第4話【おやすみ、愚かな女王陛下】
「全く……坊やはどこに行ったんだかねぇ」
リリィ・エルクラシスは、自分が作り出した夢現の世界を歩き回る。
王城に飾った絵画が語るには、すでに息子は城の外に出たとのこと。途中で卵に手足が生えた奇妙な怪物を踏み潰し、白兎を追いかけていくうちに森の奥までやってきてしまい、青い芋虫の助言を受けて再び城の前まで戻ってきてしまった。
どこを探しても、息子であるスカイ・エルクラシスがいない。もう次の階層に行ってしまったのだろうか?
「いいや、そんなはずは……」
あの息子が、恨みすら抱いている母親を置いて仲間を追いかけるだろうか。
リリィは少しだけ考えて、それから自分の異能力を発動させる。この頭のおかしくなる赤と黒の不思議の国の世界を作り替える、絶対の異能力を。
「《さあ、素敵な夢を見ましょう》」
優しく囁くと同時に、自分の神経がこの不思議な世界と繋がるような気がした。
手始めにあの子の姿を探しやすいように、余計な背景は排除して――。
「――――あら?」
リリィは声を上げる。
視界の端で、自分とよく似た赤い髪を見たような気がした。あの鳥の巣のように、もじゃもじゃとした毒々しい色合いの赤い髪を。
「坊や? そこにいるの?」
視線で追いかければ、背筋を丸めて摺り足で歩く息子の姿があった。
彼はリリィの存在に気づかず、城の中へ入っていく。スタスタと、迷いなく城の中へ向かっていく。
一体どこへ行こうというのか。城の中は誰もいないのに。
「待ちなさい、坊や」
夢現の世界を操る異能力で息子を足止めしようとするが、
「何故?」
異能力は発動されなかった。
息子は足止めされることなく、城の中へ消えていく。リリィは舌打ちをすると、息子を追いかけて城へと足を踏み入れた。
カツカツ、と自身の足音がやけに大きく城の中に響き渡る。お喋り好きな絵画の連中も、リリィの姿を見かけても静かに閉口している。
「お前たち、どうして静かなんだい? お喋り好きなはずなのに」
「…………」
「…………」
絵画に話しかけてみても、彼らは反応しない。まるで本当の絵に戻ってしまったかのようだ。
「どうして黙っているんだい?」
「…………」
「…………」
なにも反応を返さない。ただ静かに、絵画の人間はリリィを睥睨する。
彼らの視線は物語る――お前はすでに、女王の座から落ちたのだと。
言葉では表せない恐怖が、リリィの背筋を伝い落ちた。自分の体を抱きしめ、その恐怖を改めて認識する。
その薄い皮膚の下、柔らかい脂肪の中は、すでに誰のものか分からないものに犯されているのだと。
【ようやく気づいたんスか】
「――――ッ!!」
ザァァ、と王城が作り替えられる。
そこは見知らぬ城。おそらく自分自身が作り出してしまった、死に場所。
壁は大理石、雛壇に据えられた玉座まで伸びる赤い
朽ちた玉座に腰掛けるのは、毒々しい色合いの赤い髪をした青年。分厚い前髪の隙間から覗く翡翠色の瞳――その虹彩には紫色に輝く魔法陣が刻み込まれている。
「どうも、堕ちた女王様。地べたを這いずり回る気分はどーッスか?」
玉座に腰掛けた息子――スカイ・エルクラシスは、気怠げな口調で言う。
「いやいや、お父様には感謝しかねーッスね。まさかボクじゃなくて【
「ふざけ……ふざけんじゃないわよ!! 父親の異能力をそんな使い方するなんて、アンタをそんな息子に育てた覚えはない!!」
リリィは錯乱して叫ぶが、スカイは「アンタに育てて貰った記憶はねーッスね」などと答える。
「それよりどーッスか。自分の意思に基づかず、自分が作り上げた世界を作り替えられる気分は? でも残念、それは自分の意思なんスよ。本当かどうかは別として」
スカイは炯々と輝く翡翠色の双眸を眇め、
「ボクの異能力は共有術。五感を他者と共有するだけの、なんら派手さの欠片もないしょぼい術式」
しかし、その術式は他者の意思さえも奪うもの。
外で戦うキング・チェイズとは違い、これはまさに自分自身が『洗脳された』と知らず知らずのうちにスカイが張り巡らせた蜘蛛の糸に絡まってしまう罠。意思を奪われて人形となる訳ではなく、それがあたかも自分の意思であるかのように振る舞って、結果的にスカイ自身へ益をもたらしてしまう悪魔の所業。
まさに悪魔の王――魔王の名がふさわしい。
「でも、時間をかければ他者を支配下に置くことだって可能ッスよ。時間稼ぎご苦労様ッスわー」
「……こんな、こんな洗脳!! すぐにだって!!」
リリィは額を押さえて、スカイの洗脳を解こうとする。
だが、その洗脳はどうやって解けばいい? どうやって彼の支配下から抜け出すことができる?
