第3話【花火大会での出来事】

 ドン、ドンと腹の底に響くような重低音が大地を揺るがす。

 紺碧の夜空にはパラパラと色とりどりの花火が上がっていた。誰も彼もが夜空を見上げて、花火の美しさに見惚れている。

 夏真っ盛りになると、ワノクニでは花火大会が開催される。夏の風物詩とも呼べる催し物は、ワノクニの住人は誰もが楽しみにしていることだった。

 ――ここにいる青年以外は、だが。


「……帰りたい」


 花火がよく見える河川近くの桟敷さじき席にて、四神家の飲み会が執り行われていた。

 現当主である父に引きずられるようにして飲み会に強制参加させられたキクガは、能面のような無表情で清酒が揺れる杯を傾ける。喉を焼くような熱い液体が胃の腑に落ちていくと、くらりと頭が揺れた。

 季節ごとの催し事があると、必ずと言っていいほど四神家しじんけは集まって大規模な飲み会を開催する。なにかにかこつけてどんちゃん騒ぎしたいだけだろうが、キクガはあまり騒がしいのは好まない。

 特に、顔を合わせたくない家があるのだから尚更だ。


「ほぉら、キクガったら。杯が空いてるわよぉ?」

「ノゾミ、君は他に行け。私は一人でいい」

「固いこと言わないでよぉ」


 しこたま酒をかっ喰らったのか、隣に居座る妖艶な花魁の元許嫁――ノゾミ・サイオンジは徳利からキクガの酒杯に清酒を注ぐ。酒精アルコールによって上気した肌が着物の襟や裾から垣間見えるが、全く唆られない。見るに耐えない。

 キクガはニコニコと微笑むノゾミから視線を外すと、酒杯に注がれた酒を一気に飲み干した。それから盆に酒杯を戻すと、しなだれかかってくるノゾミを振り解いて立ち上がる。


「ちょっとぉ、どこ行くのぉ?」

「帰る。騒ぎたいだけであれば、私抜きでやってくれ」


 冷たく聞こえる言葉を吐き捨てて、キクガは襖へ向かう。


「キクガ、お前も大人になりなさい。大人になれば、付き合いと言うものが」

「父上」


 背後から投げかけられた父の窘めるような言葉に、キクガはゆっくりと振り返る。

 そっと拳を構えて、人でなしの父を先手必勝でぶん殴れるようにしながら。


「ぶん殴られたくなければ、酒は程々にしてください。酔っ払って帰ってきた暁には、家に入れません」

「酷くないかそれ、一応こっちは現当主なんだが?」

「知りません問答無用です。嫌なら術式を持ち出して私を捻じ伏せてみろ、飲んだくれ」


 実の父だろうが機嫌の悪いキクガには関係ないことであり、言葉を吐き捨てて桟敷席から立ち去った。

 襖を通じて聞こえてきた賑やかな声に、キクガはうんざりしたように呟く。


「……酔っ払って帰ってきて、もし吐いた暁には誰が掃除すると思っている」


 以前もこういうことがあったのだ。確か、正月の集まりだったか。

 酒をしこたま飲んで酔っ払った父を引きずって帰り、家に着いた途端に玄関先で吐いたのだ。正月ということもあって家政婦は年末年始休暇を取らせていたので、玄関先の吐瀉物の掃除はキクガ一人で行ったのだ。

 もうあの掃除は二度としたくないので、本当に大量の飲酒を控えてほしい。

 深々とため息を吐いたキクガは、さっさと家に帰って一人で花火を見るかと家路を辿る。


「――あ」


 屋台が並ぶ賑やかな大通りにて、たまたま見かけた人影。

 見慣れた小豆色の着物を纏い、いつも身につけているはずの純白の前掛けはしていない。髪を飾る桜色のとんぼ玉が特徴のかんざしが目を惹く。

 花火に夢中になっていた彼女だが、その黒曜石の瞳はいつのまにか自分に向いていた。瞳を瞬かせた彼女は、驚いたような表情を浮かべる。


「あ、えっと……花火を見にいらしたんですか?」

「あ、ああ……今まで飲み会に参加していて、騒がしいから帰ろうかと思っていたところだ」

「そうですか……」


 なんだか気まずい空気が、二人の間に流れる。

 そこまで親しい間柄ではない。所詮は行きつけの茶屋の従業員と常連客の関係だ。ここで引き止める理由は、キクガにはない。

 立ち去ろうかと思ったその時、後ろから人の波が一気に押し寄せてきた。色とりどりの浴衣を身につけた老若男女の花火見物客が、キクガと彼女を襲い掛かる。


「きゃ……ッ」


 人の波に押し流されてしまう彼女に、キクガは反射的に手を伸ばす。

 華奢な女の手を掴んで自分の元に引き寄せると、人の波を避けるように道の端に寄った。大通りで立ち止まっていた自分も悪いが、花火に夢中で通行人に迷惑をかけるとはどういうことか。


