第13話【深淵の爆発、闇に消える銀の髪】
「――ぶ、ぶぶぅ」
甘ったるい
相手が王族と呼んでも差し支えないほど高位の存在である
綺麗な顔をボコボコに腫らして、まるで蜂の巣のような状態を晒すイノリは、
「な、殴った……こんなに殴るなんて……この、ブス……」
「え? あと三発は欲しいって? 欲しがり屋だな、お前は。だけど俺は海より広い心を持ってるから、特別に無料で拳をくれてやろう」
圧倒的に不利な状況に立たされているにもかかわらず悪態を吐いてくるイノリに対して、ユフィーリアは満面の笑みを浮かべて拳を握りしめた。慌てた様子で「嫌よ!! 誰も欲しがってないわよぉ!!」なんてイノリは叫ぶが、問答無用で頭に三発ほど拳を叩き込んだ。
床に伸びたイノリの後頭部を踏みつけて、ユフィーリアはグローリアへと振り返る。
「こいつどうする?」
「うーん、僕はこの子を生かす義理はないけれど」
グローリアも朗らかに笑いながら「生かす義理はない」などと言い、ユフィーリアの足元でイノリがビクリと震えた。
最高総司令官が「殺せ」と命令すれば、ユフィーリアも従わざるを得ない。最高総司令補佐官であるスカイも別にイノリがどうなろうが興味はないようで、ユフィーリアのイノリに対する雑な態度を咎める素振りは見せなかった。
唯一、イノリに対する態度を改めようと言及してきたのはユフィーリアの師匠のアルベルドぐらいだったのだが、ユフィーリアが「うるせえ師匠、黙ってろ」という絶対零度の声音に恐れをなして口を噤んでいた。
「ユフィーリア、イノリを解放してくれないか」
「……ショウ坊」
ようやく体も自由に動くようになったのか、ショウがユフィーリアにイノリを解放するように言う。
足元に伏せるイノリはくぐもった声で「ぶふぅ……」などと発するので、おそらくショウの名前でも呼んだのだろう。言葉にはなっていないが。
ユフィーリアは少しだけ考えてから、仕方なしにイノリの頭に置いた足を退けてやる。一番の被害者は彼なのだ、ショウが言うのであればユフィーリアも強くは言えない。
「イノリ、顔を上げてくれ」
「ショウ……今だけはアンタに感謝してあげてもいいわ……」
ゆっくりと顔を上げたイノリに、ショウは「なにを言っている」と告げる。
「我が家の問題に奪還軍の手を煩わせるなんてできないだろう。まして、貴様如きにユフィーリアの手を汚すなど以ての外だ。二つほど質問してから、貴様はここで死んでもらうつもりでいるが」
淡々とした口調でとんでもない発言をするショウに、イノリは「ひぇ……」と声を引き攣らせる。さすが相棒、考えることはやはり同じことらしい。
怯えた様子の花魁を見下ろしたショウは、
「【
「あたしが生むつもりだったわぁ」
あっけらかんと言い放つイノリ。
ショウはその美貌に若干の嫌悪感を浮かべると、
「つまり、あれか。俺を昏睡させて既成事実を作ろうとしたと」
「合意の上でしょう? あたし、アンタの許嫁なのよ?」
「何度も言うが、俺は貴様と結婚するぐらいなら舌を切って死んだほうがマシだ」
「だって、その方が長持ちするのよ。今の【伊奘冉】様の巫女だって、アズマ家から出したのよ?」
「――俺の家から?」
ショウは眉を寄せる。
ユフィーリアも疑問に思った。ショウたちアズマ家は、現在ではショウ以外に親類はいない。先程の彼の口調から推測すると、ショウはこの事実を知らなかったようだ。
となれば、ショウよりも前の当主の話になるのだろうか。
「だから、アンタとあたしの子供を巫女にしようとしたのよ。あたしは女腹だからねぇ、誰と交わっても女の子しか生まれないからちょうどよかったわぁ」
「ユフィーリア、すまない。やはりこの女を殺してくれないか、できれば微塵切りにして魚の餌にしてやりたい」
「別にいいけど、ショウ坊、こいつ回復しねえか?」
「水葬術は回復する術を持っていない。回復するのであれば、蜂の巣のようになった奴の顔面はすぐに治る」
「ならいいか。よし、いっちょ張り切って微塵切りにしますか」
「ちょっとぉ!? なんで普通に殺そうとしてるのよぉ!!」
イノリは「いやーッ!!」と後退りしてユフィーリアの刃から逃れようとする。だが、距離を飛び越える切断術を前に後退りしたところで意味などない。
大太刀の鯉口を切ったところで、イノリが「ちょっと、ちょっとぉ!!」と待ったをかける。
「もう一つ質問があるんじゃないのぉ!? アンタ、一つしか質問してないじゃないのよぉ!!」
「――――ああ、そうだった」
ショウは思い出したようにポンと手を叩くと、
「前当主――父さんの生存を知っているか?」
「知らないわよぉ!! アズマ家前当主は【伊奘冉】様に逆らって死んだって聞いたわぁ、天魔憑きの最期は死体すら残さず跡形もなく消えるんだからぁ!!」
半泣きでイノリは叫ぶ。
ショウは「……やはりそうだろうな」と瞳を伏せて、小さく呟いた。
その時だ。
――――おおお、おおおお。
足元に忍び寄る瘴気に、ユフィーリアは寒気を覚えた。
それは音もなく近づいてくる得体の知れない恐怖で、背筋に冷たいものが伝い落ちていく。グローリアやスカイ、八雲神やアルベルドはその気配を察知して周囲を警戒していた。
「なんでェ、この寒気は」
「……まさか、この瘴気は……」
八雲神がなにかに気づいたようで、ボロボロの状態のイノリを睨みつける。
「【伊奘冉】が目覚めたのかッ!?」
「そこの狐巫女は察しがいいようねぇ」
顔中をボコボコに腫らしながらも、イノリはなにも知らないユフィーリアたちを嘲笑った。
「とうとう耐えきれなくなって、【伊奘冉】様自ら巫女を探そうとしているわよぉ」
イノリは青く染まった口元を吊り上げると、
「ほら、アンタ。早く行ってあげなさいよぉ。でなきゃ、このワノクニは滅んじゃうわよぉ?」
「ダメだ、ユフィーリア。行かなくていい」
イノリの促すような台詞とは対照的に、ショウは瘴気が漂ってくる方向へ行こうとするユフィーリアの腕を取って引き止めた。
「こんな故郷など、滅んでしまえばいい。俺は、ユフィーリアが犠牲になってまで故郷が救われてほしくない」
「ショウ坊……」
ショウがそこまで言うのだから、故郷など滅んでしまえばいいという言葉は本気なのだろう。
しかし、もしこの瘴気の正体がフルール大陸全体に及んでしまったらどうする?
