第2話【ここで伊奘冉の因縁を絶つ】
巨大な拳が迫ってくる。
ユフィーリアはショウの襟首を引っ掴み、巨大な拳を回避した。【
手すり越しに瓦礫の状態を一瞥すると、瓦礫はしゅうしゅうと白い煙を立ち上らせて溶けているように見えた。濃度の高い酸かなにかか。
「【素戔嗚】……ワノクニの女王様の息子か」
ユフィーリアは舌打ちをする。
あの時だって【
いや、ここでやらなければならないのだ。【素戔嗚】はユフィーリアとショウを逃がすつもりはないようで、刃の如き黒い双眸でジロリと睨みつけてくる。
「とにかく戦わなけりゃ殺されるだけだ。ショウ坊、援護を」
「ユフィーリア」
ショウは赤い瞳で真っ直ぐにユフィーリアを見つめ、
「頼む、先に行ってほしい。【素戔嗚】は、俺が倒す」
「……は? おい、なに言ってんだよ。ふざけんな!!」
ユフィーリアは思わず叫んでいた。
こんなところに相棒を一人で置いていくなど、考えられなかった。いくら相手はショウに対して恨みを抱いていても、たった一人で相手が務まるとは思えない。
それに、グローリアやスカイだって置いてきてしまった上に、彼らはいまだ合流できていない。もしこのまま彼らも死んでしまったら、と想像してしまうと怖くて仕方がない。
「お断りだ、そんなの!! 敵だかなんだか知らねえが、そんなの二人で倒せば――!!」
「喧しいぞ、女」
地の底を這うような低い声で、高みから睥睨する【素戔嗚】がユフィーリアに吐き捨てる。
「其れは我が怨敵――憎き母上の敵だ。喧しく
相手の、どうせ勝つことなど不可能だとばかりの発言に、ユフィーリアは「はッ」と笑い飛ばした。
「簡単に殺せると思うなよ、木偶の坊が。そのデカい拳も当たらねえじゃねえか」
「生意気な小娘が――――!!」
額に青筋を浮かべた【素戔嗚】は、巨大な拳でユフィーリアに殴りかかる。
ちょうどいい、この腕を伝ってその喉を引き裂いてやる。挑発するように笑みを浮かべたまま、迫りくる拳を睨みつけてユフィーリアは己の中で戦略を立てる。
しかし、叶わなかった。
その寸前で、ショウがユフィーリアの腕を引いたのだ。
「ッ!?」
一瞬だけ、思考回路が停止する。
背後で【素戔嗚】の拳が廊下を叩き壊す気配を感じながら、ユフィーリアはショウに腕を引かれて廊下をひた走る。唐突のことで抵抗ができず、気がつけばユフィーリアは次の階層へ繋がる台座の前へ連れてこられていた。
暗闇の中に沈む、あの白い台座。まさか、本気で一人残るつもりなのか!?
「ショウ坊、俺も!!」
「ユフィーリア」
ショウはユフィーリアを抱きしめて、
「俺は、もう【伊奘冉】のことを思い出したくない」
彼にとって、ワノクニを支配していた【伊奘冉】は憎むべき敵だ。
あの天魔を崇拝していたキタオオジ家とサイオンジ家に母を殺され、父を追放させられた。長い間、誰にも助けてもらえない孤独な時間を過ごした。
それらの片鱗を思い出してしまうのであれば、ここで永遠にその縁を断ち切るしかない。
ショウは、その為に残るのだ。
「大丈夫だ、ユフィーリア。俺は貴様の相棒として、日々鍛錬を続けてきた。こんなウスノロ相手に、負けるはずがない」
そう言って、ショウは綺麗に微笑んだ。
滅多に見せることのない、彼の笑顔。
「だから、次へ行ってくれ」
「…………」
ユフィーリアはそっとショウの背中に手を伸ばし、彼の華奢な体躯を抱きしめ返した。
黒いシャツの下から、暖かな体温が伝わってくる。薄皮一枚の向こうで、とくとくと規則正しい鼓動を感じる。何もできない歯痒さを解消するように強く強く抱きしめて、ユフィーリアはショウを解放した。
本当なら暴論でも我儘でもぶち撒けて残りたいが、信頼している相棒が一人で残ると言っているのだ。彼の実力なら、常に隣で見てきたユフィーリアが一番理解している。
「死んだら」
無理やり唇を動かして、やや覇気のない声に言葉を載せる。
「俺も死んでやる。心中してやる」
「それは困る。俺はまだ、ユフィーリアと共に生きていたい」
困ったように笑ったショウがユフィーリアの背中を押し、
「さあ、行ってくれ」
「絶対に勝てよ」
「任せろ」
自信満々に言うショウを信じて、ユフィーリアは次の階層へ繋がる台座へ乗る。
