第14話【父の決意】
「お父さん、お父さん!!」
「おい、キクガ!! ここを開けやがれ、おい!!」
屋敷の扉を叩くカナタと、扉の向こうへ懸命に呼びかけるショウ。
近所迷惑だと思われてもおかしくないほど引き戸をガシャンガシャンと叩くも、相手は応じることはない。いつもこのぐらい大声で騒げば、鬱陶しそうに顔を出して「うるさいぞ。近所迷惑を考えろ」などと注意してくるはずなのに。
不思議と反応がない屋敷に異変を覚えたカナタは、泣きそうな表情で父を呼びかけるショウを抱える。
「ショウ君や、ちょいと乱暴になるぞ。空を飛んで庭に行く!!」
「う、うん」
カナタは舌打ちをする。
キクガは、唯一の家族である息子のショウを大切にしていた。それなのに、こんな蔑ろにするとはどういうことだ。幼馴染みとして、当主の先輩として、今度はこちらから一発ぶん殴ってやらなければ気が済まない。
術式を使って空を飛ぼうとしたその時、ちり、と肌に感じた熱気に顔を上げる。
「――?」
扉の向こうが赤い。
赤く輝いている。
――まるで、燃えているみたいだ。
「かなたおじさん……」
カナタの着物の布を掴むショウは、
「おうちが、もえてるの」
「燃えて――」
おかしい。
キクガの――アズマ家の術式は火葬術。生者のみを燃やすことに特化した術式であり、屋敷を燃やすほどの能力はなかったはずだ。
だけど、屋敷が燃えているということは。
「まさか」
亡き父から聞いたことがある。
アズマ家は代々、危険なものを引き継いでいる。【
カナタはついぞその危険なものの正体を知ることはなかったが、キクガに聞いても教えてくれることもなかった。本人は「知らないが」と言っていたが、それはもしかしてしらばっくれていただけなのか?
「まさか!!」
カナタはショウを守るように強く抱きかかえ、大きく飛び退って屋敷の扉から距離を取る。
それから左手を前に突き出して、叫んだ。
「
強い風が吹き、カナタとショウを守る障壁となる。
それと同時に、屋敷の扉が吹き飛んで紅蓮の炎が二人に牙を剥いた。
まるでそれは蛇が襲いかかってくるかのように、溢れ出してくる紅蓮の炎がカナタとショウを守る風の障壁にぶつかって吹き散らされる。網膜を焼く紅蓮の炎を前に、カナタは顔を
「キクガァ!!」
屋敷を飲み込まん勢いで紅蓮の炎が吹き上がり、屋根を、壁を、柱を吹き飛ばす。
一瞬だった。屋敷が炎に飲み込まれて、燃やされて、崩れて、瓦礫の山となって、消し炭になってしまった。
家が燃えていく様を間近で眺めることとなってしまったショウは、悲痛な声で炎に向かって叫ぶ。
「お父さん!!!!」
この炎の中では、さすがのキクガも生きていないだろう。
カナタは風葬術で炎を吹き散らし、キクガを探そうかとしたが、
「…………カナタ、まだそこにいたのか」
ガラ、と。
見慣れた人影が、炎を掻き分けて現れる。
やや乱れた黒髪、裾が焦げた喪服を想起させる着物。肩から赤い
カラコロと下駄を鳴らしながら現れた彼は――キクガは、呆れた様子でカナタを見つめていた。
「任せたと言っただろう」
「ふざ、ふざけんじゃねえ!! 自分の息子だろうが、他人に気安く預けんな!!」
「? 仕事の際はいつも預けていただろうに」
「それとこれとは話が別だろ!!」
カナタはキクガに掴みかからない勢いで怒鳴る。
軽々しく命を捨てるような、そして大切な家族を預けるような目の前の男の所業が許せなかった。だが、キクガにはあまり響いていないのか、不思議そうに首を傾げている。
すると、腕の中のショウが「下ろして、下ろしてください!!」と暴れる。彼の要求通りに地面に下ろすと、ショウはキクガに飛びついた。
「お父さん、お父さんやだ。どこにも行かないで。行かないでよお父さん!!」
「ショウ……」
キクガは困ったように縋り付いてくるショウの頭を撫で、それからショウをそっと離す。
幼い息子と視線を合わせる為に膝を折り、彼は優しく微笑んだ。
「ショウ。君は、君の人生を歩みなさい」
父親として、彼は息子の人並みの幸せを願った。
他人に、家に縛られることなく、自分の幸せを選び取れるように。あんなアバズレたちに屈しないように。
「決して、誰かに縛られてはいけないよ」
黒い瞳から溢れる涙を指先で拭ってやると、キクガはゆっくりと立ち上がった。
カナタを真っ直ぐに見つめる赤い瞳は真剣そのもので、カナタは彼に何も言えなかった。
「カナタ、ショウを頼む」
「おい……やめろ、キクガ!!」
カナタはキクガを引き留めようとするが、彼はくるりと踵を返すと燃え盛る炎の中に飛び込んでしまった。
炎の中に消えていくその背中を、カナタは引き留める術を知らなかった。
「お父さぁん!!!!」
ショウの泣きそうな絶叫が、炎の中に溶け込んでいく。
☆
からん、と不思議なことに音がした。
前後左右すら分からなくなるほど真っ暗な闇の中を、キクガは掻き分けるようにして歩く。
闇の中なのにからころと下駄の音が響く。気にせず、その奥を目指して歩く。
(――【火神】)
(おうよ)
(私を見限るなら今のうちだぞ)
(なにを言ってやがる。最後まで付き合うさ)
頭の中に響く嗄れ声は、実に楽しそうな雰囲気があった。
ここまで愚かな男に付き添ってくれる天魔も珍しいものだ。本当に、ありがたいものだ。