「全く、なにか一言ぐらいほしいものだが……と、すまない。大丈夫だろうか? どこか怪我は?」

「あ、いえ……だ、大丈夫です。ありがとうございます」


 すぐ近くに迫った淡い恋心を寄せる彼女の存在に、キクガの心臓がドキリと音を立てる。思わず引き寄せてしまったが、迷惑ではなかっただろうか。

 彼女も慌てた様子でキクガから距離を取ると、自分の髪型を少しだけ弄って整える。

 さて、どうしたものか。

 キクガは自分が甲斐性のない男であることを自覚しているし、気の利いた話題の提供などできやしない。ここからどうするべきかと迷っていると、


「あ、キクガ。ちょっと待ちなさいよぉ、帰るなら私も帰るわぁ。だから送ってちょうだい」

「げ」


 キクガはあからさまに顔を顰めた。

 自分が今しがた出てきたばかりの桟敷席から、あの忌々しい元婚約者が顔を覗かせたのだ。若い男を何人も囲っているという情報を叩きつけてからは、何故か囲っていた男どもを全て切って一途を装ってすり寄ってきたが、キクガの心はすでにあの花魁には向いていない。

 あの女の手を取るぐらいなら、とキクガは彼女の華奢な手を取った。


「すまない、サユリ・ヒナタ嬢。少しばかり付き合ってほしい」

「え、あの! 私の名前!?」


 花魁が追いついてくるより先に、キクガは彼女を連れて人の波に乗り、急いで飲み会の会場付近から離れた。

 ダシに使うようで申し訳ないが、彼女には少しばかり付き合ってもらおう。


 ☆


 露店が並ぶ大通りでは、家族連れや友人同士よりも若い恋人同士の影が多かった。

 焼きそばやりんご飴などの屋台でしか味わえない食べ物の露店は賑わいを見せていて、子供なんかは母親らしき女性に「あれが食べたい」などと強請っていた。微笑ましい光景である。

 飲み会の会場が見えなくなったところで、キクガはハッと我に返る。ここまで彼女の手を握ってやってきてしまった。こんな訳の分からん無愛想な男に、だ。


「すまない、ヒナタ嬢」

「あ、あの、いえ、大丈夫です」


 小豆色の着物をきた彼女――サユリ・ヒナタは赤らんだ頬をパタパタと手で仰ぐ。

 ここは密度も高い。日が落ちているとはいえ密度が高ければ暑さも感じるだろう。キクガは「なにか冷たいものでも買うか?」と提案すると、サユリは首を横に振った。


「あの、お聞きしたいのですが」

「なんだね?」

「先程の声って、あの、婚約者の方ですよね。サイオンジ家の……」

「元だ。婚約は破棄した」


 え、とサユリは驚いたように黒曜石の瞳を見開く。


「すみません、お話ししにくい内容でしたね」

「君が気にするような内容ではない。どうか『その程度の話だった』と認識してほしい」


 キクガは特に気にした様子はないが、サユリの方はそう思わなかったらしい。沈んだ面持ちで視線を落とす。

 どうしよう、とキクガは内心狼狽えていた。ナンブ家の当主であるカナタとは違って、キクガは口下手で無愛想だ。話題の提供などできやしない、会話能力すら危うい甲斐性なしである。

 なにか会話のきっかけになるようなものはないかと周囲に視線を巡らせると、ちょうど近くに風車を売っている店があった。台座に掲げられた様々な色の風車がカラカラと回る中で、桜色の風車が目に留まる。

 彼女の髪を飾る簪と同じ色だ、と思った。気がつけば、その風車を購入していた。


「その桜色の風車をくれないか」

「はいよ」


 露店の主人から桜色の風車を受け取ったキクガは、一輪の花を差し出すようにサユリへ風車を突き出した。


「私は、君の方が魅力的だと思うがね」

「え――」


 サユリが顔を上げる。

 キクガは彼女の手に風車を握らせて、


「それは、連れ回してしまった謝罪の証として受け取ってほしい。今日はすまなかった」

「あ――ま、待って、ください!!」


 急いでその場から立ち去ろうとしたが、背後から呼び止められて思わずキクガは立ち止まってしまう。

 彼女は朗らかな笑顔を浮かべ、両手で桜色の風車を握りしめると、


「これ、大切にしますね。ありがとうございます」

「……そうしてくれると、私としても嬉しい」


 流れで恥ずかしいことを口走ってしまったが、どうか彼女の記憶に残らないことを祈りながらキクガは人混みの中に消えた。

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