断章【禁忌の死神】

 ――カツン、と足音が深淵に落ちる。


 男は闇の中を歩いていた。

 前後左右は全て漆黒に塗り潰されているにもかかわらず、勝手知ったるとばかりの堂々とした足取りで深淵の中を掻き分けていた。


「……【伊奘冉イザナミ】様、もう少々の辛抱でございます。巫女は必ずや献上いたします故に……」


 深淵の中に声が落ちる。

 闇の中を歩き続けていた男だが、ふと目の前に明かりが灯った。その小さな明かりでは、この深淵を照らすことさえできないようだ。

 明かりの正体は、巨大な行燈あんどんを想起させる小部屋だった。一畳ほどの畳が置かれて、その上には座布団が寂しそうに鎮座している。半紙のように薄い紙の上には、東と一文字だけ書かれていた。


「苦しいことは分かっております……ですが、もう少々お待ちを。巫女は必ずご用意いたします……」


 ここまで歩いてきた男は、畳の上に置いてある座布団に正座した。

 声が聞こえてくるのは、同じように『北』と書かれた小部屋からだった。まるで癇癪かんしゃくを起こす子供をなだめるかのような口調で言う『北』の筆頭に、男は静かな口調で言う。


「それは、一体誰の領域から選出する巫女かね?」

「ッ!!」


『北』の小部屋が明らかに動揺した。

 当然だ、何故なら男は本来であればこの場にいてはいけない人物なのだから。


「――何故ここに」

「おや、おかしな話だ。私はまだ、当主を引き継がせたつもりはないのだがね」


 男はとぼけたように言う。


「死んだはずでは」

「勝手に殺さないでくれたまえ。現にこうして、私は生きている」


『東』と書かれた半紙の向こうで、男がクツクツと声を押し殺して笑った。

 明らかに動揺した様子の『北』が「何故生きている!!」と叫ぶと、


「何故? ああ、そうだな。私が契約をした天魔は非常に慈悲深いお人だったようで、大部分を抉り取られながらも核だけは私に残しておいてくれたのだよ。いわば分割だがね」

「分割だと? そんな芸当、一体いつ……!!」

「さてね。それは私の中身にでも聞いてみればいいのではないのかね? もっとも、君がこの場で暴れることができればだが」


 男は正座をしていた座布団から立ち上がると、その手を虚空に伸ばした。

 白魚のような指先に、ポッと紅蓮の炎が灯る。紅蓮の炎は詰襟シャツの袖を伝い、肩を経由して両手を炎で包み込む。緩く五本指を曲げて炎を掴むような素振りを見せれば、その手にはすでに銃把が握られていた。

 大振りの回転式拳銃リボルバーのような銃把でありながら、銃身の代わりに肉厚な刃が伸びている。銃火器と刀剣が見事に融合した不思議な形状の武器を両手に装備し、男は右手の刃で半紙を突き破る。


「悪いが、昔の私とは違う。覚悟しておくことだ」


 東の文字を突き破って小部屋から踏み出た男は、その赤い瞳をギラリと輝かせて『北』の小部屋を睨みつける。

 透けて見える腰が曲がった男の影が、分かりやすく狼狽していた。


「アズマ家八四代目当主――キクガ・アズマ。推して参る」

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