ガタガタと震える手を額に当てるも、方法が分からずリリィは立ち尽くすしかない。
そんな愚かな母親を見下ろし、スカイはそっと囁く。
「さあ、作り替えるッスよ。この夢現の場所が、アンタの死に場所ッス」
「――嫌」
リリィは自分の体を抱き、冷たい大理石の床に座り込んで、
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!」
甲高い悲鳴を上げるも、彼女の本当の意思とは対照的に潜り込んでしまったスカイの共有術が異能力さえも動かしてしまう。
めりめり、めきめきとスカイの背後の壁が壊れていく。作り替えられていく。
顔を覗かせたのは、漆黒の龍だった。翡翠色の瞳を輝かせ、左右に引き裂けた口からは鋭利な牙が生え揃っている。
リリィにとっては愛しい怪物だった。それでも今は、その姿を見たくなかった。
「幻想で作られたその体ごと、塵となって消えていけ」
玉座から立ち上がったスカイは、左右に引き裂けた口に黒い炎を灯らせた龍に命じる。
「――
リリィの視界が闇に染まる。
体の奥底から焼かれるような感覚。熱くて暗くて、そして、ただただ怖かった。
(――おやまあ、坊やったら)
黒い炎に焼かれるリリィは、うっそりと笑う。
(本当に強くなったんだねぇ……)
☆
【よかったのか、これで】
「和解できるとは思ってねーッス」
黒い炎の中に消えていく自らの母親の姿を一瞥し、スカイはさっさと踵を返す。
ジロリとスカイを見下ろす黒い龍は、
【それが宿主の意思であるならば、なにも言わない】
「お喋りはそこまでにして、次に行くッスよ。この頭が痛くなるような世界が、いつまで保つか分からねーんで」
黒い龍は【やれやれ、いつの間にか宿主はせっかちになったのやら】とため息を吐くと、その姿を消した。
スカイは最後に、ちりちりと玉座の間に残る黒い炎の残滓を一瞥した。
そこにはすでになにもなく、自分の母親も消えていた。死んだのか、逃げたのか、それは分からない。だが、直撃して生きている確率の方が低いだろう。
「さよーなら、クソッタレな女王陛下様」
小さな呟きを残して、スカイは先に行かせたユフィーリアたちを追いかけて玉座の間を立ち去った。
ガラガラと夢の世界が音を立てて崩れていく。
そこに座る人がいなくなった玉座が砂と化し、雛壇はひび割れて朽ちていく。大理石の壁に蔦が這い回り、ステンドグラスは埃を被り、荘厳な雰囲気を漂わせていた玉座の間は、あっという間に廃墟へ変貌を遂げた。
その玉座の間を作り替えた夢現の女王はこの世を去り、女王を蹴落として夢現の世界を乗っ取った傀儡の王は女王を捨て置いて消えた。
【
まあ、想定内ですわね。
そんな朽ち果てた玉座の間に、涼やかな女性の声が落ちる。
声の主はここにいない。それは、最上階で待っている。
さあ、おいでなさい。
この戦いに終止符を打ちたければ。――まあ、不可能でしょうが。
その声はくすくすと楽しそうな笑みを残すと、ぷつりと聞こえなくなった。
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