おおおお、おおおお、おおおおおお。
おおお、おおおお、おおおおおお。
闇の向こうから聞こえてくる、呻きのような大合唱。
キクガはひたすら歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、そしてようやく目当ての場所まで到達した。
巨大な
キクガは土足で畳を踏みつけて、目の前を塞ぐ半紙を蹴破ってその向こうに出る。
巨大な闇が、目の前に鎮座していた。
息を飲むほどの、巨大な闇が。
「何か用なの?」
聞き慣れた声が、キクガの耳朶を打つ。
ふと顔を上げれば、闇の向こうにある『西』と書かれた巨大な行燈の向こうで座る花魁が問いかけてくる。
イノリ・サイオンジ。――忌々しいサイオンジ家の現当主。
「君を殺せば、サイオンジ家は崩壊するかね?」
「あら、炎如きが水に敵うとでも?」
「術式においては君が上でも、総合的に見れば私の方が格上だと思うが」
キクガはそう言うと、右手をそっと掲げた。
彼を中心に吹き出す紅蓮の炎。それらは闇を照らすように黒い空間を駆け巡り、イノリ・サイオンジが座る『西』の行燈を取り囲む。
「それは――」
「君たちが恐れてやまない煉獄だが」
煉獄は、アズマ家の復讐の炎を寄せ集めた不浄を焼き尽くす炎だ。
父からの話によれば、アズマ家の親族を炎で焼き、当主たる男児の力になるようにしたようだ。それはアズマ家しか知らない秘密であり、キクガが背負うべきアズマ家の罪だった。
イノリは「ふぅん」と返すと、
「でも、それ。ここで披露したらダメでしょぉ。【
「なに――」
刹那のこと、背後で闇が蠢く気配を感じ取った。
咄嗟に煉獄の炎を手繰り寄せて、背後で感じた気配めがけて薙ぎ払う。ごう、と赤い光が闇の中を照らしたような気がした。
「ぎゃああッ」
聞き慣れた声がする。
何度も聞いて、そして何度も切望したその声を。
――キクガさん。
脳裏に、彼女の花咲くような笑顔が浮かぶ。
それだけ、目の前の相手との邂逅は衝撃的であり、キクガにとっての絶望だった。
「サユリ……」
ただ呆然と、キクガは【伊奘冉】の巫女として使われてしまった女の名を呟く。
そこに立っていたのは小豆色の着物を纏い、痩せ細った腕で白い布の包みを抱えた窶れた女だった。虚のような瞳でキクガを真っ直ぐに見据え、カサカサに乾燥した唇を動かす。
まるで怯えたような表情を浮かべた彼女は、耳障りな高音で叫ぶ。
「いや、いやいやいやいやいやぁ!! それを見せないで見せないで見せないで見せないでえ!!」
女は左腕で白い布の塊を抱え、痩せ細った右腕を振り払う。
それだけで、キクガの周りから噴出していた煉獄の炎が掻き消されてしまった。弾かれたように周囲を見渡し、キクガは回転式拳銃と剣が一体化したような武器を両手に構える。
どれだけ彼が呼びかけたとしても、もう巫女として【伊奘冉】に取り込まれてしまったサユリには言葉すら届かないだろう。それなら、いっそ自らの手で冥府に送ってやろう。
「サユリ――今、君を解放しよう」
火葬術でもって、彼女を焼き尽くす。
それが【伊奘冉】からの解放だと、キクガは信じてる。
「【火神】!! 最大出力!!」
【存分に使え!!】
ごう、と残った煉獄の炎と合わさって、キクガは【伊奘冉】に――サユリに斬りかかる。
闇の中にパッと飛び散る火の粉。それらがサユリの周囲に振り撒かれ、
「
回転式拳銃の引き金を引いたと同時に、振り撒かれた火の粉たちが次々と爆発する。
網膜を焼かんばかりの眩い光が闇を照らし、爆発の衝撃が間近に感じる。キクガは思わず目を瞑ってしまったが、この爆発では相手も生き残っていられないだろう。
加えて、煉獄の炎も混ざっている。不浄を焼き払う炎の味は強烈だろう。
「これで――」
燃え盛る炎を突き破って、痩せ細った腕が伸びてきた。
迫ってきた腕に対応しきれず、節くれだった指先がキクガの胸元にずぶりと突き刺さった。
「がッ!?」
痛み。
吐き気。
自分の中身を探られるような気持ち悪さ。
口から鮮血を吐き出したキクガは、胸に突き刺さった腕を引き抜こうともがく。細い腕をなんとか引き抜いたが、
「は――」
紅蓮の炎の中から出てきた彼女は、恍惚とした表情でキクガの中を探った。
そして引き抜いた彼女の手には、めらめらと燃える炎が握られていた。
【やめ、おいこら、離せ!!】
嗄れ声がサユリの腕から逃れようともがいているようだが、サユリは強く強くその炎を握りしめているので逃げられない。
【火神】。
キクガが契約をした天魔であり、
「さゆ、」
キクガの指先が、金色の粒子となって崩れていく。
それは、キクガもいつか訪れるはずの未来であり、父のレンジも辿った道。
暗い瞳で崩れていくキクガを見下ろすサユリ――【伊弉冉】は、
「もうおわり」
「ええ、そうでございますね」
この狂った国の首領に同意するように、イノリは言う。
キクガは歯を噛みしめる。
志半ばで消えるのか。なにもできずに消えるのか。――ああ、無様な男だ。
ほんとうに。
「うーィ、迷った迷った。そして迷ったついでに立ち聞きしてたけどよォ」
【伊弉冉】の後ろから褐色肌の腕が伸びてきて、
「そいつを返して貰おうかィ」
切り裂く。
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