第10話【天魔の卵】

 紺碧の空を流れる彗星は、徐々にこちらへ近づいてきていた。

 青白い炎に包まれたそれは隕石のようにも見えるが、丸みを帯びた形は卵を想起させる。あれが地上に叩きつけられれば、ユフィーリアどころかルナサリアの住人にまで被害が及ぶかもしれない。

 彗星を追いかけながら、全盲のクイーンを抱えるユフィーリアはキングへと振り返る。


「……お前、大丈夫?」

「だ、だいじ、ぶ、で……」

「説得力がねえんだよな」


 ユフィーリアを追いかけるキングは、ヘロヘロになりながらもなんとか走っていた。顔色も悪く、肩で息をしている。

 そもそも彼は、タスマンの国王である。こんなに全力疾走するような立場ではなく、玉座に腰かけて国を統治する存在だ。たとえ運動神経がよくても、足の速さには繋がらないこともある。


「お兄様、あまり無理をなさらない方がいいぞ。大人しく古城で待っていた方が」

「戦力外通告は聞かぬ!!」

「そのような状態で術式が使えればいいけれど、相手は術式が一切通じない相手だぞ? お兄様はすでに戦力外通告されている状態ではないか」


 ユフィーリアの腕に抱かれたクイーンは、呆れたように兄であるキングを見やる。妹だからか、兄に対しては本当に容赦がない。

 すると、美しき修道女はユフィーリアに「下ろしてください、お姉様」と申し出る。


「私が止めてみましょう。ただ、必ず成功するとは限りませんが」

「できるのか? 意外と大きいぞ、あの彗星」

「手段はいくらでもありますわ、お姉様。私の術式は地層操作――地形を変えることなど、造作もございません」


 優雅に微笑むクイーンは、彗星に向かって手を翳す。

 彼女の瞳にはなんの景色も映らない。それなのに、全盲の修道女は彗星に向かって手を伸ばして、


森林群生豊潤曲リゾルート


 めりめり、という音がした。

 めきめき、という音もした。

 ルナサリアを守るように存在する森に、異変が起き始める。大地に立つ修道女が細腕を振るうと、呼応するように木がめきめきと成長し始めた。


「…………え?」


 さすがのユフィーリアも仰天せざるを得なかった。

 すぐ近くにあった木が、ゆっくりと伸びていくのだ。わさわさと枝葉を鳴らし、幹が一回りも二回りも太くなり、その背丈もぐんぐん伸びて天まで届きそうだ。

 木々がどんどん成長を遂げていく光景を目の当たりにして呆気に取られるユフィーリアは、同時に彼女の言う「手段はある」という言葉の意味について納得する。


「成長させた木々で受け止めるつもりか!?」

「はい、まさにそうですが」


 あっけらかんと言うクイーン。

 発想としてはなかなかいいところだろうが、燃えてしまう可能性もあるのではないかという考えはなかったのだろうか。

 とはいえ、手段はもう選んでいられない。時間もないのだ。ヘロヘロになりながらもようやく追いついたキングと樹木を急成長させるクイーンを背後で庇い、ユフィーリアは大太刀に手を添える。


「姉上……!!」

「キング、俺がこんなところで死ぬようなタマだと思ってんのか?」


 ユフィーリアは心配するような素振りを見せるキングに、不敵な笑みを見せる。


「まあ、なにができるって訳でもねえんだがな。飛んでくる瓦礫から、お前らを守るぐらいはできる」

「姉上……我輩、感動で泣きそうです」

「完璧に守れ切れたら感動で泣いてくれ。そんな暇はないだろうけど」


 軽口を叩き合うユフィーリアとキングを遮るようにして、聞き覚えのある声が夜の闇を引き裂くようにして聞こえてきた。


【落ちるよ、衝撃に備えて!!】


 これは守るとかどうとか言っている場合ではない。ユフィーリアは即座にクイーンとキングの襟首を引っ掴むと地面に押し倒し、自分もその上に覆い被さった。

 その直後、


 ッッッッッッドン!! と衝撃が夜の世界を揺るがす。


 クイーンが急成長させた木々の上に彗星が落下し、背が高くなった樹木を薙ぎ倒す。もうもうと砂埃が立ち込め、視界は最悪だ。吹き飛んだ木々がさらに他の樹木を倒して、重なって山を築いた。


「…………キング、クイーン」

「はい、なんでしょう」

「お姉様、なにかございましたか?」

「怪我はねえようだな。急に押し倒して悪かった」


 立ち込める砂煙を払いながら、ユフィーリアは軽く咳き込みつつ立ち上がる。

 薙ぎ倒された木々の中心に、ゴツゴツとした巨大な岩が鎮座していた。クイーンが成長させた木々が緩衝材となったのか、地面への被害は意外と少ない。

 そもそもこの規模の隕石が落ちてきたというのに、ろくな被害が出ていないのがおかしくないだろうか?


