第12話【君の成長を側で見届ける】
「あー、うー」
「ショウ、待ちなさい。おしめを変えている最中に全裸で這いま……うわあああ!? 落ちる落ちるだろう止まりなさいショウ!?」
「ゔ―ッ」
「こら、
「ゔあーッ!! ぎゃーッ!!」
「今度はどうしたのかね。怖い夢でも見たか? お腹が空いたのかね?」
「あう、うー、ぐすッ、ふえぇ」
「よしよし。大丈夫だ、私がいる。君のことは私が必ず守るから、安心して眠りなさい」
一人で赤子を育てることが、こんなにも大変だとは思わなかった。
夜泣きは酷いし、離乳食で苦味のある食べ物が含まれたものは気に入らずに吐き出し、おむつを取り替えている最中に全裸で這いずり回る始末である。こんなワンパクを、彼女は今まで苦とも思わずこなしていたのだろうか。
それでも。
春が過ぎて夏が訪れ、秋を通り過ぎて息子が生まれた冬を迎える。一年を終えるたびに小さかったはずの息子はすくすくと成長し、いつしか笑顔の愛らしい子供に成長した。
「かなたおじさん、はるかおにーさん、こんにちは!!」
「おう、こんにちはショウ君。言葉を喋るの上手いなぁ」
「ぼくもう四つだもん!!」
この日、キクガは仕事があるのでカナタを迎えに行くついでにショウをナンブ家に預けようと、ナンブ家の区画を訪れていた。
キクガの教育が功を奏したのか、息子のショウは礼儀正しい子供に成長した。ハキハキとした言葉で物事を上手く伝えて、見知らぬ大人を相手にきちんと挨拶ができるぐらいに立派に育った。
まだ短い黒髪は艶があり、黒曜石の瞳はつぶらで大きい。愛らしい顔立ちは黙っていれば少女と呼んでも過言ではないほど可憐で、紡がれる声は子供特有の高さを持つ。――口に出してはいけない性癖を持つ輩には、うってつけの獲物にされるのではないかと思うほどの可愛さだった。
「大きくなったなぁ、ショウ君は。悪いがハルカの面倒を見てくれよ」
「うん、分かった!!」
ショウの小さな頭を撫でたカナタは、自分の息子の面倒を見るようにショウへ頼む。いつものことだから、とショウは笑顔で了承していた。
「……自分の息子の面倒をショウに頼むのか、普通」
「ハルカな、ちょっと口下手でなァ。ショウ君は頭もいいし、小さいのにハルカの言いたいことが分かるみたいだし、ちょうどいいかと」
「…………まあ、ショウが了承しているのであれば私はなにも言わないが」
深々とため息を吐いたキクガは、玄関近くの柱からひょっこりと顔を出した子供の存在に気づく。
黒い髪はややボサボサで、眠たげに垂れ下がった黒曜石の瞳はどこかぼんやりとした印象を与える。キクガと視線が合うや否や、彼はすぐに柱の陰に隠れてしまった。
彼がナンブ家の次期当主であり、カナタの息子であるハルカ・ナンブだ。人見知りをしないショウとは真逆で彼は人見知りが激しく、あまり言葉が達者ではない。お喋りで聞き上手な父親とは対照的と言えようか。
元気よく「お邪魔しまーす!!」と挨拶をしてからナンブ家の屋敷に入っていったショウは、思い出したようにキクガへ振り返る。気怠そうにしているカナタの首根っこを引っ掴んだキクガは、息子の視線を受けて首を傾げた。
「いってらっしゃい、お父さん」
「……ああ、行ってくる」
小さな手で一生懸命に手を振るショウへ手を振り返して、キクガはカナタを引き連れて屋敷を後にした。
「ほーう、ほ――――う」
「何か言いたいのであれば聞こうではないか」
「いやぁ、随分と息子さんには甘いんだなと思ってな? まあ、あそこまで礼儀正しいからきっと厳しく教育はしているのだろうけど」
「殴る」
「イッタ!? ちょ、本当にやめ、恥ずかしいからって拳で対抗してこないでぇーッ!!」
バシバシとキクガは無言でカナタに暴力を振り、カナタは楽しそうに笑いながらキクガから逃げ回るのだった。
