第17話 壊せない今



 その日の夕方。


 朝の出来事を忘れることは出来なかったものの、これからも何事もなく終わればいいな、という願望で頭の中を無理やり上書きして日中を過ごしていたエースは、ミストと共に自宅への帰路へとついていた。


「いやぁ、今日も無事に終わったな」


「こうして生活してみると、意外と慣れるもんだね」


 いくら見知っている相手とはいえ、最初は異性とひとつ屋根の下で生活することに抵抗しかなかった2人も、今は依頼だから、と割り切れるほどには慣れた。いつもの生活に1人増えただけ、という風にも考えられるようになっている。


 また、当初は2人だけでする予定だった依頼は、成り行きではあるが新たな協力者として加わったセレシアのおかげで、目の離れる時間を減らすことが出来た。クラスも性別も違うのに一緒にいて周りに怪しまれることはフローラの立場を考えて真っ先に避けたい事案だったので、その部分をある程度セレシアに任せられるようになったことで安全度は高まったと言ってよい。


 そのおかげもあってか、フローラを守り抜きながらの生活は残り2日とあと少しのところまで減った。これからさらに日数が追加される可能性があるとは言え、とりあえずここまでこれたという事実だけでも、2人が安心するには十分だった。


「そう言えば、今日の晩御飯のメニューまだ決めてないや。何にしよう?」


「そうだなぁ……」


 エースが歩きながら考えるが、何も浮かばない。いざ聞かれると何も出てこないのはいつものことである。


「今日は特に食べたいものないな」


「じゃあ冷蔵庫の中身見てから決めよう。ちょっと遅くなるけど」


「なら荷物持ち付き合うぞ」


「そうしてくれると助かる」


 ということでまずは帰宅せねばならなくなったので、自宅方面と買い出しにいつも行く店の方向に分かれている道を、自宅方面へ向かう。やや緑の生い茂る道を抜けて、時刻のせいもあってか夕陽によって外観がより映えている我が家にたどり着くと、鍵のかかっていない扉を開ける。


 この数日の間に、万が一先に帰る可能性を考えフローラに合い鍵を渡しているので、今この扉が開いていたとしてもすぐに異常事態とは言えない。フローラが先に帰ってきているのだろう――


 ──と思っていたのだが。


「……なんか多くないか?」


「多いね」


 本来なら、靴は棚にあるものを除けば1つしかない。


 しかし、今の2人の目の前には何故か2つの靴がある。それはすなわち、自分たちの家にフローラ以外の誰かがいる、ということになる。


 異常事態の可能性を告げる光景に、2人はやや急ぎ足でリビングへと向かう。我が家で何か起こっているのか、と少しの不安がよぎり、短い距離がいつもより長く感じた廊下の先、リビングと廊下を隔てる扉を開けて……



「あ、お帰りー」


 その後で返ってきた2人を出迎えるだけのなんでもない言葉に、2人は揃って拍子抜けした。


 その言葉の発生源であるキッチンには、制服の上からエプロンをつけているフローラとセレシアの姿があった。普段なら男性陣にとって微笑ましく思えるその光景も、今だけは全く思えなかった。


「なんでプラントリナさんがいるのさ」


「フローラがねー、たまには私が料理作るっていうから、あたしはそのお手伝い」


「ねぇセレシア、それ……言わない約束だったよね?」


「そうだけど、今の2人を見る限り秘密ってわけにもいかなさそうじゃない?」


 繰り広げられる緊張感の欠片もないやりとりに、男性陣は揃ってため息をつく。楽しいことはもちろんいいことであり、それを否定する気は2人にはないのだが、それとこのため息の原因とは全くの別問題である。


「あのね、僕ら依頼でスプリンコートさんを見守ってるわけなんだけど……そこんとこ、きちんと理解してる?」


「もちろん。このことは誰にも言ってないし、ここに来るのもフローラと一緒に周りを見ながら来たから、特に問題はないと思うよ」


 そのセレシアの言葉を疑うわけではなかったが、依頼の内容を抜きにしても誰かにこの場所が知れわたることは非常によろしくないことなのだ。その言葉に噓偽りがないかどうか、フローラに視線を投げかける形で問うと、問われた本人はその首を縦に振った。