「…………あれは一体なんだ?」

「はて、我輩には皆目見当もつきませんが」

「お兄様、お姉様。なにが見えているのです?」


 全盲のクイーンは、なにが落ちてきたのか分からず首を傾げている。

 丸みを帯びた巨大な岩のようだが、見ようによっては卵のようである。卵にしてはあまりにも巨大すぎるので、中身は一体なんなのか疑問に思う。


「ユフィーリア、陛下も!! 怪我はない!?」

「グローリアか。彗星が落ちてきた衝撃は【閉ざされた理想郷クローディア】まで届いてねえな?」


 すると、虚空に出現した歪みを通じて黒髪紫眼の青年が飛び出してくる。

 烏の濡れ羽色の髪をハーフアップにまとめ、紫色の蜻蛉玉とんぼだまが特徴のかんざしを挿している。幻想的な印象を与える紫眼に中性的な顔立ちは、上に立つ威厳を一切感じられない。

 穏やかで爽やかな印象のある青年だが、手に握られた懐中時計が埋め込まれた死神の鎌だけは禍々しい雰囲気が漂う。

 アルカディア奪還軍最高総司令官、グローリア・イーストエンド。それが、この黒髪紫眼の青年である。


「うん、今はスカイに様子を見てもらってるところだよ。特に被害は出ていないみたい」

「大事になってなくて安心したわ」

「本当にね」


 ユフィーリアの言葉に、グローリアは頷く。


「援軍は?」

「もうそろそろ到着すると思う。『空間歪曲ムーブメント』だと限界があるからね、とりあえずは早く動ける子を中心に編成したけど」

「それまでは我輩たちが時間を稼がねばならぬという訳だな」


 キングは薔薇のモチーフが掲げられた長杖を振り回し、高らかな笑い声を響かせる。その横で、クイーンは「あまり無理はしないでほしいのだが」と呟いていたが、彼には聞こえていなかった。


「グローリア、これってなんだか分かるか?」

「僕にはさっぱり……でもとても嫌なものだってことは分かるよ」


 薙ぎ倒された木々の中心に鎮座する巨大な岩を睨みつけ、グローリアは懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を握り直す。

 すると、その岩からめきめきという音が聞こえてきた。岩の表面が盛り上がり、そしてその内側から腕が突き出してくる。


「あれは――」


 突き出された腕は毛むくじゃら、もぞもぞと動いて岩の表面を引き裂いていく。

 まるで、雛鳥が卵からかえるように、それは岩から這い出てきた。


「赤い目の天魔……」


 ユフィーリアは思わず呟いていた。

 岩の表面を引き裂いて這い出てきたのは、二足歩行する狼の天魔だった。左右に引き裂けた口からはだらりと舌が垂れ、粘性のある涎がツゥと落ちていく。その目は赤くギラギラと輝いていて、見たことのない世界を観察していた。


「天魔が生まれた……? ならば、あれは」

「多分、天魔の卵だ」


 グローリアは顔を引き攣らせて、


「まずいよ、あれが無限に天魔を生み出すんだったら、すぐに壊さないと!!」


 ☆


「うー、うー」

「大人しくしていなさい。あなた、今は戦えないんだから」

「やかましい」


 古城に吸血鬼のルナと共に残るよう言われたショウは、大きさの合わない黒いシャツを掴んで唸っていた。

 ユフィーリアの隣で戦えないことにもどかしさを感じているが、その座にまさかキングが出てくるとは想定外だった。あの野郎に隣を譲るなんて納得いかない。

 ぐるぐると研究室を歩き回っていたショウは、


「やはり、おれもいく」

「ダメって言ったのが聞こえなかったかしら?」

「きさまのめいれいをきくぎりはない」


 ショウは研究室を飛び出して、ユフィーリアが走っていった方に向かう。

 なにかできる訳ではないが、それでもなにかできることはあるはずだ。このまま安全地帯で彼女の帰りを待っていることなど、性に合わない。


「待ちなさい!! 死にたいの!?」

「でも、ゆふぃーりあをひとりにできない!!」


 彼女を一人にすると、どんな怪我をするか分かったものではない。

 ルナは「ダメよ、危ないでしょう!?」と叫ぶが、ショウは聞かない。玄関まで駆け込むと、閉ざされた巨大な扉に背伸びをして押し開けようとする。そこで追いついてきたルナに捕まってしまった。


「はなせ、はなしてくれ!!」

「ダメって言ったのが聞こえていないのかしら? 今のあなたでは、戦場なんて危険すぎるじゃない!!」

「でも、いやだ。いやなんだ」


 このまま役に立てないのが。

 彼女を失うことになってしまうのが。


「ゆふぃーりあのとなりにいられないのが、いやだ!!」


 その時だ。

 ぼひん、と間抜けな爆発音と共に、ショウは元の姿を取り戻す。背丈も元通りの高さになり、手の大きさも小さな子供の手から少年の手へと成長した。――下半身は見事に下着姿だったが。

 唐突に元の姿に戻ったショウ本人は赤い瞳を見開いて驚き、ルナは「きゃあ!?」と悲鳴を上げてショウから離れた。


「な、な、なんて格好をしてるのよ!!」

「仕方がないだろう。服はユフィーリアに預けてしまったのだから」


 ショウは顔を真っ赤にするルナに言うと、パチンと指を弾く。

 すると、どこからか吹き出た紅蓮の炎がショウの体を包み込み、炎が晴れると彼は喪服を想起させる黒い着物と赤いかすり模様の羽織を肩からかけていた。腰まで伸びた黒髪はそのままに、ショウは首元に巻きついていた黒い口布を巻き直す。


「俺は行くぞ。止めるな」


 ルナに止めないように言いつけ、ショウは先に行ったユフィーリアを追いかけて古城を飛び出した。

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