第11話【決意新たに】
あれから、どうやって帰ったのか覚えていない。
半ば追い出されるようにしてキタオオジ家の屋敷から去ったキクガは、藤色の花飾りがついた
さながら幽鬼の如くふらふらと歩きながら、キクガはキタオオジ家が統治する区画から自分が統治する区画まで戻ってくる。
空は夕焼け色に染まり、道行く子供たちは「急がねえと母ちゃんに怒られるぞ!!」「早く早く」などと慌てた様子で家路に着く。家ではすでに夕飯の支度が始まっているのか、窓からは明かりが漏れ出ていた。
――キクガさん、今日の夕飯はなにがいいですか?
耳にこびりついた彼女の優しい声が、幻聴として蘇る。
覚束ない足取りでようやっと自分の屋敷まで帰ってきたキクガは、重たい引き戸を開けて屋敷の中に足を踏み入れる。
「お帰り、キクガ」
「…………」
ぼんやりと顔を上げると、そこには顔を覆い隠した幼馴染みが我が子を抱えて立っていた。
「……お前さん、今にも死にそうだぞ」
「…………ああ、そうだな」
カナタの言葉に、キクガは合点がいったとでも言わんばかりに頷く。
「カナタ、私を殺してくれ」
「なにを言ってんだ、お前さん」
「サユリは【
目の前に立つカナタが息を飲む気配があった。
彼が怒鳴ることはなかった。そしてキクガの愚かな願いを叶えることすらなかった。
「だったら余計に死んだらダメだろ」
「何故? 家族を守れなかった私に、生きている価値などあると?」
カナタを見やれば、彼は腕に抱いた我が子を突き出してきた。
反射的に両腕でずっしりと重たい我が子を抱きかかえれば、ふにゃりと赤子は可愛らしい笑みを浮かべてキクガに手を伸ばす。小さな手を懸命に伸ばして、キクガのやや乱れた黒髪を一房掴んだ。
「あー、うー?」
意味をなさない言葉。
自分の親であることを確かめるかのように髪を引っ張る我が子は、楽しそうに笑っていた。自分の母親が酷いことに使われたというのに、この子の記憶には何一つとして残らないのか。
ぼんやりと我が子を見つめて固まるキクガに、カナタは言う。
「そいつは、お前さんの息子だろう。お前と、サユリ嬢との子供だろう。サユリ嬢は【伊奘冉】に使われちまったとしても、まだお前さんの家族は――サユリ嬢が腹を痛めて産んだお前さんの息子が、ここにいるだろう!!」
「…………そうか、そうだったな」
我が子を落とさぬようにキクガは息子のショウを抱きしめ、
「私がこの子を守らなければならないか」
「そうだ。サユリ嬢に代わって、お前さんがこの子の親として守っていかなけりゃなんねえんだ」
カナタが真っ直ぐにキクガを見据え、
「家族想いのお前さんなら、その子の大切さが分かるだろう。母親がいなくて大変かもしれないが、誠実なお前さんなら立派に育てられるだろうさ」
☆
布団の上で眠る赤子の頬を撫で、キクガは思う。
「……子育てとは、こんなにも大変だったのか」
自分でもサユリの手伝いをしているつもりだったが、とりあえず離乳食を作るのが大変だった。サユリはこれに加えて、自分の食事も用意してくれていたのか。
そう考えると、女性とは大変なのだなと考える。
「……すまないな、ショウ。できの悪い父親で」
息子はすぅすぅと規則正しい寝息を立てて眠っている。
今日から、自分一人でこの子を育てなければならないのだ。そう考えると、少しばかり不安になってくる。サユリと同じことができるだろうか、とキクガは不安に駆られる。
本当なら母親の存在が必要になってくるだろうが、サユリと同じ運命を辿らせる訳にはいかない。
「――――?」
キクガは顔を上げる。
視線を投げたのは、縁側の先に広がる庭だ。
紺碧の空に白銀の星々と青白い月が浮かび、静かな夜の世界が広がっている。開け放たれた障子から冷たい風が屋敷の中に吹き込んできて、キクガの長い髪を揺らした。
キクガは口元の黒い布を剥ぎ取り、サユリから贈られた狐のお面に手を伸ばす。「キクガさんに似ています」と言って笑った彼女の顔が、脳裏に浮かぶ。
頭に狐のお面を乗せたキクガは、
「そこにいるのは誰だ」
「……なぁんだ、バレちゃった」
ひょっこりと顔を出したのは、煌びやかな着物を身につけた花魁だった。
庭先からやってきた彼女は、悪戯が成功した子供のように楽しげに笑っていた。
「どう? その子のお世話、頑張ってるみたいね」
「……帰ってくれないか」