天魔の脅威から地上を取り戻すべく日夜戦い続けていたユフィーリアたちの努力が、この瘴気によって崩されては堪らないのだ。
――おおお、おおおお、おおおおお、おお、おおおおお。
じわじわと這い寄ってくる瘴気は、壁や天井にへばりついて深淵へと塗り潰していく。
光が一切差さない暗闇。それらは廊下や部屋すらも覆い尽くして、ユフィーリアたちを闇の中に引き摺り込もうとしてくる。
いつもとは違う気配を察知したのか、イノリは弾かれたように顔を上げると深淵の奥へ視線をやった。
「……【伊奘冉】様? 【伊奘冉】様、なにがあったのですか?」
それはおそらく、彼ら四神家にしか分からない異変なのだろう。
ショウも這い寄ってくる瘴気が異常なものだと気づいたのか、顔を引き攣らせている。ユフィーリアの腕を掴む手も、どこか震えていた。
立ち上がったイノリは「【伊奘冉】様、なにか異常ですか【伊奘冉】様!!」と叫びながら着物の裾を引き摺って闇の中に消えていった。それと同時に、忍び寄ってくる黒い瘴気がさらに濃くなり、周囲をじわじわと浸食していく闇の速度も増す。
「まずい、このままでは飲み込まれるぞい!! 皆の者、急いで屋外へ避難せよ!!」
八雲神の避難命令に、全員して一斉に出口を目指して行動を開始する。
ユフィーリアもまた銀髪の狐巫女の避難命令に応じる為、迫りくる闇から背を向けてやってきた道を引き返し始めた。腕を掴むショウを俵担ぎにし、ユフィーリアは先導する八雲神の背中を追いかける。
――誰か、誰でもいいから、
逃げながら、ユフィーリアはその声を聞いていた。
確かにその声は、どこかで聞き覚えのある声だった。
――彼女を、助けてやってくれ。
☆
廊下を右へ左へ辿って、ようやく水牢御殿の外へ飛び出すユフィーリアたち。
わあわあと白い着物を身につけた亡者たちが騒ぐ中、彼女たちは空を染める黒い雲に戦慄する。
禍々しい雰囲気が漂っているのは嫌でも分かる。俵担ぎにしていたショウを下ろしながら、ユフィーリアは思わず呟いていた。
「どうなってんだ、これ……なんなんだよ……」
「おそらくあれじゃろ」
八雲神がどこか遠くを見据えながら、形のいい鼻を鳴らす。
彼が見ている方向へ視線を投げれば、黒い竜巻のようなものがワノクニの中心に出現していた。黒い竜巻が雲を発生させているのか、吹き荒ぶ風に乗って黒い煙のようなものが噴出している。
「あ、あれは一体?」
「ワノクニを支配する最古の天魔【伊奘冉】じゃよ」
グローリアの言葉に対して、八雲神は諦めたように言う。
「あの黒い瘴気に触れれば最後、命を吸い取られて死ぬ。いくら最高総司令官殿でも、死の象徴とも呼べる【伊奘冉】には勝てんよ」
ため息と共に言う八雲神に、グローリアは「そんな……」と絶望したように呟く。その側でスカイも面倒臭そうに、瘴気を撒き散らす黒い竜巻を睨みつけていた。
ユフィーリアは真っ直ぐに黒い竜巻を見据え、一歩を踏み出す。――逃げる為ではなく、竜巻に立ち向かう為に。
「ダメだ、ユフィーリア、どこへ行く!!」
「その【伊奘冉】って奴のところに」
引き止めるショウに、ユフィーリアは振り返ってあっけらかんと言い放った。
吹き荒ぶ風に銀髪を揺らし、青い瞳で相棒を真っ直ぐに見つめると、彼女は大胆不敵に微笑んだ。
「助けてくれって声が聞こえたんだ。だから、いつものように助けに行ってくるだけさ」
そう言うと、ユフィーリアは引き止められないようにと仲間たちに背を向けて走り出す。
背後から「ユフィーリア!!」とショウの叫びが聞こえた。首を突っ込めば最後、生きて帰ってこられる保証がないことは嫌でも分かる。
それでも、彼女が前の踏み出すと決めたのは、
「――そこにいるんだろ、お前」
近づく闇に対する恐怖心は、不思議とない。
たとえ死ぬようなことが起きたとしても、きっとどこかで上手くいく。
「お前を想ってる奴がいるんだ、だから無理やりにでも連れ戻させてもらうぞ」
煌めく銀色の髪を靡かせて、ユフィーリアは闇の中に飛び込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます