第3話【夢の女王と傀儡の王】

 ユフィーリアたちは先に行かせた。

 この頭の痛くなるような世界に残っているのは、すでにスカイと実母であるリリィ・エルクラシスだけだ。


「少し見ない間に、また男前になったじゃないか。――さすが、あの人と契約しただけはあるね」


 玉座に足を組んで座るリリィが、翡翠色の双眸を眇めてスカイを見下ろす。

 実の母親による熱視線が気持ち悪く、スカイは忌々しげに舌打ちをした。彼女はどうせスカイの契約した天魔であり、実の父親である【魔王マオウ】の存在しか気にしていないのだ。


「気持ち悪いッスね。実の息子に欲情してんスか」

「いいじゃないか。元々、そのつもりで私はお前を産んだんだよ」


 リリィは引き裂くように笑うと、


「さあ、私に見せておくれ。お前がどこまで強くなったのか、私に見せておくれよ!!」


 リリィの恍惚とした声に応じるように、玉座の間がぐにゃりと歪む。

 足元も不安定になり、スカイは立っているのもやっとの状態だった。だが、この女の前では膝をつくなんて無様な格好は晒したくなかった。

 この夢現の世界において、リリィの独壇場だ。しかも今のスカイには使い魔がいない。彼女を打倒する手段がないのだ。


(――だったら!!)


 ユフィーリアやショウが前衛で、グローリアが作戦を立ててくれるのであればリリィの打倒など簡単だろう。

 しかし、彼らは先に行かせてしまった。自分の力でどうにかするしかないのだ。


「《接続コネクト》!!」


 スカイが共有術を潜り込ませたのは、ふわふわと玉座の間を漂っていた妖精の少女だ。

 彼女たちは自分の意思もクソもない。ただ笑いながら飛び回っているだけだ。ならば、簡単に支配下に置ける!!


「おやおや、随分と手癖が悪いじゃないか」


 リリィがニヤリと笑うと、ほっそりとした腕を伸ばしてくる。緩やかにその五本指を折り曲げて、引っ張る仕草をして見せた。

 途端、ギヂという嫌な音が脳内に響く。神経を無理やり引っ張られるような激痛と共に、妖精の少女へ潜り込ませた共有術が途切れてしまう。

 額を押さえて、スカイはリリィを睨みつける。

 彼女は優雅に笑いながら、


「お前は本当に学ばないね。まさか、あの子たちがいなければまともに戦えないとでも言うのかい?」

「はッ――そんな訳、ねーッスよ」


 リリィの憐憫を、スカイは笑い飛ばす。

 正直な話、操れるものがなければスカイは無力だ。かと言って、契約した【魔王】を引き摺り出すにはいかない。引き摺り出せば、この女の思う壺だ。

 だから、まだ切り札は使わない。


(馬鹿正直にこの女とやり合う手段はない。【魔王】も使えば、あの女の思う通りになっちまうッス。――ここは)


