第18話【焼き払え、煉獄】
熱い。
目の前が燃えている。
紅蓮の炎の巨人の中、ショウはぼんやりと瞳を開く。
体は熱いが、不思議と自由は利く。歩行にも問題はなく、自分の体が焼けているという心配もない。
「――あれは」
目の前に立ち塞がるのは、黒い竜巻。一目で触れてはならない危険なものであると理解できる。
あれは【
「ユフィーリアは、すごいな……」
炎に抱かれながら、ショウはポツリと呟く。
今まで黒い竜巻を押し留めていたグローリアの実力もすごいと思うが、死の象徴とも呼ばれる最古の天魔【伊奘冉】をたった一人で相手をして戦線を維持したユフィーリアの実力もすごい。
やはり、最強の天魔憑きと呼ばれるだけはある。
「負けていられない、か」
自分が情けなくもイノリの術中に嵌まってしまった時、助け出してくれたユフィーリアは「この借りは戦場で返せ」と言っていた。借りを返す時は、今しかない。
紅蓮の炎がショウの背中を押してくる。今こそ【伊奘冉】に立ち向かう時だ、とでも言うように。
「――――【伊奘冉】を焼き払う!!」
ショウが両腕を伸ばすと、その動きに合わせて彼を包み込んでいる紅蓮の炎もまた蠢く。
ズズ、と炎で作られた太い両腕が持ち上がり、じわじわと距離を詰めてくる黒い竜巻の中に突っ込んだ。
おおおお、おおおおおおお、おおおおあああああああ。
黒い竜巻の中から、怨念が込められた絶叫のようなものが聞こえてくる。
ショウは構わず、さらに炎の両腕を黒い竜巻の奥深くまで突き入れる。ずぶずぶと奥まで侵入し、掻き回し、抵抗するように逃げようとする黒い竜巻を掴まえて引き寄せてやる。
「ぐッ」
右腕に痛みが走り、ショウは顔を
皮膚を引っ張られるような鋭い痛みだ。見れば、次々とショウの腕に引っ掻いたような傷跡が刻まれていく。
黒い竜巻に突っ込んだ炎の腕を引き剥がそうと、竜巻の中から黒い腕が何本も伸びて炎の腕に爪を立てていた。どうやら炎の腕が傷つけられると、ショウ自身にも返ってくるようだ。
「は、この程度の傷など屁でもない……!!」
深く爪を突き立てられたからか、引っ掻き傷が多くなるショウの腕から血が滲み始める。
一般人なら引っ掻かれた程度で悲鳴を上げているだろうが、幾度となく死線を潜り抜けてきたショウにとってはこの程度の傷に痛みなど感じない。
おおおお、おおおおおお、おおおおおあああおあおあああああああ。
必死に黒い竜巻が――【伊奘冉】が炎の腕を引き剥がそうとしてくる。爪を突き立てて深く引っ掻いて抵抗してくるが、ショウは拳を握ると黒い竜巻を殴りつけた。
「このッ、さっさと、消えろッ!!」
何度も何度も【伊奘冉】が噴き出す黒い瘴気に向かって拳を振り下ろすが、手応えはあっても消える様子は全くない。
このまま力任せに引き裂いてやるべきかと思ったが、次の瞬間、なにか小さなものが視界の端をよぎった。
「痛い、苦しい、なんでなんでなんで、なんで煉獄があるの」
ぶつぶつと平坦な声で批判をしてくるのは、小豆色の着物を纏った女だった。
随分と使い果たされたのか、女はやつれた顔をしている。簡素にまとめた黒髪もボサボサで、瞳はそこが見えないほどの漆黒で塗り潰されている。一本だけ残った腕で白い塊を抱きかかえているが、あれは赤ん坊かなにかだろうか。
小豆色の着物の女は虚のような瞳でショウを睨みつけてくると、
「許さない許さない許さない!! 私の邪魔をしないで!!」
耳障りな声で叫ぶ女の背後から、ブワッと大量の黒い瘴気が飛び散る。
視界を覆い尽くすほど飛び散った黒い瘴気が、ショウを抱き込んだ炎の巨人めがけて一挙に押し寄せてきた。ショウは舌打ちをすると、左腕で瘴気を払い落とす。
しかし、一瞬でも気を逸らしたことが命取りだった。
「死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んでお前はいらない消えろ!!」
鬼のような形相をした女が迫ってくる。痩せ細った小枝のような腕を伸ばして、炎の巨人に飛びついてくる。
あの腕に触れられて、炎の巨人の外に引き摺り出されたらどうなるだろうか。ショウはその前に女を掴んでぶん投げようとしたが、そもそも体の大きさが違うからか動きが大振りすぎて掴めない。
赤い
巨人の指の間を通り抜けてしまった女が、燃えることも厭わずに炎の巨人に抱かれるショウへ腕を伸ばして、
「浮気してんじゃねえ!!」
女の背後から、銀髪の女が姿を現す。
煌めく銀髪、色鮮やかな碧眼。その青い瞳には、紫色に輝く魔法陣が浮かぶ。
黒い外套の裾を翻して悠々と虚空を舞う彼女は、腰から
閃く薄青の刃は、瞳を見開いて振り返ろうとした女の背中の上を滑る。なにかを断ち切ったようだが、ショウからではその様子が見えない。
ただ、その攻撃が致命打となったのか、女が操り人形の如くふらりと倒れ込んできて、腕の中から白い包みがこぼれ落ちる。
「ユフィーリア――」
視界の端に消えていく相棒――ユフィーリア・エイクトベルは不敵に笑うと、
「ぶちかませ、ショウ坊!!」