白く染まっていく視界で最後に見たものは、あの巨大な暴虐の男に立ち向かう相棒の勇敢な背中だった。
☆
台座に乗ったユフィーリアが次の階層へ飛んだところを見届けて、ショウは【伊奘冉】の息子たる天魔――【素戔嗚】へ向き直る。
どうやら【素戔嗚】は目が悪いのか、ユフィーリアとショウの姿を探して視線を彷徨わせていた。吹き抜けになっている縦長の空間に沿ってぐるりと設けられた廊下が、半分ぐらい破壊されてしまっている。足場に気をつけなければならないだろう。
赤い
「【素戔嗚】」
ショウが静かに呼びかけると、彼はぐるりとこちらへ振り向いた。
下半身は蛇と一体化した、巨大な暴虐の化身である。その全身が紫色の液体に覆われているところを見ると、毒や酸性の液体だろうか。触れれば命はないと見た。
まるで、王都アルカディアを占拠していた【
「狙いは俺だろう」
赤い回転式拳銃を握る手に、自然と力が込められる。
高みから睥睨する【素戔嗚】は引き裂くように笑うと、地を這うような低い声で「殊勝な心がけだな」と嘲笑う。
「しかし、御前が一人になったところで我に勝てるとでも?」
「勝てるさ」
いいや、勝つのだ。
何故なら、ショウはユフィーリア・エイクトベルという最強の天魔憑きの相棒なのだから。こんな木偶の坊を相手に、負ける可能性は万に一つもない。
赤い回転式拳銃を【素戔嗚】に向け、今度はショウが嘲笑を送る。
「今回は喜ばしいことだ、なにせ的が大きいからな」
「――――ほざけ、羽虫がッ!!」
【素戔嗚】が吠え、巨大な手のひらがショウへ迫る。
ショウは壁を蹴飛ばして虚空を舞い、迫りくる巨大な手のひらを回避する。ふわりと重力を感じさせない跳躍で、器用に体勢を変えて銃口を【素戔嗚】に向ける。
「
引き金を引く。
銃口から火球が放たれて、【素戔嗚】の鎖骨付近に着弾。めらめらと紅蓮の炎が肌を舐めるが、【素戔嗚】は盛大に舌打ちをしただけだ。
「この程度、微塵も熱いとは感じんわ!!」
かろうじて壁に張り付く廊下に着地したショウめがけて、巨大な拳が迫る。
弾かれたように顔を上げたショウは、隣の小島を経由して拳から逃げる。巨大な拳がショウの立っていた廊下を破壊し、瓦礫がぼちゃぼちゃと紫色の液体へ落ちていった。
まだそこまで破壊の手が及んでいない廊下に着地し、ショウは高い天井へ回転式拳銃を突きつけて引き金を引く。
「
さながら花火の如く火球が打ち上がると、パッと弾けていくつもの火球に分かれる。放物線を描いて落下する火球は次第に大きくなり、隕石のようになって【素戔嗚】の頭上に降り注ぐ。
【素戔嗚】は降り注ぐ流星群を手で払いながら、忌々しげに唸る。
「ぬぅぅ、小癪なァ!!」
【素戔嗚】は頭を思い切り振り回し、その髪に付着した紫色の液体を飛び散らす。
雨の如く襲ってくる紫色の液体。ショウは慌てて紫色の液体を回避するが、ひらりと舞ったショウの髪の毛に紫色の液体の雫が付着する。
じゅう!! となにかが溶ける音。振り返れば、髪の毛が明らかに短くなっていた。
「我が体が纏うのは酸の海。御前を骨の髄まで溶かしていくぞ」
ニヤリと不敵に笑う【素戔嗚】は、そっと手を伸ばして液体が滴り落ちる様を見せつける。
【毒婦姫】とはまた違った面倒さはあるものの、酸性の液体を纏っているだけで毒物を発している訳ではない。ショウは口元の布を直すと、自慢げに言う【素戔嗚】を笑い飛ばした。
「毒でも体から発していれば、貴様の勝機はあったかもしれないな」
「羽虫如きが言い訳をして如何にする? まだ勝てるとでも?」
「勝てるさ」
赤い回転式拳銃へ祈りを捧げ、ショウは足元から炎を噴き出させる。
ちり、と耳元で鈴が鳴った。ユフィーリアから貰った髪紐が、涼やかな音を奏でている。それだけで背中を押されたような気がした。
(――ユフィーリア、俺に力を貸してくれ)
その最強たる自信を、勇気を、今だけは。
吹き荒れる紅蓮の炎に包まれたショウは、赤い回転式拳銃を【素戔嗚】に向けると切り札を発動させる。
「――
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