死織・ザ・ドランクモンキー

第35話 黄金のカクテル


 背の低いヒチコックを挟んで、3人横並びでカウンター席についた。

 案外真正面の酒棚がちかく、ずらりと並んだボトルのラベルまでよく見える。

 ウイスキーはスコッチ、アイリッシュ、バーボンと有名銘柄が並び、リキュールは赤いルジェ・クレームド・カシスやグリーンに透き通るミドリ、背の高いイエローのガリアーノが目立つ場所を占めていた。

 ジンは、ビーフィーター、タンカレー、サファイアと色とりどり。ウォッカも、スミノフ、アブソルート、スピリタスと一通りそろっている。

 隅の方にはカルバドスやカシャーサ、そしてアブサン。


 棚の背が鏡になっているので、天井の灯火からの、ゆらめく斜めの明りをうけて、酒の瓶が色彩鮮やかな光をはなっている。

 死織の隣で、ヒチコックが唖然と口をあけて、酒瓶の饗宴に圧倒されている。


「何にいたしましょうか?」

 ジェームズがスマートにオーダーを取りに来る。

 死織はエリ夫を手で指し、彼から注文させた。


「あ、じゃあぼくはジン・トニックで」

「かしこまりました。ジンの指定は?」

「あ、なんでもいいです」

「あたしは、モスコ!」

「おめーは、未成年だろうがっ!」

 死織はすかさずヒチコックに突っ込む。元気よく手を上げてカクテルをオーダーしている女子中学生は、もうすっかり元気を取り戻していた。

「モスコ! モスコ!」

 連呼していやがる。

 ジェームズが困った顔を死織に向けてきた。

「わかったわかった」死織は肩をすくめた。「ジェームズ、こいつにモスコミュールを出してやってくれ、 ウォッカ抜きで


 モスコミュール──ジンジャーエールにウォッカとライム・ジュースを混ぜたカクテルである。


「かしこまりました。死織様は?」

「ああ、そうだな。俺は、あんたの腕を試すみたいで失礼かもしれないが、サイドカーでいこうか」

「いいえ」ジェームズはにっこり笑った。「のぞむところで、ございます」

 ジェームズは立ち去り、すこし離れたコールドテーブルの上での作業に入った。



「サイドカーって、特殊なカクテルなんですか?」

 ヒチコックの頭越しに、エリ夫が訪ねてくる。


「サイドカーってのはさ、3種類の材料をシェイクして作るんだが、そのどれかの味がしちゃあいけないんだ。つまり、バーテンダーのシェーカーを振る技術が分かる、らしいよ」

 死織はいたずらっぽく微笑んだ。

「俺も詳しくないからよく知らないけど」

 と、ぺろりと舌を出す。


 さきに、ロンググラスに満たされたジン・トニックとモスコミュールが運ばれた。

「こちら、ジン・トニックです。で、こちらが サラトガクーラー

 と、ジェームズが違う名前を言ったのだが、背の高いグラスに満たされた、ロックアイスの間をきらきらと炭酸の泡がたちのぼる飲み物にすっかり目を奪われていたヒチコックは気づかず、「いただきまーす」と口をつけて、次の瞬間「おいしぃー!」と目を丸くしていた。


 サラトガクーラー──つまり、ジンジャーエールにライムジュースを混ぜたものである。


 少し間をおいて、ジェームズが死織の分のサイドカーを持ってくる。

 細い足のうえで逆三角形の硝子グラスに満たされた、黄金色の液体。

 おおぅ、これがサイドカーというカクテルか。

 隣でヒチコックが「綺麗ー」とか聞こえよがしに叫んでいるが、おまえにはやらん。


 死織はグラスの縁に、そっと唇をつける。紙のように薄いグラスの縁は、歯を立てると齧れそうだ。そうして、波打つように溢れた黄金の液体を、口づけするように啜る。


 つうっと飲み込む。

 液体というより、なにか冷たいとろっとした物が舌の上をすべり、びっくりするほどの辛さと、喉をとろかせるほどの甘さが同時に、そして完璧な連携をもって攻めてくる。

 神のように辛く、悪魔のように甘い。まるで堕天使のような甘露。舌の上を滑ったそれは、飲み込むまでもなくするすると喉をとおり、胃の腑に落ちて焼けた鉄のような熱さで死織の身を焼いた。


「おおおぅぅぅぅ」

 思わずうめき、顔を上げると、グラスを磨いていたジェームズの笑顔と目が合う。

 これがカクテルか……。


 50mlの水と50mlのアルコールを合わせると、じつは100mlにはならない。

 理由は、アルコールが水に溶けるからだ。これは水とアルコールの分子の大きさに著しい差があるからだ。一篭のバスケット・ボールと、一篭のピンポン玉を混ぜても、二篭にならないのと同じである。


 さきほど、材料を注いだシェーカーを振っていたジェームズの動きは鋭く、腕は残像を残し、シェーカーはまるで走る銀色の光だった。あれほどまでに力強くシェイクされた3種の材料は、見事なまでに融合し、まさに半神半魔の甘露となって、この小さなグラスに満たされていたのだ。


 死織は、上体を引いて腕組みし、大きく唸って、そのきらきら光るグラスに満たされた液体を見つめた。

 カクテル恐るべし。ハマってしまいそうである。


「でさ」空気を読まないヒチコックが、ゲップまじりに訊いてくる。「どうやって、あのドラゴンを倒すの?」


「倒さんわいっ!」

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