第111話 お江戸のクエスト・ボード
江戸は京都や奈良とちがい、道路が碁盤の目のように走っていない。それは徳川家康が敵に攻められにくいようにと直線の道路を作らなかったためだといわれている。
この攻めにくさは、江戸の中心にある江戸城も同じで、さざえ城と呼ばれる渦巻き型に築城されていた。そして、その城下にひろがる江戸の街も、江戸城を中心に渦巻き状に街が発展していったのだと、死織は真冬から聞かされた。
いま、寿司屋での食事を終えた死織たちは、真冬の案内で神田の街を歩いていた。
寿司屋の支払いは真冬がしてくれた。所持金に不安のない死織は一度断ったのだが、よくよく聞くと真冬の生業『壬生狼』には『無銭飲食』という生業スキルがあって、飲食店での支払いがすべて免除されるらしい。
「なので、ちょっと考証的におかしいこの新選組の浅葱色の羽織を、恥ずかしいけど着ているんですよ」
照れたように真冬は眉尻をさげる。
「飲食無料は、大きいですからね」
いや、飲食無料じゃなくて無銭飲食だろう、と死織は心の中で突っ込む。
なにをするにも、まずはその街の宿を決めておかないとならない。
旅籠は江戸には少ないし、長屋を借りるのが便利で安上がりだと教えられた死織たちは、結局真冬の住む長屋に空きがあることから、そこを借りることにした。
その名も、神田須田町にある『お化け長屋』。名前こそお化け長屋だが、べつに幽霊が出たりはしないそうだ。大家さんにあいさつして、ひと月分の家賃を払い、死織とヒチコックは、裏通りのちいさい割長屋へ入居。
入口は障子。中は四畳半の板張りに一畳半の土間がついた六畳だ。
収納なし。
土間にはちいさい
長屋には、土方真冬の他に、浪人や植木屋の親子が住んでおり、「お江戸」の特徴として、プレイヤーだかNPCだかが極めて見分けづらい。正直浪人はどっちだか分からないが、父母娘の植木屋一家は、これはNPCだろうと死織はあたりをつけていた。
まあ、なんにしろ、初めて自分の部屋を借りて一人暮らしをすることになったヒチコックは、大興奮していたが。
「お、真冬ちゃん、新しい人かい?」
同じ長屋の浪人が声を掛けてきた。
月代は剃らず、伸びた前髪がいかにも時代劇の浪人っぽい。だが髭はきれいに剃っていて、センスのいい紺の紬の二重を、小粋に着流している。
歳のころは、二十代後半。三十まではいっていないのではないか。
細面だが、がっしりとした体格。精悍な狼を思わせる色男。
前さがりに締めた正絹の帯に、ぴかぴかの黒鞘の大小を落とし差し、袴はつけていない。まさに、時代劇に出てくる正義の浪人という感じだ。
浪人のくせに身なりが良い。
プレイヤーだろうか。なんにしろこのお江戸、プレイヤーとNPCの見分けが全然つかない。
気になるなら聞けばいいのだが、なんかそれも憚られる。まあ、これもお江戸の醍醐味というやつだ。
「金太郎さん、こちらは新しくこの長屋に入った、死織さんとヒチコックさんです」
真冬が紹介してくれると、長身の浪人は気さくに微笑む。
「よろしく。俺はこの長屋に住む浪人の朝倉金太郎と申すものだ。おもに傘張りで生計を立てている」
「ども、ヒチコックです。岡っ引きです」
これみよがしに十手を抜いて見せびらかすヒチコック。本来岡っ引きは十手は持たないと聞かされても、そんなことはこいつには関係ないようである。
「どうも、はじめまして。遊び人の死織です。中身おっさんです」
死織は、ヒチコックに暴露される前に自己申告した。
「はっはっは、死織さん。遊び人とは、こりゃまた粋だねえ」
金太郎は快活に笑う。浪人とはいえ、さすがは侍。気品のある笑顔だ。
「しかも、ぞっとするほど、いい女だ。中身が男ってのが、こりゃまたいいや。真冬殿とならぶと、いずれがアヤメかカキツバタ。あ、そうだ。明日の晩は大川に花火があがるんだ。俺と見物に行かねえかい?」
「えっ、花火ですか」
喰いついたのはヒチコックだけ。
「や、お嬢ちゃんは、源さんたちと行くといいよ」
子供に興味はないらしい浪人である。
そこへ偶然出てきたのが、その源さんたち植木屋の一家。おそらくNPCのキャラ達。
「こちらは、植木屋の源さん。こっちがおかみさんのお光さんで、この子が今年四つになる小虹ちゃん。歳は数えです。で、そこに繋がれている犬がチコ」