どちらも一児の父親だというのに、精神的にはまだ子供のようである。
☆
「あー、たでーまぁ」
「お邪魔する」
カナタと共にナンブ家の屋敷に帰宅したキクガは、当主であるカナタに「上がってけよ」と促されて屋敷に上がることにした。
きちんと清掃が行き届いた廊下を進み、客間に通されたキクガを出迎えたのは、
「お帰り、お父さん!!」
「わッ」
客間に飛び込んできた愛息子――ショウだった。
息を切らせて客間までやってきた彼は、キクガの鳩尾に思い切り頭突きしない勢いで飛びついてくる。「おかえりぃぃぃぃ」とどこか興奮した様子である。
「おうおう、ショウ君や。そんなに父ちゃんを熱烈に歓迎するとは、なんかあったかい?」
「うん!! あのねあのね、お父さんに見てほしくてね」
「ショウ……ちょっとすまないが、あの、鳩尾に頭突きをするのはやめてくれないか……口からなにかが出そうになったのだが……」
「あ」
ショウは慌ててキクガから離れると、しょんぼりと肩を落として「ごめんなさい……」と謝ってくる。
怒られるかもしれない、と察知したらしい息子の小さな頭を優しく撫でてやると、
「ゆっくりでいい、なにがあったのか話してみなさい」
「ッ!!」
ショウの表情が分かりやすく明るくなった。
彼は「えっと、えっと」とキョロキョロと自分の手を見て、自分の周りを見て、それから首を傾げる。
「あれ……ない……」
「ショウ、ショウ、忘れ物……せっかく、書いたのに」
「あ、はるかおにーさん。ありがとう!!」
遅れてトタトタと客間までやってきた少年――ハルカ・ナンブが一枚の画用紙を持ってくる。ショウがきちんとお礼を言いながらハルカから画用紙を受け取ると、それをキクガに突き出してくる。
その画用紙には、子供特有の味のある絵が描かれていた。色鉛筆を駆使して描かれていたものは、黒い着物を着た二人の人間だった。片方は大きく、頭の上に白く尖ったものが載せられている。もう片方は小さく、ニコニコとした満面の笑みを浮かべていた。
「ぼくとね、お父さん描いたの」
ショウは満面の笑みで言い、
「いつもありがとう、お父さん」
決して上手とは言えない絵だが、子供なりに一生懸命、上手に描こうとしてくれた絵だ。
キクガはショウの頭を撫でてやり、優しく微笑んだ。
「とても上手に描けているよ。ありがとう、ショウ」
「……えへへ」
恥ずかしそうにふにゃりと笑ったショウは、キクガに抱きついてきてぐりぐりと頭をキクガの腹に押しつけてくる。恥ずかしさを隠す時の癖はまだ抜けないようだ。
「さて、そろそろお暇しようか。ショウ、家に帰ろう」
「うん」
「お? 夕飯は食ってかねえでいいのか?」
奥方が運んできた湯飲みの中の緑茶を啜るカナタが、けろっとした様子で問いかける。
キクガは「いつも世話になる訳にはいかないだろう」と返し、
「たまには私だって自炊ぐらいはできる」
「ショウ君や、キクガの料理の腕前はどうだ?」
「おいしくない!!」
「こら、ショウ」
腹に頭を押しつけていたショウに軽く注意すると、
「でもね、たまごやきはおいしいの。とってもあまくてね、ぼくだいすき」
にへへーとショウは笑う。
キクガはお世辞にも料理上手とは言えず、サユリと結婚をしてから家政婦は雇わなくなった。そしてサユリが死んでしまって以来、なるべく自炊するように心がけていたのだが、どう頑張ってもできる料理は黒焦げなものばかりだったのだ。
それなのに、この息子ときたら。
キクガはショウの小さな体を抱き上げると、
「分かった。なら、今日は卵焼きを作ろうか」
「ほんと!? じゃあ、うんと甘くしてね!!」
「いいとも」
父の言葉を受けて、ショウは満面の笑みを浮かべてみせた。
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