「2人でキョロキョロしながらここまで来たから、大丈夫だと思うよ。周りから見れば、少し怪しかったかもしれないけど」


「仮に誰かが知ったとしても2人のせいじゃないだろうな、ってくらいには信用してるからいいんだけどさ。残り少なくなったとはいえ、まだ依頼の最中だってこと、忘れないでよ」


「はーい」


 セレシアは一応部外者であるが故に、それがいいかどうかは別として多少浮いていても理解は出来るが、フローラに至っては自分が護衛の対象である。自己理解が足りていないのではないか、と少し思ってしまう。


 だが自分たちに料理を作ってくれる、ということもあり、強く否定することは出来ない。エースとミストはそれ以上言及することは止め、現状を素直に受け入れることにした。


「で、メニューは何?」


「それはまだ秘密にさせて。作り始めたばかりだから」


「そっか。じゃあ楽しみにしとこう」


 伏せられたメニューが気にはなったが、とりあえず自室に荷物を置いたあとは好きなようにして料理を待つことにした男性陣。ミストは自室に籠ったままだが、エースはすぐにリビングへと戻ってきて新聞片手にミルク入りのコーヒーを飲んでいた。


「あ、そうだ。ねぇ2人とも、今日あたしもここに泊まっていい?」


「んっ………!? いや、いきなり何を言うんだ」


 セレシアからの発言にコーヒーを吹きそうになりつつ、きちんと反応をするエース。もしミストがいたら、からかわれて余計に話がこじれていただろう。


 そうならなかっただけよしとして、エースは常識的にとんでもない発言をしたセレシアに対して質問を返した。


「てか、なんで泊まりたいのさ。プラントリナさん寮生活中でしょ。物理的な距離はそんなにないぞ」


「あーえーとね。あたしがフローラと一緒にいたいのもあるけど、フローラの両親からちょっと見てきてくれー、みたいな感じ?」


 セレシアがフローラの両親を知っているのは、彼女がフローラの親戚であるならばおかしくない話である。やや曖昧に聞こえる理由も、筋は問題なく通っている。


 ただ、一つ屋根の下で年頃の少女と少年が夜を過ごすというのは、字面からしてよろしくない響きしかない。すでにフローラと過ごしているので本当はそんな問題ないに等しいのだが、それでも謎の自制心が働き、エースが決断を渋っていると……


「私からも、お願いしていいかな? 今まで安心出来なかったわけじゃないんだけど、セレシアがいてくれた方がもっと安心だから……」


「僕はいいと思うよ。親の意向なら無視できないしね。まぁ、エースの仕事が1つ減っちゃうけど、それはしょうがない」


「これもうノーとは言えないだろ。いいよ、泊まってっても」


「やったね」


 キッチンにいるフローラだけではなく、自室から制服姿で現れたミストも援護に加わった結果、四面楚歌となってしまったエース。選択肢が1つしかないこの状況では、2つ目を作り出すことは出来ないだろう。半分やけくそのような形で、セレシアの宿泊を認めていた。


「今晩は色々と聞かせてね、フローラ」


「うん」


 気分をよくしたセレシアとフローラのガールズトークがキッチンで展開されていく一方、リビングではエースがため息交じり表情でぼやいているのをミストが宥めるような形で会話をしていた。



 その間、フォンバレン家のどこかでぼんやりと光を放っていたものがあったことは、この時誰も知らなかった。







* * * * * * *







「あーそれあたしの」


「早い者勝ちだっての」


「まだあるから、喧嘩しないで。ね?」


「そうそう、食い意地張らない」


 最初は夏なのに何で、と男性陣が思ってしまった鍋料理も、あっさりしていて美味しいということでついつい手が伸びてしまっていた晩御飯。楽しい食事の時間はあっという間に過ぎていき、鍋の中身も綺麗にからっぽになっていた。