真冬が紹介してくれた。いちおう死織たちも自己紹介しておく。ヒチコックはすぐに幼い小虹ちゃんと仲良くなり、二人で柴犬のチコを撫でまわしていた。
そのあと、近所の店を真冬に案内してもらう。
通常のアイテムは薬屋で買えるらしい。服は古着屋、刀は刀屋、餅は餅屋。
「店ごとにあつかう品物がちがうのは、ちょっと不便ですけどね」
「で、クエストはどこで受注するんだい?」
「それは口入れ屋です」
そこで、死織はちょっと声をひそめて真冬に尋ねてみた。
「このお江戸にダーク・レギオンが入り込んでいるという噂を耳にしたんだが、それに関する討伐クエストなんかも、あるのかい?」
「え!? お江戸にダーク・レギオンが侵入ですか? さすがに、それはないんじゃないですか」
真冬は死織の話を一笑にふした。
「そんな噂、ここでは聞いたこともないですし、もしダーク・レギオンが御府内に侵入しているのなら、それを討伐するクエストがシステムから自動配信されるはずですから。システムからの自動配信なら、それは『幕府クエスト』にカテゴライズされるはずですけれど、そんなの見たことないですよ」
「へー、幕府クエストなんてものがあるのか」
「はい。でも、いつもボードに並んでいるのは『生業クエスト』ばかりです。つまり、小さい事件ばかりで、ダーク・レギオンを狩るよう指示する大がかりなクエストは、全然みたことないですよ。論より証拠。あそこが口入れ屋ですから、クエスト・ボードを確認してみましょう」
死織たちが足を踏み入れた口入れ屋は大変な混雑だった。広い土間の店内は、迷路のような仕切りで区切られ、その仕切りすべてがクエスト・ボード。草書でぐしゃぐしゃと書かれた毛筆の張り紙がところせましと貼られている。
それらを真剣な表情で見つめるのは、数多の生業のお江戸の住人たち。武士がいたり薬売りがいたり、漁師がいたりと容姿はまちまちだが、ここでクエストボードを覗いているということは、こいつらはみなプレイヤーだということだろう。
死織は彼らのあいだに「ごめんよ、ごめんよ」と割り込んで、クエストボードを閲覧する。
張り紙の上に、拡張現実のレイヤー画面が開いて、上から下までずらりと並んだクエスト一覧が表示される。その表示量があまりにも多いのだろう。スクロールバーのノブが小さくなってしまっていて、一瞬見えないほどだった。まるで、1ページに十万文字くらい詰め込んだWEB小説みたいな状態になっている。
死織は、画面を指で下にスワイプしてみて、即座にあきらめた。
多い。多すぎる。クエストの数が、あまりにも。
『裏庭の草むしりの手伝い』
『迷子のお松ちゃんの捜索』
『長屋のどぶさらい』
『瓦版の校閲』
『両替屋の用心棒』
『湯船の掃除』
『千本薪割り』
『佐渡金山での楽しい採掘』
『猪牙船レースで1位を取れ』
『材木輸送激流下り』
『雨の日の潮干狩り』
『洗い張りの手伝い』
『蛇の目屋の傘張り講座』
『猫と店番』
『蝉のぬけがら採取』
『お寺の落ち葉掃き まかないつき』
『栗拾い』
『大名屋敷の引っ越し手伝い』
『虎が飛び出す屏風絵描き』
『小伝馬町の一日牢屋番体験』
『大食い大会出場』……。
「……これ、全部クエストかよ」
ざっと眺めてあきらめてしまった死織は、画面を閉じた。が、隣ではヒチコックが必死に画面を睨んで、一生懸命スクロールしている。
「これ、みんな生業クエストだな。幕府クエストなんて、ひとつもねえぞ」
ため息まじりにつぶやいて、肩をすくめた。
「だめだ、こりゃ。別の方法を考えようぜ」
死織はいったん退却をうながしたが、「あたしは、もう少し探してみます」とヒチコックは画面から目を離さない。
「じゃあ、俺たちはちょっと他へ情報収集にいってくら。あとで、合流しよう」
「はい……」
あきらめの悪いヒチコックを残して、死織と真冬は口入れ屋をあとにした。
「いいんですか? ヒチコックちゃんを放っておいて?」
真冬が心配そうにたずねたが、死織は「平気平気」と笑った。
「あれで、あいつ、柴犬みたいに頑固だから。俺が何か言ったって、引かねえから。それより、なにか旨いもんでも食べにいこう。お江戸の名物とか、紹介してよ」
「はい。じゃあ、お蕎麦でも食べに行きますか」
「お、いいねえ」
死織はにやりと笑った。
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