 スカイは後退りすると、足場の悪い玉座の間に背を向けて走り出す。

 背後からリリィが「あ!!」と声を上げるが、構うものか。今は逃げるが勝ちだ。


「どっかに動物……生き物……!!」


 塔の外に出ればいくらでも使い魔がいるのに、どうしてこの頭のおかしな世界には生物が全くいないのか。

 おそらく、リリィがすぐに【魔王】に頼ると踏んだのだろう。やはり意地の悪い母親だ、即座に殺してやりたい。


「殺せる方法なんて、ねーのに……」


 スカイは自嘲する。

 共有術は相手を殺す手段を持たない。どう頑張っても、相手を殺す方法がないのだ。

 武器でも持っていればよかったのだが、スカイは武器なんて持っていない。日頃からナイフでも所持しておけばよかったのかもしれない。


「ひひ、アリスが走ってる」

「お茶会?」

「いいや逃げているのさ」

「ハートの女王様に気に入られちまったからな。首を切られないようにね」


 転がるようにして玉座の間から脱出すると、くすくすと笑い声が降ってくる。

 視線を巡らせると、絵画の貴婦人や杖をついた老人がスカイを見下ろして嘲笑っている。会話が聞こえていないとでも思っているのか、相手は言いたい放題だった。


「首をちょん切られた場合はどうなるんだい?」

「そりゃあ、ハートの女王様の好きにされるだろうね」

「銀の皿に載せられてキスされるのさ」

「ああ、それはなんと美しいことか!!」


 スカイはジロリと絵画の人間を睨みつけると、ふと考えつく。


「アンタら」

「おや、アリスがなにかを喋るぞ」

「皆の者、静かに」


 嘲った様子の絵画の人々に手を翳し、スカイは笑う。

 いつか聞いた、最も信頼する彼から贈られた言葉を口にして。


「ちょっと、利用されてほしーッスわ」


 ☆


 スカイ・エルクラシスはアルカディア奪還軍最高総司令補佐官である。

 役割は情報収集、伝達などの情報関連。その中で意外と知られていない業務もある。

 それは――――。


「あの子、どこに行ったのかしらね」


 玉座の間を出たリリィ・エルクラシスは、息子の姿を探して城内を彷徨う。

 彼女はスカイと違って、他者を通じて世界を見ることはできない。【夢獏ユメバク】としての異能力は夢を操ることであり、自分の意識の範囲外にある夢の世界を自由に構築することは不可能だ。

 どう足掻いても、その場を見なければならない。


「アリスはどこへ行った?」

「アリスはどこへ行った?」

「アリスはすでに城を出たよ」

「城を出てどこに行くんだろうね」


 絵画として飾られた夢の住人が、次々と意味不明な言葉を話し出す。

 それはスカイの行き先でもあった。彼女は絵画の人々を一瞥すると、城の外を目指して歩き始める。


(ひひ、かかった)


 スカイは不敵に笑う。

 絵画を通してリリィが去っていく様子を確認してから、彼は足元にすり寄ってきた紫と桃色の縞模様が特徴的な、毒々しい猫を撫でてやる。

 ニヤニヤと笑う猫はスカイの手のひらに頭を擦り付け、


「汚いは綺麗、綺麗は汚い。さあ、次はどう遊ぶ?」

「どう遊ぼーッスかね」


 ここは彼女が作った夢の世界。

 そこに迷い込んできたスカイは、差し詰め不思議の国の少女だ。

 ただし、その不思議の国の少女が思いの外、頭が切れるとしたらどうしただろうか?


「情報に関する全ての仕事をやっててよかったッスね」


 スカイの業務の中で意外と知られていないのは、天魔に対する情報撹乱だ。

 特に集団で行動する天魔に嘘の情報を流して、こちらに有利な状況を作り出す。そう言った工作はユフィーリアと仲のいいカボチャ頭のディーラーが得意なのだが、スカイも意外と情報撹乱の仕事をしていたのだ。


「それじゃあ、次の布石は卵にしてやりましょーッスね」


 猫を抱き上げたスカイは、ニヤニヤと笑う猫を通じて卵に命じる。


「中身をぶち撒けても構わねーんで、リリィの足元に転がれ」


 命じたものは、全て自分の意思として振る舞われる。

 様々な視点からリリィを追いかけていくと、彼女はあの絵画の言葉を素直に信じて城の外に出ていた。露出度の高いドレスの裾を揺らしながら、頭の痛くなる世界を歩いている。

 そんな彼女の足元に、腕と足を生やした白い卵がちょこちょこと走り寄ってくる。リリィはその卵に気づかずに、足元に寄ってきた卵を踏み潰してしまった。


「ぎゃあッ!? なんだい、ハンプティダンプティが潰れちまったね」


 踵の高い靴が、卵の黄身でべったりと汚れてしまっている。なるほど、この夢の世界の卵の怪物の中身はあんな感じになっているのか。

 スカイは「ひひッ」と笑うと、ニヤニヤと笑う猫の頭をぐりぐりと撫でてやった。ふわふわとした毛皮がとても気持ちいい。


「さあ、次はどう遊んでやろーッスかね」


 青色の芋虫――は気持ち悪いからなるべく触りたくないが、そうも言っていられないだろう。

 それとも白兎に追いかけさせようか? さあ、彼女を絶望の淵に叩き落とすにはどうしたらいい?


(この場にグローリアがいてくれりゃ、相談できるんスけど)


 彼なら、もっと卑劣な作戦でリリィを嬲るだろう。彼女の絶望に歪んだ表情を見て、二人で嘲るのだ。

 随分と性格の悪いことをしているかもしれないが、敵に対して容赦しないのであれば当然だろう。


「さてまあ、トドメはどーしましょーかね」


 ニヤニヤと笑う猫を解放してやりながら、スカイは赤縁の眼鏡を取り払う。

 かしゃん、と眼鏡が硬い地面に打ち付けられて、細やかな音を立てる。


「ボクを絶望させる前に、アンタが絶望するんスよ。――今度こそ、お別れッス」

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