「ひどぉい、大変だろうなって思ったから手伝いにきたってのに」
美しき花魁――ノゾミ・サイオンジはくすくすと笑いながら、縁側に腰かけた。
「ねえ、キクガ。アンタの奥さん、可哀想にねぇ」
「…………君のところの当主が殺したのだろう。謝りにでもきたのか?」
「謝る? なんで?」
ノゾミは本当に疑問に思っているようだった。
きょとんとしたような表情で言う彼女は、
「ただの一般人が
「…………」
キクガは口を噤んだ。
彼女の母親――サキネ・サイオンジも言っていた。
大人しく、何も言わずにサイオンジ家の娘と結婚していれば、サユリは無事だった。傷付かずに、他の優しい男性と結婚して、彼女の幸せを掴んでいたかもしれない。
それでも、彼女と結婚したことを後悔したことはない。そして、四神家の質が落ちるなどと思ったことも毛頭ない。
「ねえ、キクガ。その子のお母さん、私がなってあげましょうか?」
縁側から振り返って無言でいるキクガに振り返り、ノゾミは提案してくる。
「母親がいないと、なにかと大変でしょう? 私はお母様から一通りの家事を教え込まれているしぃ、それに元々私とアンタは許嫁だったのよ? 元の鞘に収まるだけじゃない」
ノゾミはにっこりと微笑んで、
「ねえ、私にしなさいよ。アンタの子なら、私は愛せるわ」
「そうか」
キクガはスッと音もなく立ち上がると、
「私は君を愛することなどできない」
「え――」
キクガは右腕に
ズ、と生々しい感覚が武器を通じて伝わってくる。
ノゾミの瞳が見開かれる。その奥に映る自分の姿は、恐ろしいほど無表情だった。
「な、んでッ……キクガ……ッ、こふッ」
「何故? 理由など不要だろう」
乱暴に花魁の体から刃を引き抜いたキクガは、血濡れた刃をノゾミの鼻先に突きつけて言う。
「私から愛する妻を奪っておきながら、何食わぬ顔でその座に収まろうとするのか? どうせ私の息子すらも殺すつもりなのだろう」
キクガは引き金に指をかける。
怯えた表情で見上げてくるノゾミを冷めた目で見やり、
「私は君のことを――
ノゾミは掠れた声で「待って……お願い……」と弁明しても、キクガは聞くことはなかった。
「地獄で己の罪を後悔しろ、ノゾミ・サイオンジ」
キクガは躊躇うことなく引き金を引く。
ごう、と紅蓮の炎が溢れ出し、ノゾミに襲い掛かった。
手を、足を、体を容赦なく焼かれて、ノゾミは断末魔を上げて地面をのたうち回る。
「たすけ、助けて、いや、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさぃぃぃあああああ」
じたばたともがき苦しみながら炎に包まれて力尽きたノゾミは、消し済みになって動かなくなった。
庭に転がるかつて婚約者だった女の死体を冷めた目で見下ろし、キクガはぐしゃりと黒く焦げて判別がつかなくなってしまったノゾミの顔を踏みつける。彼女の死体は、容易く崩れてしまった。
何度も何度も黒く焦げたノゾミの死体を踏み潰して、キクガは呪いをかけるように呟く。
「――許さない、許すものか。私から妻を、ショウから母親を奪ったサイオンジ家を、キタオオジ家を、許すものか」
呪いをかけるように呟いていたキクガだが、火がついたように泣くショウに我に返る。
布団の上で眠っていたはずのショウが起きてしまったようだ。キクガは武器を消して、ショウに駆け寄る。小さな赤子を抱き上げて、あやすように背中を撫でてやった。
「すまない、ショウ。驚かせてしまったな。安心していい、私が側にいる」
努めて優しい声でショウをあやしてやり、キクガは赤子の背中を撫でてやりながら自分の中に呼びかける。
(――【
(なんだ)
(私を軽蔑するか? 恨みだけで人を殺した、私を)
(いいや、軽蔑しないさ。むしろ人間らしい感情を抱くのかと驚いている)
気高い魂を好むとされる【火神】はくつくつと笑いながら、
(自らの意思で恨みを持つこともいいことだ。儂はそんな人の形を好む)
(――君は、随分と変わっているな)
(そうか? 儂は寛容だと思うがなァ)
ようやく泣き止み始めたショウの頭を撫でて、キクガは赤子をそっと布団の上に寝かせてやる。
頬を伝い落ちる涙を拭ってやり、キクガはそっと誓う。
「サユリ、君に代わって私がショウを守る。――絶対に」
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