようになった。


 本当は天然理心流を習いたかった。隣の県で教えていると知り、見学に行ったこともある。が、実は天然理心流には二流ある。近藤勇の流れと、もうひとつだ。

 その道場は、近藤勇の流れではない方の天然理心流だった。にもかかわらず、『試衛館』を名乗っていた。だから、やめた。


 仕方なく、家に近い体育館で教えている柳生新陰流を習うことにした。小説や時代劇で有名すぎて、逆にちょっと恥ずかしかったが、先生はしっかりした人だった。

 鍋島茂雄先生という人で、先代の柳生先生に教えを受けたという。人柄も遣い方も柔らかく、袋竹刀や木刀で教えるよりも、講義をしている時間の方が長いような先生だった。

 厳しい稽古を期待していた真冬だったが、それはそれでいい雰囲気の道場ではあった。


 そんな彼女は、政府が参加を推奨している『ハルマゲドン計画』の中に、江戸時代の世界があることを知る。

 電脳空間に構築された『ダーク・アース』には、江戸時代を再現した街があるというのだ。

 彼女は、一も二もなく『ハルマゲドン計画』への参加を決めた。侍として江戸時代で生活すること。それは彼女にとって大きな憧れであり、そしてその憧れへ向かって突き進むことが、いつの間にか自分にとって重要な義務となっていたのだ。

 好きだからするのではない。自分ならこれをやらねばならない。さもなければ、自分は自分ではなくなってしまう。いつの頃からか真冬は、そんな強迫観念に囚われていたのだ。


 そして、真冬は旅立つ。『ダーク・アース』へ、電脳の戦場へ。初めてのVRゲームへ。


 そして辿り着いたのだ、憧れのお江戸へと。


 彼女はとうとう立った。自分にとっての理想郷。自分自身の居場所へと。

 ここは彼女の世界だった。守るべき故郷なのだ。だから、なんとしても失うことはできなかったのだ。



 だが、今回は大変なことが起きた。

 あたらしく監視対象とした新参者の死織とヒチコックがやらかしたのだ。


 まず、ヒチコックが隠蔽されている幕府クエストを見つけ出す。さらに、彼女は江戸に潜む妖怪「河童」を水の底より引きずり出し、死織がそれを退治してしまう。

 さらに二人は、あの伝説の「三種の神器」を探すクエストに手を出した。


 この「三種の神器」は火盗改の鬼刑部こと中山刑部が血眼になって探しているレア・アイテムであった。

 このお江戸に存在する、強力な妖怪退治のチート・アイテム。それを探索するクエストを受注した死織は、驚いたことにつぎつぎと謎を解き、とうとうそのひとつを手に入れてしまうのだ。


「もし、万が一、あの花魁装束の女が神器を手に入れることあらば、それを必ず奪え」

 真冬は刑部にそう命じられていた。

「いいか、真冬。殺してでも奪うのだ」

「え、でも……。殺すなんて」

「安心しろ。プレイヤーは他のプレイヤーにどんな大きなダメージを受けても、最後の一ドットはHPが残る仕様だ。その状態になったプレイヤーはほぼ動けなくなる。そうなったら、あとはわれわれがやる。おまえはただ、その女の動きを止めてくれればいい」



 そう命じられていた。

 だからあのとき真冬は背後から、死織のことを刺したのだった。

 そうする以外に、道がなかったのだから。


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