「あー美味しかった」


「同感。夏に鍋っていうのもいいね」


「でしょー。シーズンにこだわっちゃダメなのよ。美味しい料理は、シーズン問わず食べられるものなんだから」


 その時には食べ終わって椅子にもたれかかる男性陣と、2人に対して力説するセレシア、そしてその光景に微笑むフローラという構図が出来上がっていた。それはとても平和で、この光景に至る原因を忘れてしまいそうになるほどだ。


「あ、食後の紅茶どうする? 今ならハーブティー作れるよ」


「僕はアイスでお願いするよ」


「私もお願い」


「ならあたしもー」


「りょーかい。少し時間もらうよ」


 それぞれから注文を承ったエースはキッチンに向かうと、全員の分が必要ということでいつもより少し多めの量のハーブを貯蓄してある場所から取り出した。その後のティーカップなど必要なものをせかせかと準備する様は、とても手際よく見える。


「フォンバレンくんの紅茶、とっても美味しいんだよ」


「へー意外」


 ハーブを蒸らしている最中のダイニングからは、女性陣のこんなやりとりも聞こえてくる。蒸らして始めてから7分ほど経つと、エースはそれをティーカップ1つ1つに丁寧に注ぎ分ける。最後に自身の氷魔法で一気に冷やせば、アイスハーブティーの完成である。


「便利だねー、フォンバレンくんの氷魔法」


「今は程度が分かったから便利だけど、昔は間違えて凍らせたこともあったからな。結局のとこ慣れがものをいうんだよな。どの魔法でもそうだけど」


 セレシアの言葉にもきっちり反応しつつ、エースはソーサーの上に置かれたティーカップを4つお盆にのせてダイニングまで運び、それぞれの前に配膳する。


「はい、どうぞ。ぬるくならないうちにな」


 そう言って、エースは自分の場所であるキッチンから遠い方のダイニング入り口側の席に戻った。


 それなりにはこだわっているハーブティーの味は、果たして向かいに座っている2人にはどうなのだろうか。


「うん、やっぱり美味しいね」


「うん、ホントに美味しい。なんか意外」


「こだわってるのにマズかったら、感性疑われるからな」


 どうやら好評だったようで、女性陣の漏らす肯定的な感想に、エースは自らもティーカップの中身を少し口にしてから答えた。


 その内容は当然だ、というようなものである。だが、常にこだわっている身としてはいつでも美味しいと言ってもらえるようにしているので、その通りになった時はやはり嬉しいのが本音だ。


「すごーく意外なこだわり。スプラヴィーンくんなら、雰囲気的に分からなくはないけど……なんで?」


「なんでって……そりゃあ、まぁ、好きだからとしか言いようがないな」


「へー……そうなんだ」


 若干途中が省かれたセレシアの疑問にエースが返したのは、表面上では適当にも聞こえる答えだった。ただ、理由はあれども結局のところ『好き』に落ち着くのだから、色々と語るよりスッキリとした答えではある。


「あ、そうだ。2人とも、ちょうどいい機会だから、色々と聞いてもよかったりする?」


「色々って、何を?」


「ホントに色々。あたし、この依頼に関して内容以外一切のことを知らないんだけど……ダメ?」


「うーん……」


 エースたちのことに関して踏み込んだことを話したのは、フローラに対してだけだ。聞き耳騒動こそあったものの、セレシアにはその類を一切話していない。


 しかしながら、他言無用で頼む、とは言われたものだ。そのことを気にしたエースは、チラリと隣のミストに視線を向ける。


 ミストはその視線に気づくと、持っていたティーカップを静かに机に置いた。


「プラントリナさんが知っておいても別に損するわけじゃないし、いいんじゃないかな。僕らの人付き合いも長いわけだし、そもそも潔白ならエースがいたんだから証明出来るでしょ」


