第4話【一目惚れの話】
「おのれあの馬鹿父上め……次期当主だからと言って、仕事を押し付け過ぎではないのか」
花火大会から数日が経過した夜のこと、キクガは機嫌悪く家路を辿っていた。
予想以上に仕事が立て込んでいたのだ。おかげで、ここ最近はあの茶屋に行くことすらままならない。――いや、むしろその方が都合がいいのだろうか。
あの茶屋の給仕と顔を合わせづらかった。花火大会のあの日に、色々と口を滑らせてしまってから自然と茶屋に通うことを避けていたかもしれない。
「……もう閉店している頃合いか」
ほぼなにも考えずに通る道は、あの茶屋が並んでいる店の通りで。
知らず知らずうちにあの茶屋を目指してしまっている自分がいた。ほぼ習慣になってしまっている。
しかし、もう時刻は夜の一〇時を回ろうとしていた。どこもかしこも店じまいをしている最中で、あの茶屋も同じように暖簾が下げられていて営業が終了していることは明らかだった。
「……私はなにを期待しているのだろうな」
こんな訳の分からない甲斐性なしなど、彼女がきっと好きになってくれる訳がない。
いや、もしかしたらすでに心に決めている人がいるのかも。結婚している可能性も捨てきれない。何故なら彼女はとても魅力的な女性で、男が彼女に惹かれない理由などないからだ。
「…………帰ろう」
考えていても無駄だ。いずれ人でなしになる自分に、日向の世界で生きるべき彼女と関係を持つべきではない。
カラコロと下駄を鳴らしながら茶屋の前を通り過ぎようとしたその時、ガラガラと茶屋の引き戸が開いた。その向こうから姿を現したのは、あの小豆色の着物を纏った給仕の女――サユリである。
「お疲れ様でした」
「ああ、ご苦労様。気をつけて帰るんだよ」
「はい」
ちょうどサユリも仕事終わりだったのか、茶屋の女将にペコリと頭を下げて引き戸をガラガラと閉ざす。それから疲れたように息を吐くと、彼女も家路を辿り始めた。
こんな夜中に女性を一人で家に帰すとは何事だろうか。か弱い女性を夜の世界に放り出せば、色々な危険が待っている。誰かが守ってやらなければならない。
そう思っていたら、自然と彼女の背中に声をかけていた。
「こんな夜遅くに一人で帰るとは感心しないが」
「きゃ……ッ!?」
驚いて振り返るサユリは、キクガの姿を認めると安堵したように息を吐く。
「お、驚かせないでください!!」
「そ、それは申し訳ないことをした。すまない」
サユリに注意されて、なにも考えずにキクガは謝罪する。
彼女は慌てた様子で「あ、お、怒ってないです。ちょっと驚いただけで……」とパタパタ手を振りながら言ってくるが、相手の主張もよく分かる。なにせこんな夜の時間帯に、唐突に声をかけてくる異性など警戒するに越したことはない。
キクガは自分の軽率な行動を反省しつつ、
「各区画の
「あ、いえ。茶屋の従業員は私だけなんです。私と女将さんと、旦那様だけで」
――なんとなく予想していたことだが、まさか本当に従業員が彼女だけとは。
キクガは天を振り仰ぎそうになるが、常識的に考えてこう行動するのが賢明だろうと判断する。
「君、家はどちらの方向かね?」
「え、あの……?」
「こんな時間帯に女性一人を歩かせるのは危険だ。私が送っていこう」
「え、そんな……!! ご迷惑になりますよ!!」
サユリは首を振って辞退を申し出ようとするが、キクガは「いいのかね?」と首を傾げる。
「今から君が使う道は、見えてはいけないものが」
「やっぱりお願いします」
「承知した」
即座に返事を変えてきたサユリの態度を不思議に思うキクガ。
というより、婦女子がこんな時間帯に見えてはいけないアレソレが跋扈する道を使っていたのが問題だ。不審者に襲われることも恐ろしいことだが、ワノクニは幽霊やその他の被害もよく聞く。
月明かりがぼんやりと照らすだけの薄暗い道を辿り始めるキクガの手を、サユリがそっと掴んでくる。思わず振り解きそうになってしまったが理性で抑え、キクガはサユリに振り返る。
「どうかしたのかね?」
「あ、あの、あの、すみません。私、お化けとか怖くて。すみません、手を繋いでいてもいいですか……?」
「構わないが」
眉一つ動かさずに頷いたキクガだが、内心はドキドキと心臓がおかしくなりそうな状態だ。
手汗は掻いていないか心配になったが、サユリは思ったよりもギュッと力強くキクガの手を握りしめてくる。そのままだと手が握り潰されかねないほどに力強く握られている。
「すまないが、それほど強く握るのであれば腕に掴まってくれるとありがたいのだが」
「す、すみませんすみません!! で、でも」
