ヒチコックは走り出す

第97話 ヒチコック……、逃げろ!


 ヒチコックは室内へ、ダイビングするみたいに飛び込んだ。

 コヨーテはスナイパーの狙撃を喰らってHP残り1ドット。とにかくいまは回復するしかない。つぎに1発喰らったら、それでゲームオーバー。強制ログアウトしてしまうのだ。

 壁の影から、テラスで倒れているコヨーテへ向けて、ヒチコックは実体化させた回復薬を放り投げる。

 緑色の液体が入った小瓶が見事コヨーテの手のそばに転がり、撃たれて身動き取れないが、手を動かすくらいなら何とかできる彼がそれをつかもうとした矢先。飛んできた銃弾が見事に命中して、回復薬瓶が弾けて砕けた。


「あーん」

 両手を頭につっこんで髪の毛を犬の耳にしたヒチコックは、そっと窓から顔の上半分だけ出して、正面の岩山に視線を走らせる。あのどこかに狙撃手がいて、こちらを狙っているはずなのだ。運よく、映画みたいに狙撃銃のスコープが太陽の光を反射しないかと目を凝らしたが、見つけられない。よく考えたら、岩山は南にある。太陽の光が反射することはない。


 諦めて頭を一度引っ込めた瞬間、さっきまでヒチコックの頭があった場所に、ぴーんという音がして窓ガラスに穴が開く。


 怖えー。と思って、さらに首を引っ込めるヒチコック。すぐ隣では、頭を押さえてミセス・ハドソンが丸くなっている。


「ヒチコック……、逃げろ!」コヨーテが呻いていた。「これは奴の……作戦だ。俺……を囮に……お、まえを……狙っている……」


 それは分かっている。だが、ここでヒチコックが逃げたら、スナイパーは確実にコヨーテを始末するだろう。なんとかしないと。なんとか……。


「構わねえ……。にげろ」コヨーテがまだ言っている。「これは、ロレックスのやつが差し向けた殺し屋だ。……俺は、もうすぐ……借金を、返し、終える……。だから、……そのまえに始末する……、……そういうことさ。……明日は、わが身。ほんとだ……な」


「なんとかします。なにか方法を考えます」

 ヒチコックは叫ぶが、コヨーテを助ける方策は思いつかない。出て行けば自分が撃たれるし、回復薬を投げても狙撃されてしまう。


「いいんだ……、自業自得、……さ」

 倒れているコヨーテが口から血を垂らしながら微笑む。

「おまえをあのカジノで嵌めたとき……、俺も協力していた……。バフバスターのスコープで……お前のカードを……盗み見たのは、……俺さ。俺……なんだよ」


 ふいにヒチコックの眼前で、AR画面が開いた。


『コヨーテさんから、「バフバスター」が譲渡されました。受け取りますか?』


          <YES / NO>


「え?」ヒチコックは目を瞠る。「なにしてんすか、コヨーテさん。まだ死んだわけじゃないから、諦めないでください」


「バーカ、……もう、手遅れ、だよ」コヨーテが咳込みながら笑っている。「俺は、今まで、……殺し過ぎた。当然の……むくい……だ」


 ひゅーんと何かが風を切り、コヨーテのワイシャツの胸にばっと血の花が咲いた。彼のHPがゼロになり、その身体が細かい光の欠片となって砕け散ろうとしている。


「コヨーテさん!」ヒチコックは叫びながら、<YES>のボタンをクリックする。


『コヨーテさんから、バフバスターを受けとりました』


『コヨーテさんが、死亡しました』


 目の隅の、味方ゲージが赤く点滅し、すうっと消えていく。


「コヨーテさん! コヨーテさん!!」

 ヒチコックがいくら叫んでも、答える者はいない。コヨーテは死んだ。消えてしまったのだ。

 涙をこらえて、ヒチコックは拳を握りしめる。

「コヨーテさん、いま、仇を討ちますから!」


 ヒチコックは、手にあるカスピアン・カスタムをホルスターに納めると、武器一覧からバフバスターを実体化した。鉄アレイのように重たい銃が、ずっしりと彼女の手の中に落ちてくる。

「ハドソンさん。ここから動かないでください」


 ヒチコックは立ち上がると、狙撃の危険を顧みず裏庭へと走った。どうせスナイパーはヒチコックも殺す気なのだ。ならばもう、ダメもとでやってみるしかない。そのためには、あれが必要だ。

 ヒチコックは裏庭にあるそれを手に入れると、大急ぎで室内に取って返し、ドレッサーの上から手鏡をとって床に伏せた。ほぼ同時に窓に着弾して、いまヒチコックが居たあたりの壁に穴が開く。


 鏡を抱いたヒチコックは、壁に隠れたまま、窓から鏡だけだして岩山を探る。が、やはり敵の位置は知れない。ヒチコックは、鏡を狙撃されないうちに手を引っ込めた。敵は冷静に、今は撃って来なかった。


 ヒチコックは目を閉じ、呼吸を整える。ここはやはり……。


「一か八か、行くしかないっ!」

 叫ぶや否や、飛び出していた。

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