第6話 明確なふれあい



 舞い込んできた非日常が日常に溶け込みながら日が暮れていくその最中、エースは2匹の小竜を連れて自宅へと戻ってきていた。遠回りに帰路をたどりつつ、見えてきた我が家を前にして、エースはつい数時間前の駆け引きが繰り広げられた場所を見ていた。


「そういや、クッキーおきっぱにしてたっけ……」


 あの時興味を引くためにセレシアにもらったクッキーは、エースの記憶違いでなければ確かそのままにしていたはずだった。小竜が食べる前に助けを求めるような素振りを見せ、その後の事がすべて上手く運んだことから、気にも留められずに放置していたことをエースは今更ながら思い出す。


「まぁ、取ったところでさすがに食べられないし、もったいないけどそのままにしとくか……」


 エースと同じように思い出したのか、水色の毛をした方の小竜がふわふわと寄っていくのを呼び止めて、エースは自宅の中に入った。まだ誰も帰ってきていないために静まり返った室内に、エースの背後にいる2匹から漏れる鳴き声が響く。


 それを聞いたエースは、何かに気づいたように後ろをくるりと振り向いた。


「室内に入れてもよかったのか……?」


 エースの目線と同じくらいの位置で宙に浮いている2匹を見ながら、エースは思案交じりにそうこぼした。


――でもこれから外は寒くなるし、外に出しっぱなしも酷だよな……


 エースは氷属性を適性としている影響で、他の適性属性の人よりもわずかに寒さに耐性がある。それ故に感じ方が他者と異なるため、己の感覚があてにならない。過保護なのか放任なのか、微妙な線引きが難しいのである。


「みんなが来たら相談するか」


 自己解決の兆しが見えない疑問を頭の中にしまったエースは、おそらく見たことのないものばかりで物珍しそうに見回しているのであろう2匹をおいて、台所に向かった。


 そしてその一番奥にある冷蔵庫の扉を開けた。


「んー……ここしばらく買い出し行ってないし、流石に期待できるほどの物はないな……」


 氷魔法を半永続的に放ち続けることで低温を保つ箱の中には、適度な空間と食糧とが点在していた。現状維持ならば今晩のメニューすら作れるかどうか怪しいその様を見て、エースは率直な感想をこぼす。


「というか、そもそも小竜って何食べるんだ……? 俺らと同じようなもの食べさせていいのか……?」


 冷蔵庫の中身をもう一度見回しながら、困り果てたように眉を寄せるエース。生き物を飼ったことのないエースにとって、知識が皆無な故に慎重にならざるを得ない。


「うーん……食べられそうなものといえば、これと、これと……」


「くるぅ?」


「くるるぅ?」


「ん、どした?」


 いつの間にか背後に来ていた2匹の鳴き声に、エースは手に取ったものを元の位置に戻してから振り向く。白い毛の小竜がエースの横を通り過ぎて、冷蔵庫を物珍しそうに見ている。


「くるる……」


 しかし、何かに驚いたかのようにすぐに後ろに下がった。触れた何かを払い飛ばすかの如くその場で身震いをした後、ふわふわとエースの頭に降り立つ。


 その直後に右後ろの辺りで高まった魔力の気配に、ほぼ反応だけでエースは氷の防御壁を展開した。そのまま数秒間、何もなく過ぎたのちに、エースは己の右後方に振り返った。


 そこには、相方の様子の変化を感じ取ったのか興奮状態の水色の小竜がいた。先ほどエースに見せていた鼻息の荒い様子になった小竜に対して、少し笑いながらエースは口を開いた。


「これは別にお前らを攻撃したいわけじゃないよ。ほら」


 水色の小竜が自らの差し出した手に乗ったのを確認したエースは、そのまま冷蔵庫の近くまで手を持ってくる。水色の小竜は、冷蔵庫から放たれる冷気に対して何の反応も見せず、エースの方を向いて首をかしげていた。