「まぁ、それもそうか。じゃあ、初日に話したこと全部話しておこう。質問は、最後にまとめてな」


 ミストも了承したことで、それからの数分間は、初日にエースがフローラに対して話したこととほとんど相違ない内容の説明をしていた。途中何度もセレシアの表情が変わっていたが、最終的には少しだけ暗い表情になった。


 その理由は、次の言葉で簡単に分かった。


「ねぇ、その……本当の両親は、今は……?」


「もういないよ。10年前に亡くなった。俺らの身代わりに」


 セレシアがためらいがちに聞いた質問に、事実をあっけらかんと言い放ったエース。ミストも特に表情を変えることはなく、エースの言葉にうなずくだけだった。


「2人はお互いのこと、恨んだりとかはなかったの?」


「ないね」


「ないな」


 その疑問に対しては、2人は一切の迷いなく即答した。


「俺にとって直接的な血の繋がりがあるのはミストだけだし、ミストにとってのそれは俺だけ。生まれてから苦楽をずっと共にしてきたんだ。恨むどころか大切に決まってるだろ。恨んだところで、両親が帰ってくるわけじゃないしな」


「まぁ、一部の連中からの腫れ物扱いされたり、コテンパンにしてから嫌がらせがみみっちくなったりとかあったけどね。面倒ではあるけど、それって別にエースが悪いわけじゃないんだしさ。仮に恨んでたとしても、それは理由にはなり得ないね」


 続けて言葉になったそれは、これからも言い伝えに抗い続けていくという覚悟にも、そのくらいでは折れたりしないという意思にも思えるものであった。芯の強さを思わせる2人の言葉に、セレシアとフローラが顔を見合わせた。


「お互いのこと、すごく大切なんだね」


「いつも仲いいもんね」


「2人には負けるよ」


 ミストの言葉に隠された意味の通り、いつでも仲よさそうにしているセレシアとフローラの姿は、時に親戚以上の繋がりをそこに見てしまうこともあるようなものだ。親友と呼んでも足りない気がするような関係を持つそんな2人の目から見ても、エースとミストは仲良く映るらしい。


「で、まぁそんなわけでお互いのこと恨むなんてことはないんだけどな」


「けど、双子であって残念なことがないわけじゃないんだよね」


「それって?」


 これまで肯定してきていた2人からの、どっちかというと否定的な言葉。当然反応しないわけがなく、セレシアが半自動的に聞き返す。


「仮にこれから誰かを好きになったとしても、叶わない望みになる可能性が高すぎることだよ。恋愛に障害はつきものだろうけど、僕らにとってはその1つ1つが大きすぎるから」


「だな。こうなったのって、生まれて来た時から決まってる運命みたいなもんだしな。呪ったことがないわけじゃないけど、ここまで来ると嫌でも受け入れるしかない」


 2人の口から発されたのは、普段のエースとミストからは聞くことがほとんどなかった、諦めにも似た言葉だった。現実をそのまま表した悲しい雰囲気が、食後の楽しいはずであったダイニングに入り込み始める。


 沈黙の数秒後、後味を悪くするそれを振り払うようにエースが口を開いた。


「さて、そろそろ皿とか片づけるか。汚れがとりにくくなるからな」


「作ってもらったことだし、洗い物は僕らで頑張ろうか。2人はご自由にどうぞ」


 テーブルの上の食器類をひとまとめにして、キッチンへと持っていくエースとミスト。


 その後ろ姿は、やはりとてもよく似ている。当たり前ではあるが、双子であることを証拠づけている。


「ねぇ、フローラ。現実って、厳しいね」


「うん……」


「でも、諦めないでね。一緒に頑張ろ」


「そうだね、セレシア」


 それを見続けながら小声でそうやりとりする2人の乙女の姿は、大きすぎる壁を作り出した現実に抗おうとしているようにも見える。


 悲しい現実は、確かにそこに存在していた。しかしそれでも、抗おうと頑張る者もそこにいた。



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