青くて碧いガラス玉

豊羽縁

海。砂。鯨

 空は青く、海は碧い。波は形を変えながら砂浜に押し寄せる。砂はキラキラと日の光を照り返す。


「今日も空は青いね、姉さん」


 僕は隣で古いプラスチック製のパラソルを広げて、その下でサングラスをかけて横になっている姉に声をかけた。


「そうだね。海は碧いなカナくん」


 姉さんはサングラスを外してこちらを見て返事をする。姉の目はこの海のように碧い瞳をしている。髪は薄い桃色をしていて腰の近くまで伸びている。姉弟でありながら僕と姉さんの2人は似ても似つかない姿だ。

 僕らはただ海のむこうを眺めている。雲が時々現れては消えてゆく。地平線の縁には何本か柱が立って見える。あれは旧時代の遺跡だろう、もともと浜はもっと沖の方にあった。それが水量の増加で多くの陸地が沈んだ。その時に多くの住居は遺跡と化し水面に消えたのだ。それがおおよそこの大地が季節を一千程繰り返す程度の昔。かつてここにもヒトは居たがしばらく見かけない。


「姉さんは何を見てるんだい」


 海は碧いといった、姉さんに僕はそう問いかける。姉さんは問いかけに対してAはこうであるに対して、Bはこうであるというような答え方をたまにする。そういう時はBについて話をしてほしいのだろう。


「今日は見れるのかなって、思って」

「何が見れるの?」

 

 僕はこの浜辺にあまり来ない。むしろ浜辺の奥にある白く輝く垂直に切り立った崖の洞窟の方が好きだ。あの中にはたくさんの巻物と石板がある。今までに読めるようになった文字はそんなに多くは無いがそれでも蔵書の3割は読んだように思える。


「そうだね。カナ君は外にあまりでないからね、私が何を知らんのも無理はないね」

「私は毎日、鯨を見てるんよ」


 姉さんは鯨を見ていると言った。しかし、この海に鯨なんていただろうか?そもそも生き物がいなさ過ぎてこんなにも碧いのに。ついに狂ってしまったのだろうか、もしそうなら早いうちに――


「ううん、カナ君が思っているようなことにはなっとらんよ」

「えっ?」

「私が見た鯨はな、絡繰りの羽を持った鯨なんよ」

「え、へっ……」


 姉さんの言う言葉を聞いて、余計に僕は混乱した。実際に見たものでも書庫の情報でも鯨には絡繰り仕掛けなど無かったはずだ。絡繰り仕掛けはヒトの創り出したものなのだから。


「まあ、カナ君が混乱するのもおかしくはないよ。私もこの海を見るようになって初めて知ったんだから」


 そう言われて、僕は2人でもっと内陸に暮らしていたことを思い出した。



 六十季節ほどまえ僕たち姉弟はここから山を2つ越えた盆地の真ん中に住んでいた。そこは今住んでいる海岸沿いと違い、水は生きた水で川には魚が森には動物たちが数多く住んでいた。その盆地で僕たちはヒトにたたき起こされ放り出されてから長い間この場所に住んでいた。その間に2度、光が空から落ちて大地は広くなった。そんな変化があってもここは変わらず豊かな自然がある世界であり続けた。そう僕たちにとってここは世界だった、あるいは庭と言ってもいいだろう。

 しかしそこに住んで一千季節が過ぎたころ、ヒトがこの世界に入るようになってきた。彼らは最初、僕らを仲間だと思い、宴の席や祭りに誘った。僕たちは食事を必要としなかったが生命にとって必要であることは理解していたのでそのように振る舞い、彼らと踊り、楽しんだ。しかし、ある時から彼らは命の長さが驚くほど違うことに気が付いた。彼らは長いものでも四百季節生きればいい方なのに、こちらは四百季節を過ぎても死なないどころか老いもしないのだから。次第に彼らは老いもしない僕たちを恐れて、僕らの住居の周りに壁をつくり神殿を建てた。そして僕らとの子孫をその管理人として置くようになって僕たちと直接目を合わさないようにしたのだった。

 こうなると僕たちは退屈だった。豊かな自然は切り開かれ、僕たちは自由に動き回ることが困難になった。僕たちが偶に森に入るだけでそこが聖地となり、入り口には社が建てられた。こうして彼らに恐れ崇められるようになり、そのことを鬱陶しいと感じた僕たちは初めて引っ越しを計画したのだった。引っ越すとしたらある程度離れていて彼らが近寄らない場所、そう考えているとき彼らの神官がこう言うのを耳にした。「山を2つ越えた海には生き物は無く、大きな化け物たちが闊歩している」と。その話を聞いて僕たちはそこに引っ越すことにした。そこが今いる生き物のいない海岸だ。その時は大きな化け物とは白く輝く崖のことかと思ったがもしかしたら、姉さんが言っていた羽のある鯨のことかもしれない。



 僕たちは海を眺めながら、会話をして、時に沈黙を楽しんだ。そうして日が暮れる、空は段々と紺色になり黒に近づき夜になった。暗視はあっても太陽の下で鯨を見ることはできない。