「あれ、なんともない。じゃあ……もしかしてお前だけ寒いの苦手なのか?」


「くるる」


 後半は頭の上に乗っている白毛の方に対しての言葉だった。エースも竜種の言葉を理解しているわけではないので返答なのだろう鳴き声だけでは肯定か否定かはわからなかったが、その後にすぐに立ち直ってまた近づいている白毛の小竜の様子を見ると、おそらくそうではないのだろうとエースは解釈した。


 扉に挟まないように白毛の方を誘導しておき、エースは冷蔵庫の扉を閉めた。


 そこから少しの間を挟んで、言葉をこぼす。


「そういや、お前らって名前あんのかな……」


 冷蔵庫の扉を閉めてリビングに向かったエースは、舞い降りてきた新たな疑問を口にした後、体を預けるかの如くソファにどかりと座った。宙に浮いている2匹をぼんやりと見ながら、言葉をこぼす。


「お前、みたいな指示語だけだとどうも呼びにくいしな……」


――とはいえ勝手に決めていいものなのだろうか。ネーミングセンスに自信はないんだが。


 宙に浮かんでいるのも疲れたのか傍に降り立つ2匹を視界にぼんやりと収めつつ、名前について思案し始めるエース。


――なんだか、眠い……


 その途中思い出したように感じてくる疲労感。そこからくる眠気に思考をちょくちょく遮られ、最後には耐えられず、そのまま意識が遠のいていった。







* * * * * * *







 十数分後、静寂が居座るフォンバレン家に、呼び鈴の音が響いた。


 来客を知らせるその音に反応を示す者はおらず、戸をゆっくりと開く音だけが続く。


「入ってもいいよね……?」


 その隙間から、フォンバレン家への来客であるフローラが顔を覗かせた。呼び鈴への返答がなかったことを不思議に思った彼女はそのまま玄関へと入ると、フォンバレン家の中へ足を踏み入れた。


 足音が際立つ室内を廊下の形状に沿って進むと、扉越しにリビングが現れる。


 ガラスが貼られた扉を開け、目の前の光景に感じた既視感に、フローラはその足を止めた。


「そっか。ここに来たの、夏以来なんだっけ」


――あれから何も変わってないんだな……


 思い出の中でも鮮明に残るあの夏の2週間の記憶と照らし合わせながら、リビングを見回すフローラ。安堵の息を漏らした彼女の視界の隅に、何かが映り込む。


「なるほどね」


 そこには、ソファに沈み込んだままの体勢で寝ているエースの姿があった。さらにその傍には、まどろみを共有したかの如く丸くなっている2匹の小竜の姿もある。


「寝顔を見るのも、あの日以来かな」


 フローラにとっては珍しいエースの穏やかな寝顔を眺めながら、再び過去の思い出を探る。


 あの夏の出来事の終わりと共に、己の役目を果たしたことを告げるように、エースはフローラの膝で眠ったことがあった。死地から帰還し、安らかな顔で眠る姿に、エースからの「帰ってくる」という言葉があったにも関わらずこのまま目を覚まさないのではないか、と思ったことは、フローラの記憶に未だに残っている。


 その時とは違う、ただ眠っている姿に、フローラは再び安堵の息を漏らす。


「寝顔、かわいい……」


 少しだけあどけなさが残るエースの寝顔を、先ほどよりも近くで見ながらそう呟くフローラ。気疲れを常に背負わされるような境遇にいるエースの寝顔を見る機会は、一緒に行動する機会が若干多いフローラでもほとんどない。


