第8話【赤い目の天魔の正体】

 古城の裏側には広大な薔薇園があった。

 真っ赤な薔薇が咲く生垣の向こうから、獣の呻き声とキングの怒声が聞こえてくる。


「おのれ、犬畜生の癖に生意気な!! この我輩を誰と心得る!! 頭を垂れて命乞いをしろ!!」

「説得を試みないで!! あんなのに話が通用する訳ないでしょ!!」


 キングの怒声に続いて、ルナの悲鳴も聞こえてくる。

 思った以上に阿鼻叫喚の地獄と化していた薔薇園を目の当たりにしたユフィーリアは、抱きかかえていたショウをそっと地面に下ろす。


「クイーン、ショウ坊を頼む。俺はキングとあの吸血鬼の嬢ちゃんに加勢してくる」

「ええ、かしこまりました」


 ショウの守護をクイーンに任せて、ユフィーリアは騒がしい薔薇園に足を踏み入れようとする。


「ゆふぃーりあ」


 舌っ足らずな言葉で呼び止められて、ユフィーリアはショウへと振り返る。

 縮んでしまった彼は足手纏いにしかならない。それはショウ自身もよく分かっているようで「自分も連れて行け」と主張はしなかった。ただ赤い瞳に心配そうな光を宿し、小さな手でキュッと黒いシャツを握りしめる彼は、真っ直ぐにユフィーリアの顔を見上げる。


「きをつけてくれ……」

「おう、すぐに終わらせてきてやる。待ってろ」


 ユフィーリアは少しでもショウを安心させるように快活な笑みを見せて、薔薇園へ飛び出した。


 ☆


 迷路のような薔薇園の中心は、噴水を据えてある影響で広く場所がとられている。

 そこが今回の戦場だった。吹き飛んだ生垣が噴水に突き刺さり、噴水の台座の破片がそこかしこに飛び散っている。それは見事な薔薇園だったようだが、今は見るも無残な状態となっていた。

 荒れ果てた薔薇園の中心に、怒りの感情を露わにするキングと二足歩行する狼の天魔が対峙していた。彼の後ろではドレスに泥を飛び散らせたルナが、シャンパングラスを片手に控えている。


「キング、怪我はしてねえな!?」

「姉上!!」


 赤と黒の瞳を見開いて驚くキングは「はい、我輩は問題ないです!!」と応じる。


「ただ、我輩の術式が全く通用しません!! 姉上、お気をつけください!!」

「そいつは物理攻撃しか通用しねえらしい!! 殴れ!!」

「そう言えば、最高総司令官が言っていましたね!! そうさせていただきます!!」


 薔薇のモチーフを掲げた長杖を槍のように持ち直し、キングは長杖ロッドの先端を突き刺す。

 狼の姿をした天魔は「ぐぁるるるる!!」と唸ると、キングが突き出した長杖を飛び退って回避した。その瞳はギラギラと赤く輝いていて、毛皮はボサボサとしていて手触りは悪そうだ。


「ぐるるる、ぐるるるるる!!」


 牙を剥き出しにして威嚇してくる狼は、大きく口を開いてキングに襲いかかろうとした。

 強く地面を蹴って、狼はキングに飛びつこうとする。そんな狼をキングは正面から迎え撃とうとするが、それより先にユフィーリアが間に飛び込んだ。

 左右に引き裂けた口に、ずらりと並ぶ黄ばんだ鋭い牙。ドロッとしたよだれが口の端から垂れる。ユフィーリアは大口を開ける狼の鼻先を素手で掴むと、両足で踏ん張って狼を受け止める。


「姉上!!」

「はッ、最強の天魔憑きを舐めんじゃねえぞ!!」


 ユフィーリアはキングの杞憂を笑い飛ばすと、その剛腕でもって狼の鼻先をむんずと掴むと問答無用で投げ飛ばした。

 夜空を舞った狼は器用に空中で体勢を立て直すと、スタンと着地を果たす。タダで倒されるとは思わなかったが、身のこなしはそこら辺の雑魚を逸脱している。

 見立てでは、やはり『名前付きネームド』と同等に強いだろうか。『名前付き』でも弱い天魔は弱いが、目の前の狼は『名前付き』ではないのに桁違いの強さを有する。


「姉上、我輩も協力させていただきます。姉上にとっては足手纏いかもしれませんが」

「いや、助かる。ショウ坊が隣にいねえからな、連携を取れる奴がいてくれた方が戦いやすい」


 大太刀の鯉口を切り、ユフィーリアは少し後ろで控えるキングを一瞥する。

 キングもそこそこ運動神経がいいのは分かっているが、彼は普段、戦場に出ない立場だ。戦闘は常に五人の妹たちに任せている状態で、彼の行使する術式『群衆操作』は戦闘に向いていない。

