第33話 巨大な影


 叫んで死織は駆け出した。

 風が逆巻き、周囲が真っ暗になる。巨大な影が太陽を隠していた。


 小さいころの記憶がふいに甦る。あれは小学生のころ、両親に連れられて東京湾の郵便船による高速遊覧ツアーにつれていってもらったときのことだ。

 海上で停泊し、カメラを構える大人たちの頭上を、羽田空港から離陸した旅客機が飛び越えて行った。機体の腹の、ハッチの留め金まで見えるくらい近い距離だった。ぞっとするほど旅客機が大きかったことを思い出す。


 だが、こいつは、旅客機よりずっと大きく感じられた。異様に低い高度で、しかも音もなく襲って来たのだ。


 広げられた三角の両翼。長い首の先の、矢尻のような頭部。

 着陸態勢に入った超音速旅客機『コンコルド』のような姿勢でアプローチしてきたそいつは、死織の頭髪を掠めるような低空で突っ込み、躊躇なく空を舞う翼竜にかぶりついた。


 ばっくりと開いた大顎はサメのよう。一撃で翼竜を噛み砕き、そのまま太い両脚を掻いて着陸すると、巨大すぎる自身の慣性を殺すように斜面を駆け下り、大きく身を起こして広げた翼でエアブレーキをかける。

 長い首を振り上げて、くわえていた翼竜を一振りして喉の奥に落とし込む。喉がごくりと鳴り、長い首のなかを翼竜が膨らみとなって落ちてゆく。


 キュルルルルルルっ!


 巨大な黒い怪物は、電子音みたいな泣き声をあげて翼を歓喜に打ち振った。


 あり得ないくらい巨大な両翼を広げ、長い首のさきの矢尻のように尖った頭部を振り立てる。足は橋桁のように太く、長く伸びた尻尾は列車のよう。


 ヒチコックのバカ野郎! お前が受けたクエストは、『翼竜討伐』じゃねえ。よく漢字を読め。お前が受注しちまったクエストは『飛竜討伐』! 相手は飛竜! この、巨大な怪物だ!


 そして、『飛竜討伐』のクエストが出現してくるということは、この村が飛竜に襲われるということを意味していたのだ!


「ヒチコォーーーークっ! 逃げろぉ!」


 飛竜の、あまりの巨大さに、ヒチコックは茫然と立ち尽くしている。彼女の周囲をミーミー鳴きながら羊たちが逃げて行っているのに、気づきもしない。


「ヒチコック! 早く! 逃げるんだ!」


 もう一度叫びながら、斜面を駆け下りる。ここで死織が行っても、なんの助けにもならないのは百も承知で、ヒチコック目指して走った。


 やっと正気にかえった、ヒチコックはあたふたと銃を構える。

「バカ! 撃つな! こっちに来い!」


 死織の声に気づいたヒチコックがやっと走り出す。

 おなじダーク・レギオンである翼竜をひと呑みした飛竜は、太い二脚で巨体を支えながら、ながい尻尾を打ち振り、もう一度電子音のような咆哮をあげ、そして逃げ惑う羊たちの群れを、首を巡らせて視界のなかにとらえた。


 羊の群れは怯えた声をあげて、こちらへ斜面を駆けあがってくる。本能的に村へ逃げ込もうとしているのだが、その群れの中には羊たちより走るのが遅いヒチコックとピーターがいる。


「ヒチコック! 羊を撃て!」


 ある程度近づいた死織は、このまま斜面を駆け下るのは危険と判断して、自分も村の方向へと踵を返していた。


 一瞬死織の言っている意味が分からなかったヒチコックだが、すぐに理解して銃を抜くと、コルト・ガバメントを走りながら構えてトリガーを引いた。

 前を走る1匹の羊が、背中から血を噴いて転倒する。

 羊の群れは、倒れた仲間を避けて駆け抜け、ヒチコックはそれを飛び越えてゆく。


 斜面に倒れて血を流す羊。その毛皮の白と血の赤のコントラストに興奮した飛竜が、嬉々として首を打ち振り、尖った頭部を突き刺すようにして、赤い毛皮をついばんだ。

 矢尻のような鼻先が突き刺さり、さらに赤い血がしぶく。流血の興奮に身を震わせながら、飛竜が2度、3度と羊の身を引き裂く。


 いたいけな生贄が動かなくなったことを確認した飛竜は、満足そうに一声鳴くと、上体を起こし、長い首を曲げて上から獲物を見下ろす。一瞬の硬直。そして次の瞬間。

 かぱっと開いた飛竜の口蓋の内側、喉のさらに奥から、一条の閃光が、糸のように細くとがって突き出された。


 じりりっと空気を焼いて走った紫色の光の糸は、草の上に倒れた羊の身体を一瞬で燃え上がらせ、その火が周囲の草にまで燃え移った。


 走りながら背後を振り返った死織の心魂は、奥の奥から恐怖に凍った。


 奴は、あの飛竜は、口からレーザービームを発した。あれは、……ギャラルガーだ。間違いない。

 唐突に失われた記憶の断片が甦る。


 、『光撃飛竜ギャラルガー』だ。

 あいつに襲われた俺のかつてのパーティーは、わずか10秒で全滅させられたのだ……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る