 それだけに、しがらみから解放された場所で見せる穏やかな寝顔は、フローラの心に安らぎをもたらしてくれている。


「んん……」


「っ……!?」


 突然エースから発せられた言葉にすらならない声に、フローラは驚いて顔を遠ざける。恋人になったところで、心理的なハードルは高いままなのである。


 しかし、エースの行動がそれ以上続くことはなく、まだ眠りについていた。体勢も一切変わらない。


 その代わり、別の個所から足音が聞こえてくる。それは、更なる来訪者がこの場に現れたことを知らせていた。


「おや、お邪魔だったかな?」


「ん、フローラ先に来てたんだ」


 玄関口から繋がるリビングの扉から、ミストが買い物袋を提げた姿を見せる。その後ろから、セレシアも同じような姿を現していた。


「あ、スプラヴィーンくん。セレシアもそっちにいたんだね」


「僕が頼んだんだよ。エースは小竜を連れてるし、買い物には付き合いづらいからね」


 2人はまず視界に入ったフローラに対して声をかけた後、その視線を少し先、ソファーの上で寝てしまっているエースに向ける。


「で、一番先に帰ってきた人はこうして寝てるわけだ」


「なんかフォンバレンくんの寝顔って新鮮だね」


「まぁ、一番寝るの遅いからね。それこそ朝に寝顔拝もうとしなきゃ見れないよ。僕はそんな気ないけど」


 しれっとそう言い放ったミストは、セレシアと共に台所に向かい、そこで荷物を下ろしていた。


「さて、4人揃ったし、スプリンコートさん起こしてやってよ。位置的に一番近いし」


「うん、分かった」


 ミストがあっけらかんと言い放った言葉を受けて、フローラは先ほどまで見ていたその眠りこけた姿の肩を二度叩いた。


「んー…………」


 一回だけ意味をなさない声を発した後、エースの目がゆっくりと開いた。ぼやけた視界の中に、先ほどと違う何かがあることを理解するのに、数秒かかった。


「おはよう、エースくん」


「あ……ども。てかみんな来てたのか。いつ来た?」


 いつの間にか周囲が様変わりしていることに気づき、エースがぐるっと辺りを見回しながらそう言う。


「僕とプラントリナさんはついさっきだね。スプリンコートさんだけもっと前」


「それはマズいことしたな……」


 いつの間にか寝落ちしていた時に、フローラが入ってきたことを知り、エースは目をこすりながらそう呟いた。その後目を数度しっかり瞬かせ、眠気を振り払ってから再び口を開く。


「ん、みんな揃ってるならちょうどいいや。一つ相談したいことがあるんだけど」


「どうしたの?」


「いやさ、2匹の名前どうしようかと思ってたんだけど、考えてる間に寝落ちしたらしくて。どうしようか?」


 突如エースが持ち出してきた議題に、残りの3人が首をひねる。


 流石に唐突過ぎて、何かを思いつくのには未だ至っていない。思案に時間が必要なことを、すぐに思いつけという方が無理なのは、エースも当然分かっている。


「まぁ、流石にすぐには思いつかんよなぁ……」


「そんな言葉を言った直後で申し訳ないけど、僕は一つ思いついた」


「おお、マジ?」


 エースの気遣い発言をさらに気遣うようなミストの発言に、議題を出した本人が食いつく。


「白い小竜はヒール、水色の小竜はメール、というのでどうだろうか? 白と水色だし、どっちも『空』に関する名前なんだけど」


「すごく可愛らしい名前ね」


「とってもよさそう」


「そんな褒められるものでもないよ。ふっと思いついたものから連想的にね」


 可愛らしい語感に、きちんと特徴からとられた名前というミストの案に、女性陣からの賛辞が飛ぶ。やんわりと受け答えしながらも、案を出した本人はあっさりと決まりそうな雰囲気に少し困惑していた。


「なんか僕の案にみんな相乗りしそうな感じだけど、それでいいの? あの場に唯一いなかった人間なんだけど」


「別にいいさ。そんなのあまり気にしてないし、きちんとした名前を付けられる方がよっぽどいい」


「フォンバレンくんの言う通りだね。名前がきちんとしてれば、それで問題ないと思う」


「そっか。ならありがたく名付け親になるとしようか。こんな経験中々ないし」


 エースとセレシアからの返答とそれに同意を示すフローラの頷きを受けて、ミストが名付け親となる意思を見せる。あっさりと解決した名前問題の答えを受けて、エースは視線を左手の傍に向けていた。


「改めてよろしくな、ヒール、メール」


 そこには、4人の会話が繰り広げられる中、いまだにソファで丸くなったままの2匹がいる。その2匹に名付けられた名前を、エースは少し嬉しそうに呼ぶのだった。

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