「姉さん、一度帰らないかい?」


 僕は姉に提案する。僕たちは何も食わなくても、防寒をしなくても生きていける。だけど流石にここにずっといるのは心地良くない。僕の親の生活様式がそうさせるのだろうか。


「ううん、カナ君とここで夜が明けるのを待ちたい」


 姉さんはそう言って僕の提案を拒否した。姉さんの意見に対して僕は断ることができない。だから僕の言うセリフももう決まっていた。それは嫌なことではない。僕にとっては姉さんの幸せは僕の幸せだ。


「わかったよ、姉さん。テントを作るからちょっと待ってて」

「ありがとう!カナ君。大好きや」

「ありがとう姉さん。僕も好きだよ」


 僕は姉さんが立てていたボロボロのパラソルを抜き取り、近くを見渡した。もう少し先に銀色に輝く塊が落ちている。これはいけそうだ。僕は銀色の塊に近づき、パラソルをそれの隣に置きしゃがみ込んで手を添える。目を閉じて集中する思い出すのは書庫で見たテント、キャンプ特集の記事そんなものだ。外界から隔離された集中の中でテントを組み立て終えたときそこには少し汚れた2人用のテントがあった。少し失敗してしまったようだ。


「うん、カナ君も上手くなったね」

「でも姉さんには負けるよ。姉さんならもっと完璧につくれるし」

「そうかなぁ、これもいいと思うんだけどな」

「なら姉さんが作ってみてよ」

「……わかった」


 少し不機嫌になった姉さんはそう言ってテントに視線を向ける、目はつぶらずにテントを凝視した瞬間、少し汚れた2人用のテントは新品の4人用のテントに姿を変えていた。やっぱり姉さんにはまだ敵わない。


「やっぱり、姉さんの方がすごいよ」

「そう、ありがとなっ!」


 姉さんはたちまち笑顔に戻り、長い髪が広がる。やはり姉さんの笑顔は素敵だ。


「姉さん、僕を創ってくれてありがとう」

「こっちこそ横にいてくれてありがとうカナ君」


 僕たちは姉弟、そして母子、マスターと自動人形。そんな存在だ。ふと空を見ると星は美しく天に貼りついている。そしてごくたまに空から降りてくる。


「星が綺麗だね、姉さん」

「月が綺麗だね、カナ君」


 僕たちは昼間と似たような会話をした。月は透明な結晶質の形を誇りながら青い光を煌々と放って僕たちを見つめている。そろそろ風が強くなってきた。


「寒くなってきたし、テントへ入ろう」

「そうだね、カナ君」


 テントの中には寝袋まであった。本当にすごいな姉さんは……。そう思いながら寝袋に入る。ガサガサと音がして姉さんの入った寝袋が横に来る。


「一緒に寝よ、カナ君」

「いいよ」


 僕らはヒトじゃない、だから姉弟で横に寝ても互いに好きでも問題ない、そのはずだ。余計なことを考えながら姉さんに返事をした。よし、日が出るまでゆっくり休もう。


「それじゃあ、朝までゆっくり休もうか姉さん」

「そうだね、おやすみカナ君」

「おやすみなさい」


 そういって横になってすこしずつ眠くなって、僕は眠りに落ちた。




「…カ…ナ君。カナ…君。カナ君!朝だよ」

「なんだい姉さん」


 大きな声にたたき起こされた僕はそう聞き返す。僕はまだ眠い。


「カナ君もう日が出てる。それに…」

「それに、何?ふぁ…あ…」


 欠伸をしながら聞き返す。朝は弱いんだよ…。


「鯨!鯨がいる」


 バサッ!寝袋ごと起き上がる。途中で足をジタバタさせながら、脱いでいく。急ぐあまりテントの出入り口で引っ掛かりテントが傾く。どうにかして開けてテントから出る。


「カナ君はあわてんぼうだね。そんなに急いでも逃げはしないよ」

「そんなの分からないよ」


 僕は姉さんの横に行き、返事をする。


「鯨は何処?」

「慌てない、慌てない。カナ君この指の先をよく見てみ、あれが鯨だよ」


 姉さんが指を伸ばしていく、いくつかの壊れた柱を指先が通り過ぎて太陽の進む方向と反対に少し向かった所で指が止まる。指の先には――


「ああ!鯨、羽の生えた鯨。空を浮いている」


 そう鯨がいた。鰭から分かれた、絡繰り仕掛けの羽をゆっくりと動かしながらあの鯨は飛んでいる。羽の先には僕たちと同じくらいの大きさの宝石を輝かしながら、幽かに光を周辺に撒いている。


「姉さんの言う通りだった」

「そうでしょ」


 綺麗だ。そう思った。こんな美しい景色を姉さんともっと見ていたい。まだ見たこともない景色も。


「これからも一緒に居たい」

「ええよ、これからも一緒に居て、鯨さんにあいさつしよ」

「うん」


 簡単に願いがかなった。とても嬉しい、僕はその膨らんだ喜びをぶつけるように鯨に対してこう言った。


「おはよう!鯨さん」

「おはような、鯨さん」


 姉さんも続けてくれた。気が付いたら日は朝日から太陽へと変わっている。

 この文明が一度終わり、死の海と銀の砂に還った世界。内陸は生きてはいるけど昔とは違う。そんな世界で僕らは生きていく。これからもずっと摩耗し、動力が途切れ再生しなくなるその時まで。僕はマスター姉さんと一緒に居たい。ここは青いガラスと碧いガラスでできた世界。水玉のように全てに比べると小さな世界。そんな所だ。

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