相棒からの後押しもあり、ショウは手の中に赤い回転式拳銃を呼び出す。
自分が契約した天魔【
「これで終わりだ、【伊奘冉】!!」
そうして、ショウは引き金を引く。
☆
背後から現れた炎の巨人に驚きはしたが、あれの正体がなんとなくだが想像はついている。
逃さないように【伊奘冉】を抱きしめるユフィーリアは、大胆不敵に笑い飛ばした。
「残念だったなァ、お前にとどめを刺す奴が帰ってきたぞ」
「――うああああああ、あああああああああああああッ!!」
絶叫を上げた【伊奘冉】は、ユフィーリアを振り解こうと猛烈に暴れる。
火事場の馬鹿力でも発揮しているのか、それとも天魔の特性なのか、拳一つで岩をも砕く【
「ぅぐッ」
唐突に、彼女は膝を折って苦しみ始めた。
ぬらりと現れた炎の巨人が、黒い瘴気の渦の中へ炎の両腕を突き入れたのだ。
「ああああ、あああああああああ、ああ、ああああああ、ああああああああああ!!」
苦しそうに叫ぶ【伊奘冉】は、口の端から血が混じった涎を垂らしながらもユフィーリアを睨みつけてきた。そこまで執念深くユフィーリアを狙っているとは、逆に尊敬する。
すると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「馬鹿弟子ィ!! 今すぐそこから離れろィ!!」
反射的にユフィーリアは【伊奘冉】から距離を取ると、今までユフィーリアが立っていた箇所に黒い瘴気で作られた腕が何本も伸びてきた。ユフィーリアを引き摺り込もうとしたようだが、寸前で回避できたらしい。
「あ、師匠。お疲れ」
「オメェ言葉が軽すぎんだよィ!! ちったァ危機感を持てィ!!」
ショウの家で煉獄の捜索に向かったらしいアルベルドと、ショウの幼馴染みであるナンブ家当主のハルカが戻ってくる。二人とも急いでここまで戻ってきたようで、ぜぇはぁと揃って肩で息をしていた。
アルベルドはその場に座り込むと、
「ショウの坊主が自力で煉獄を解放したァ。【伊奘冉】はひとたまりもねえだろィ」
「いいや、師匠。まだやることはある」
ユフィーリアは大太刀を鞘に納めると、炎の巨人を見上げた。
天を貫くほど背が高い炎の巨人は、黒い竜巻を何度も何度も殴りつけている。黒い竜巻も負けていないようで、内側から腕を何本も伸ばして炎の巨人の腕に爪を立てているようだった。
こちらを恨みがましそうに睨みつけていた【伊奘冉】は、ぐるりと首を回して標的を移す。彼女の最優先の目的として、あの炎の巨人の始末が定められたようだ。
「スカイ、この世のものが見えるようになる方法はあるか?」
「ぅえ? 無茶振りじゃねーッスか」
いきなり話題を振られたスカイは「まー、できなくもねーッスけど……」と言う。
「ボクが契約した【
「じゃ、俺にやってくれ。頼む」
「は!? いや、やったことないんで危険ッスよ!? 失敗すれば失明したり……!!」
「それでもだ」
ユフィーリアにはなさねばならないことがあった。
黒い竜巻の中に飛び込んだ時、確かに『助けて』が聞こえたのだ。
――彼女を助けてやってほしい、と。
その彼女の予想も、大体ついている。彼女とやらを助け出し、【伊奘冉】を討伐してこそ、今回の戦場の勝利条件だ。
ユフィーリアの意思を汲み取ったのか、スカイは「あー、もー!!」と自分の赤い髪の毛を掻き毟る。鳥の巣のような髪が、さらにぐしゃぐしゃに乱された。
「どーなっても知らねーッスよ、自己責任!!」
スカイは叫ぶと、前髪の上からかけていた赤縁の眼鏡を捨てた。
カシャンと音を立てて地面に叩きつけられた眼鏡。分厚い前髪の隙間から覗く翡翠色の瞳には、紫色に明滅する魔法陣が浮かんでいた。
「《
スカイの術式が発動し、ユフィーリアは自分の体の中を探られるような気味の悪い感覚に吐き気を催す。それでもせり上がってきた吐き気を飲み込んで、気持ち悪さに耐えた。
数秒を置いて、ブツンというなにかが繋げられた音が脳の中で響く。瞳を瞬かせると、それまで見ていた光景が変わった。
「――――」
線が見える。
黒い竜巻を背にした小豆色の着物の女の背後から、人形を操る糸のようなものが見える。糸は黒い竜巻の中と繋がっていて、おそらくあれが巫女と【伊奘冉】を繋いでいるものだろうか。
着物の女が、炎の巨人の胸に飛びついた。自分の体が燃えることも厭わずに、その中に枯れ枝のように痩せ細った腕を伸ばす。
「浮気してんじゃねえ!!」
ユフィーリアは思わず叫ぶと、自分の切り札である『お
時間の流れが急激に遅くなる。ユフィーリアは地面を蹴飛ばして空高く飛び上がると、炎の巨人に飛びついた女の背中から伸びる糸を一太刀で切断する。
まるで糸が切れた操り人形の如く、女がふらりと炎の巨人めがけて倒れ込む。
彼女越しに見えた黒髪赤眼の相棒に不敵な笑みを見せると、ユフィーリアは叫ぶ。
「ぶちかませ、ショウ坊!!」
彼女は助けられただろうか。
ゆっくりと地面めがけて落下しながら、ユフィーリアは頭のどこかで考えるのだった。
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