第15話【最速との邂逅】

「……ん」


 キクガは目を覚ます。

 かすんだ視界の向こうに広がるのは闇に染まる空。そして赤々とした炎に照らされている。

 ひやりと肌を撫でる冷たい空気に、キクガはまだ自分が生きていると認識する。


「――――」


 だっておかしいだろう。

 キクガは【伊弉冉イザナミ】の手によって、自分が契約した天魔を奪われたのだ。天魔憑きの最期は身も魂も消滅して輪廻転生もしないで闇に消えること――それなのに生きているとは異常だ。自分の身に一体なにが起きたのか、とキクガは上体を起こす。起き上がった瞬間、ぐらりと眩暈が襲いかかって思わず呻いてしまった。


「あまり無理すんじゃねえよィ。生きてるのもやっとなんでィ」


 聞き慣れない口調と声に、キクガは声の方向へ視線を投げた。

 そこにいたのは、褐色肌の男だった。焚き火に真っ直ぐ向き合い、小枝を折っては炎の中に投げ入れる。

 白金色の髪の毛に健康的な褐色肌、切れ長の瞳は薄氷のような色合いをしている。凜とした顔立ちをしているが、口調だけはどこかワノクニの下っ端にいる雰囲気がある。

 格好もどこかワノクニの住人のような気配がある。紺色の甚平と雪駄、ボロボロの外套。そして外套の隙間から見える彼の右腕は、氷に覆われていた。


「君は……」

「オメェを助けた命の恩人でィ」

「そうか……それは、すまない。感謝しよう」

「いいってこたァな」


 男はパキポキと小枝を折って焚き火にくべる。

 そんな彼の横顔に、キクガは問いかけた。


「私は何故、生きている?」

「オメェの契約した天魔――あー、確か【火神ヒジン】だったっけなァ? ソイツが核を叩き割ったから、オイラがオメェに突っ込んだだけでィ。オメェを生かすつもりで、一か八かの賭けに出たオメェの天魔に感謝するんだな」


 キクガは自分の平たい胸元を撫でる。

 その薄皮の向こうでは、確かに心臓が脈動していた。天魔憑きであっても心臓は動いているし、ここが止まれば死体も残さず消え去るだけだ。

 まだ自分がここに存在できているのは、自分の深層意識に僅かに残った【火神】のおかげだ。


「質問だが」

「あん?」

「君は何故、あんなところにいた? あそこは関係者以外は入ることなどできないだろうに」


【伊弉冉】の神殿にやってくる一般人など、キクガには考えられないことだった。あそこは四神家以外はこれない場所だと思っていたのに。

 男は白金色の髪の毛をガシガシと掻くと、


「迷ったんでィ。道に迷ってふらふらと歩いていたら、ついあそこに入り込んじまってなァ」

「迷ったって……ワノクニは閉鎖国家だぞ。一体どうやってワノクニまで」

「船に乗り込んだ。漁船だっけかァ? 海に船が出てたから、ちょっと漁師の奴らにお願いしてワノクニまで乗り込ませて貰ったんでィ」

「そうだったのか……随分と危険な方法で入国してくるものだ」


 ワノクニは他国からの侵入者に厳しい傾向がある。

 しかし、この男がワノクニに侵入して平気でいられたのも、この男の人情的な部分がワノクニの人間に惹かれたのだろう。どこか幼馴染みの顔を思い出す男だった。


「ワノクニに戻れないか」

「戻れねえだろうなァ。なにせ、向こうはもうオメェのことを死んだものと扱っている。おそらくオメェの息子にも同じことが伝えられてんだろィ」

「……ショウにも? 君、ショウのことを何故知って……」

「知ってるとも、キクガ・アズマ。火葬の筆頭アズマ家の現当主――いや、殿


 男の薄氷色の双眸が、キクガへと向けられる。


「自分が有名人だってのは思わなかったか? 四神家しじんけってのはワノクニの支配者の系列でィ、オメェの家族構成も色々曲解してワノクニ全土に広まってるだろうよィ」

「色々曲解……」

「奥方は病死したとかってのが代表だなィ。ま、真実はオイラも知りたかねえが」


 男は特大の欠伸をすると、


「いいかィ? ワノクニには乗り込まねえ方が賢明だィ。オメェは死人として扱われてるんだから、ほとぼりが冷めるまで時間を潰す必要がある。ま、どれだけ時間を潰すか知らねえがなィ」

「そんな……息子を一人には……」

「無理だな。もう息子には会えねえと思った方がいい」


 男がキクガに突きつけた事実は、とても残酷なものだった。

 なによりも大切にし、守ろうと決めた存在にもう二度と会えないとは。そんな結末は、あまりにも酷すぎる。

 今すぐにでも走り出してワノクニに向かいたい衝動に駆られたが、万全の体調ではないキクガなどそこら辺の子供にすら敵わないだろう。それぐらいに、自分はあまりにも弱くなってしまった。

 選択肢を間違えなければよかった。

 サイオンジ家に喧嘩を売らなければ、【伊弉冉】の神殿に乗り込まなければ、自分はショウと離れずに済んだのか?


「そんな顔をすんじゃねえやィ。しみったれた空気になるだろィ」

「…………無理だ。唯一の家族に二度と会えないとなったら、心配にもなるし身勝手な選択を取ってしまった自分を縊り殺したくなる!!」

「それはオイラも同じでィ」


 キクガは顔を上げた。

 視線の先にいる男は無表情を貫いているが、どこか寂しげな雰囲気が漂っている。


「オイラも、自分の息子じゃねえが弟子がいた。こうして天魔憑きになったから、先に逃がした弟子を追いかけたんだがなァ。どうにも見当たらねえやィ」


 ポキ、と小枝を折りながら男は語る。


「このご時世でィ、もう天魔に食われてるかも知れねえな。そう思ったら、同じ土俵だろィ」

「…………」


 そうか、ここにも。

 決して自分の息子ではないが、大切な弟子であるなら子供同然だ。

 彼も、キクガと同じ悲しみを背負っている。


「……二度と会えなくなった訳じゃねえ。オメェの息子は少なくとも、他の四神家とやらに生かされる。まあ、どんな状態になるか分からねえがな。アズマ家の最後の生き残りでィ、無碍には扱われねえだろィ」


 男が言う。

 キクガは、沈んだ表情で「そうだな」と応じた。


「君は、これからどうするつもりだ?」

「東には行った。次は西に行こうかと思う。あの馬鹿弟子が野垂れ死ぬなんてことは知りたくねえが、まあ死んだら死んだで供養してやらなきゃいけねえだろィ」

「私も、君の旅路に付き合ってはいけないだろうか?」


 男が怪訝な顔で「ああ?」と言う。

 どうせ、キクガはワノクニには戻れないのだ。ならば一人でつまらない旅をするよりも、誰かについて行った方がいいだろう。

 少しだけ考えてから、男は答える。


「仕方ねェ。まあ、勝手にしろィ」

「ああ、すまないな。このまま話し相手がいないと、一人で自殺でもしかねない」

「オイラがオメェのストッパーをしてやんのかよィ……」


 呆れたように言う男は、


「オイラはアルベルド・ソニックバーンズでィ」

「長いな。アルと呼んでも?」

「三五の男にそんな友達のような呼び方をすんのかィ」

「おや、そうなのか。私と同い年ではないか」

「!? お、オメェその面で……!?」


 驚愕する男をよそに、キクガはくすくすと笑った。

 彼と一緒であれば、生きて旅ができそうだ。

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