死織は苦痛に嗚咽する
第133話 屈指のパワースポット
死織は文字が書き込まれたコースターをランプの下に持って行って光をあてた。細かい文字をはっきりと見るためだ。
すぐに真冬もそばにてき、興味津々でコースターの文字を横からのぞく。
「新しい暗号ですか?」
「ああ。九字の如く読めって、どういう意味だと思う?」
真冬はちょっと考える。
「九字って、九字の印でしょうか。臨兵闘者皆陣列在前の」
「ああ」死織はすぐに理解した。「あの横、縦、横って十字を切るやつか。なるほど」
死織は文字列を横、縦と読んでみる。
サンケン
ノモジノ
カバノイ
シシドソ
ラヨノコ
これを横、縦に読むと、
「サンケンサノカシラノモジノ……」
いやちがうな。一度読んだ字は読まないのだろう。
「サンケンノカシラモジノバシヨノイドノソコ……。三軒の頭文字の場所の井戸の底!」
死織はぱちんと指を鳴らし、真冬も目を丸くして彼を見上げる。
「解けましたね、死織さん」
「ああ。三軒の頭文字だから、えーと、一軒目が清酒庵で、二軒目が正吉、で、ここが……」
「井東屋です」
「とすると、その頭文字をつなげると、清、正、井か……。意味のある単語にならねえな……」
「いえ」息をのんだのは、真冬。「清正井とかいて、『きよまさのいど』と読むんです。東京屈指のパワースポットです。そこの井戸の底にきっと……」
「三種の神器が眠っているってことか」
死織は興奮に声を震わせる。
「で、その
「現在は明治神宮内なんですが、明治天皇を祭った明治神宮は、江戸時代には当然ありませんから……。あ、さっき古本屋さんからもらった絵図をお借り出来ますか。加藤清正の加藤家下屋敷があった場所ですから、お江戸だと武家地の中になると思うんです」
真冬はうけとった切絵図を確認する。明治神宮だから、渋谷、代々木、原宿のあたり。
「いまは、井伊家の下屋敷ですね」
「ふぅむ。大名の武家屋敷ってことか」死織は顎をこすった。「忍び込むのは難しそうだな」
「いいえ」真冬はにっこりと笑う。「武家屋敷の警備って穴だらけですよ。ねずみ小僧が三千両以上も荒稼ぎできたのは、武家屋敷を狙ったからなんです。この前みたいに、中間部屋の賭場に参加する風を装って入り込めば、簡単ですって」
「なるほど。となれば、さっそく行ってみよう。この時刻なら、日没までに余裕で間に合うだろう」
「はい」
真冬はにっこり笑った。
「いよいよ三種の神器とのご対面ですね」
「ああ。そうだな」
死織は、嬉しそうな真冬の横顔を見つめた。
夕闇が迫っていた。江戸の町の甍の波を、夕陽が赤く染めている。
見上げると中天はすでに藍に染まり、夜の青い輝きを放っていた。
井伊家の賭場に参加する風を装って裏木戸から中に入り込んだ死織と真冬は、下屋敷の広大な森の中を宵の明かりをたよりに進んでいた。
「町人は長屋の四畳半につめこまれているのに、お武家さまは町一つ分くらいあるような広大なお屋敷にお住まいなんだな」
屋敷の庭の、あまりの広大さに辟易しながら、石畳の路を進む死織の下駄が、からんころんと音を立てている。
「まるで森だ」
鬱蒼と茂る樹木の枝が、いくえにも月光をさえぎって足元も見えない。とちゅう、がさりと藪が鳴り、ぎょっと立ち止まったが、草の中から焦げ茶色の犬が顔を出しただけ。とがった耳と、突き出した鼻面、人懐っこそうに口から垂れた舌を見て、死織はほっとする。
「見廻りご苦労さん」と声を掛けると、犬はだまって草の中に消えて行く。
背後の真冬も驚いていたようで、「吠えられなくて良かったですね」と告げる声は、ちょっと震えていた。
さらに奥へと進んだ。
それは、井戸といっても、飲料を確保するためのものではなく、ただの、庭のかざりであるようだった。森の奥にある隘路を進んでようやく見つけたそれは、あたかも一服の水墨画のように、そこに景観として存在していた。
「ん? これか?」
死織は驚きとともに、
井戸というより、泉に近い。大きな平型の甕が地中に埋められ、そこに静謐な清水が湛えられている。こんこんと湧き出す澄んだ水は、不思議な青い光を放って、周囲の森を下から照らしているようだった。
まるで、湛えられ水が月であるかのように、足元からやわらかい光があたりに満ちている。
「こりゃ、いかにも凄いアイテムが隠してありそうだな」
死織は裾を払って、井戸のふちにしゃがみこむ。横から覗き込んだ真冬が、
「でも、実物も、本当にこんな感じなんですよ」
と教えてくれる。彼女はじっさいの清正井を見たことがあるらしい。
「しからば、失礼して」
袖をまくり、着物が汚れるのもかまわず、膝をついて乗り出す死織。腕を井戸の底につっこみ、敷かれた砂利の中に指をもぐりこませる。
四角いものが手に触れた。手繰り寄せ、摑み上げて、水から引き上げた。
漆塗りの箱。螺鈿と蒔絵で美しい桜並木が描かれている。青い光を放つ水に濡れたそれは、霊験あらたかにも自ら光を放っているようだった。
そして、その瞬間、ファンファーレが鳴り響く。
『死織さんが、「三種の
視界の中で、メッセージが流れる。
「ゲームしてると、こういうのって、たまらなく興奮するよな」
死織は手の中で、黒い漆の小箱をもてあそぶと、満足げな笑顔でゲットしたアイテムを素早くストレージにしまった。
それと同時か、もしかしたら一瞬早く、背後から抱き着いてきた真冬の勢いに押されて、死織はたたらを踏む。
「おい……」
開きかけた死織の口から、苦痛の呻きがなかば悲鳴のように漏れ出す。
まるで電撃をうけたような痛みがわき腹から胃の腑の奥へと突き刺さっている。痺れて動けない身体でなんとか首をねじると、真冬の抜いた白刃がわき腹に深々と突き刺さり、死織の胴を貫いていた。
「おい、あんた……、真冬さん……」
「ごめんなさい、死織さん!」
早口でまくしたてる真冬。その顔は悲痛に歪んでいる。
唇を引き結び、痛みをこらえる辛さから、くしゃりと潰れた表情で、ぽろぽろと涙を流して泣いていた。いつも笑顔しか見せない真冬は、子供のように泣いていた。
──そんなにつらいなら、やらなきゃいいのに。
意識が遠のいていくというのに、死織は変なところに呆れている自分を笑った。
視界の隅で、自分のHPゲージが真っ赤に染まり、残り1ドットになっている。
──くそっ、アギトのやつ。よく切れる刀、作りやがって……
そのまま、死織は意識を失った。
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