 多少の不安はあれど、贅沢は言っていられない。ユフィーリアは思考回路を切り替え、


「キング、俺より前に出てくんじゃねえぞ」

「承知いたしました、姉上」


 キングが頷いたところを確認し、ユフィーリアは駆け出す。

 弾丸の如き速度で狼に肉薄すると、切断術でその首を断ち切ろうと居合を放つ。だが、狼は首元に迫る殺気を、膝を折って回避することでユフィーリアの視界から逃れた。

 放たれた居合はその後ろにあった生垣を切断するが、そんなことは想定済みだ。


「はあッ!!」


 裂帛れっぱくの気合と共に、キングが長杖を突き出してくる。

 ちょうど回避行動を取った矢先の攻撃に、狼は面食らったようだった。上手く反応できずに、眉間へ薔薇のモチーフが突き刺さる。


「ぐあるる!!」


 まるで悲鳴を上げるように狼は唸ると、鋭い爪をキングに向けて振りかぶる。

 しかし、キングに爪が迫るより先にユフィーリアが上から大太刀を叩きつける。ゴキン、というなにか硬いものが折れる音が響いた。


「うらあ!!」


 さらに、返す刀でユフィーリアは狼の横っ面を大太刀でぶん殴る。

 薄青の刀身は刃引きされている為、それ単体では切断することはできない。だが、ユフィーリアの剛腕から繰り出される攻撃に切断できようができまいが関係ない。

 愛刀が鉄の棒になったところで、それすら使いこなして見せるのが最強と呼ばれる天魔憑きである。


「きゅわんッ」


 横っ面をぶん殴られて生垣に頭から突っ込んだ狼は、甲高い悲鳴を上げた。


「お見事です、姉上」

「お前もなかなかやるじゃねえか。見直した」

「お褒めに預かり、恐悦至極にございます」


 恭しく頭を下げてくるキングに、ユフィーリアは銀髪を掻いた。立場的には一国の王であるキングの方が上なのだが、こうして彼は常に敬語を使ってくるのでどう接したものか。

 その時、


「きゃあッ!!」


 甲高い悲鳴が耳朶を打つ。

 そういえば、この場にはもう一人いたか。戦えそうで、実はそうでもなさそうな少女が。


「ルナ!?」


 弾かれたように振り返れば、生垣から伸びた毛むくじゃらの腕に胸倉を掴まれたルナがいた。彼女はドレスを掴む腕を引き剥がそうともがいているが、少女の細腕であんな太い腕を振り払うことなど不可能だ。

 舌打ちをしたユフィーリアは、


「キング、こいつの相手を頼む!!」

「承知しました!!」


 生垣から復活した狼の処理をキングに任せて、ユフィーリアはルナの救出に向かう。

 少女の胸倉を掴む毛むくじゃらの腕に大太刀を叩きつければ、生垣の向こうから生えていた腕はあっさりとルナを解放する。地面に座り込んだ銀髪の少女の襟首を引っ掴み、ユフィーリアは彼女を背後で庇う。

 やはり相棒のショウがいないことは、かなりの足枷になっている。極小の舌打ちをしたユフィーリアは、生垣の向こうで唸り声を上げる獣に向かって挑発の言葉を投げかけた。


「どうした、犬ッコロ。生垣越しでなきゃ会話できねえってか?」

「がるるるる……」


 ザリ、ザリ、と土を踏む音。

 生垣の向こうから顔を出した狼は、赤く輝く双眸をユフィーリアに向けてくる。口の端から涎を垂らすその様は、獲物を見つけた獣と同じだ。


「理性すらねえってか。上等だ、最強の手にかかって死ねることをありがたく思えよ!!」


 大太刀を握り直したユフィーリアは、狼へ突進する。

 正面から突っ込んでくるユフィーリアへ鋭い爪を突き出す狼だが、大太刀によっていとも容易く弾かれてしまう。ギィン、と鈍い音が耳朶を打つ。

 驚愕に瞳を見開く狼の喉元に、ユフィーリアは大太刀を突き刺した。皮を破り、肉を貫く生々しい感覚。ぶつり、と血が飛び散ってユフィーリアの銀髪を汚す。


「ぐあッ」


 狼の口から断末魔のようなものが漏れた。

 ユフィーリアは狼の腹を蹴飛ばして喉から大太刀を抜くと、血に塗れた薄青の刀身を振りかざす。月光を受けて鈍く輝く刀身は、幻想的でもあった。


「あばよ」


 問答無用で、ユフィーリアは狼の脳天に刀身を落とした。

 めりめりッと頭蓋骨が割れる感触が伝わってくる。眼窩から眼球が外れ、狼の頭は凹んでしまい、そのままふらふらと倒れ伏してしまった。呆気ない終わりである。

 キングの方はどうか、と顔を上げると、そこには薔薇が咲いた木の枝に締め上げられる狼の姿があった。


「…………なるほどな」


 ユフィーリアは納得する。

 大太刀を鞘にしまうと同時に、生垣の向こうから金髪の修道女がにこやかな笑みを浮かべて姿を現した。側には小さな子供が、心配そうな表情で修道服の裾を掴んでいる。

 金髪の修道女――クイーン・チェイズは優雅に微笑みながら、


「お兄様、前衛向きではないのに無理はしないでほしいぞ」

「く、クイーンか……助かった。褒めて遣わす」

「お兄様はもっとご自分の立場を学んでほしい。私やお姉様がいなかったら、お兄様は死んでいたかもしれないぞ?」


 ピシャリと言い放つクイーンに、ぐうの音も出ないキングは不満そうに唇を尖らせるだけだった。


「ゆふぃーりあ、だいじょぶか?」

「おう、ショウ坊。お前は大丈夫か? 赤い目の天魔に襲われたとかねえか?」

「ない。だいじょぶだ」


 とてとてとクイーンの服の裾を離してユフィーリアに近寄ってきたショウは、小さな手を目一杯伸ばしてユフィーリアの血に濡れた銀髪を撫でる。「よごれてしまったな」とショウが言うので、ユフィーリアは「洗えば落ちる」と返した。


「さて、ルナお嬢ちゃんよ」

「…………」


 シャンパングラスを片手に戦場で立ち尽くしていたルナを見やり、ユフィーリアは問いかける。


「あの赤い目の天魔のことについて教えてもらおうか? 一体あれはなんだ? なんであんなモンが出てきた?」

「出てきた訳じゃないわ。暴走しているのよ」


 ルナは苦々しげな表情で、


「あれらは暴走した天魔よ。――あの彗星のせいで、天魔の暴走が起き始めているの」

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