「無理強いはしないが、君が安心しないのではないのかね?」
手を握るサユリはどこか不安げにしていて、今にも泣き出してしまいそうだ。さすがにキクガも彼女を怖がらせるような真似はしたくないので、そっと腕を差し出す。
「大丈夫だ。君のことを馬鹿にしたり、辱めたりしない。私の家名に誓おう」
サユリは少しだけ視線を彷徨わせ、やがてキクガの腕に抱きついてきた。
「は、はしたない娘ですみません」
「気にしないでほしい」
サユリの歩幅に合わせて、ゆっくりと道を歩き出すキクガ。彼女はひたすら周囲を見ないように、瞳を閉じた状態でキクガに引きずられていた。
歩き始めてしばらく経ってから、二人の間の沈黙を破るようにサユリの方が口を開く。
「あの、これで助けてもらったの、三度目ですね」
「そうか……そうだな」
一度目は茶屋で厄介な男性客に絡まれていた時、二度目は花火大会で人混みに流されそうになった時だ。
サユリは「なんか、お手を煩わせてしまって申し訳ないです」と呟く。
「四神家のお方――それも次期当主様のお手を煩わせるなんて、本当なら打ち首になってもおかしくないですよね」
「あまり四神家を特別視しないでほしいのだが」
「あ、すみません」
「いや、こちらこそ。少し冷たい物言いになってしまったな」
四神家は、ワノクニの統治を任されたと同時にそこで生きる民を守る役目を任された四つの家だ。誰かが困っていれば力になるのは、当然のことである。
別に、四神家だからって特別視されなければならないのはおかしい。弱き者は強き者の手によって守られるのが当たり前なのだから。
「――――いや、少し語弊があるか」
「え? なんですか?」
サユリが聞き返してきたので、キクガは「なんでもない」と言う。
自分が彼女を助ける理由など決まっている。男であれば誰だって持ち合わせる欲望を、四神家の義務だと綺麗なものに置き換えただけだ。所詮は自分もその辺の有象無象と変わらない野郎である。
「君、一目惚れという言葉は信じるかね」
「え――?」
「私が君を助ける理由など、そこら辺の男どもが抱く汚い欲望と同列だ」
そのうち人でなしになる男の、僅かに残された人間らしい一面である。
自嘲するように笑ったキクガは「先程の言葉は忘れてほしい」と言うと、
「……私も、一目惚れって信じてます」
「…………」
予想外の返答があって、キクガの思考回路は止まってしまった。
彼女も人間だ。一体どれほど生きているのか不明だが、それなりに恋も経験していることだろう。
明るい話題提供にはならなかったか、とキクガが自分の話題の振り方を後悔していると、
「初めてお店にやってきた時、お団子を五〇本も注文して『よく食べる人なんだな』と思いました。でも、注文したお団子を持って行った時――そしてそれを食べた時、今まで無表情だったのが嘘のように笑顔になったんです」
腕にしがみつくサユリはキクガを見上げると、恥ずかしそうに笑う。
「その時の笑顔がとても可愛くて、気がついたらいつも目で追いかけちゃってました。もっとその笑顔を見たいなって」
するりと腕にしがみついていたサユリが離れていく。月明かりに簪のとんぼ玉を煌めかせた彼女は、
「私の家、すぐそこなのでここまでで大丈夫です。――おやすみなさい」
「ああ、おやすみなさい」
ペコリとサユリは頭を下げると、すぐ近くの曲がり角に姿を消した。
彼女の背中が見えなくなるまで立ち止まっていたキクガは、しばらくぼんやりと立ち尽くしていた。
一体なにが起きたのか、状況が上手く飲み込めない。なにがあったのか、なにが起きたのか、よく分かっていなかった。
「おーい、キクガ。キクガ? お前さん、道の真ん中にぼんやり突っ立ってなにしてんだい」
「…………カナタか。なにか用かね」
紺碧の空から唐突に人が降ってきたが、キクガは全く驚くことなく平坦な声で応じる。まだ先程の状況が飲み込めていないようで、心ここに在らずといった状態だった。
夜空から降ってきた当本人――ナンブ家当主のカナタ・ナンブは「いやー、別に用事でもないんだけどな」と布の下に隠された顔にニヤリとした笑みを浮かべる。
「さっきの娘がお前さんの意中の相手かい? なかなか可愛い娘じゃないか。サイオンジのアバズレよりもよほど……痛い痛い!! なんで殴ってくるんだい、キクガ!?」
「君は!! 余計な考えを!! 持たんでいい!!」
バッシバッシとカナタの背中をぶん殴りながら、キクガは恥ずかしさを隠すように叫んだ。
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