第6話【銀月鬼と火神】

 逃げる。

 逃げる。

 まだまだ逃げる。

 物凄く逃げる。


「どこまで追いかけてくるんだあの水の虎ァ!!」

「腹が減った」

「黙れ役立たず!!」

「了解した」


 ショウを担いで荒野を爆走するユフィーリアは、ほとんど半泣きの状態だった。

 新しくコンビを組まされた少年は体力切れで役立たずだし、あの透明な虎には物理攻撃が通用しない。四面楚歌の状況など慣れたものだと思っていたが、ここまで修羅場は経験がない。

 命令さえあればどうでもいいらしいショウは、ユフィーリアの「黙れ」という言葉を忠実に守っているようだった。可愛らしく口まで塞いで沈黙の状態を保っているが、別に命令をした覚えはない。なんか腹立ってくる。

 水の虎に追いかけ回されていたユフィーリアだが、一匹の虎が前に回り込んできて思わず足を止める。どこか別の方向へ、と視線を巡らせるが、やはり周囲を完全に虎によって囲まれていた。


「囲まれたか……!!」


 ユフィーリアは舌打ちをする。

 物理攻撃が効かないので、これ以上戦ったところで体力を消耗するだけだ。肝心のショウは使い物にならないお荷物の状態なので、実質ユフィーリア一人で戦う羽目になる。

 ジリジリと距離を詰めてくるユフィーリアは、担がれたまま動かないショウに叫ぶ。


「おい、役立たず!! お前もう一回か、か、そう、火葬術っての使えねえのか!?」

「…………」

「黙ってねえでなんとか意見を言え!!」


 ユフィーリアの言葉を命令と受け取ったか、ショウはコクリと頷くと塞いでいた口を解放する。


「不可能だ。今は出せても火球程度だろう」

「やっぱりどこまでも役立たずだな。考えなしにあんな炎を出すから!!」

「貴様が一人で解決しろと言ったのではないか、ユフィーリア・エイクトベル」

「俺に責任を押しつけんな、お前の異能力の事情なんか誰が知るかよ!!」


 担いでいたショウを足元に落とすと、彼は「いたッ」と呻く。恨みがましそうな視線をくれてくるが、恨むならお腹が減って動けなくなった自分を恨んでほしい。

 距離を一定に保ったまま近づいてこない水の虎の群れを見渡し、ユフィーリアは大太刀に手をかける。あの虎は、切ったところでどうせ再生する。逃げ出すのであれば、多少の犠牲は覚悟しなければならないが――。


「ユフィーリア・エイクトベル」

「なんだよ」

「俺を置いて逃げればいい」

「は?」


 足元に座り込んだままのショウは、能面のような無表情で続ける。


「俺はどうせ役に立たない。しかし囮の役割ならば果たせる。――と命令しろ、ユフィーリア・エイクトベル。死したところで、俺は貴様を恨まない」


 恨まない、ではない。

 どこまでこの少年はお人形でいるつもりなのだろう。

 ショウ・アズマという少年の中身はひどく空虚であり、命令さえあればそれでいい空っぽ野郎エンプティだ。ならば彼の言う通りに囮として利用してやれば、ユフィーリアはこの場から逃げおおせることができる。――それを彼は恨まないと言っているのだから、やらない手立てはない。

 だからこそ。

 ユフィーリアはそれが気に食わない。


「ッざけんな……」


 ユフィーリアは、ショウ・アズマという少年が苦手だった。

 クソ真面目で、命令に従順で、まるで奴隷のような少年に苛立っていた。お人形や奴隷を気取るのであれば、そんなことは他の酔狂な何某なにがしにやらせればいい。

 しかし、自分に関わるのであればそんなお人形のような生き方は許さない。


「ふざけんな、クソ野郎!!」

「ッ」


 ショウはビクリと肩を震わせる。

 彼の胸倉を掴んだユフィーリアは、本気の怒りを目の前の少年にぶつけた。


「囮になれ? ――ふざけんな、いらねえんだよそんなモン!! たとえ俺がこの場でくたばろうと、お前にそんな命令は出すかァ!!」


 勢いよく胸倉を解放すると、ショウは地面に叩きつけられる。

 そんな彼を見下ろして、ユフィーリアは言う。


「命令さえありゃいいんだろ」


 自分とショウを囲む水の虎へ視線を投げて、ユフィーリアは大太刀の鯉口こいぐちを切る。


「だったら俺の相棒になれ、ショウ坊」


 透明な虎の群れが身を屈めて、一斉に飛びかかってきた。

 ユフィーリアはそれらの虎をしっかりと見据えると、


「それなら文句ねえだろ」


 抜刀。

 薄青の刃が透明な虎の群れの上を滑り、上下に二分割する。バシャッと水飛沫みずしぶきを散らして消える虎たちだが、すぐにその体を復活させる。

 警戒するようにぐるるると呻く虎の群れを見据えて大太刀の先端を突きつけるユフィーリアは、左手で外套の内側を漁った。「お、あったあった」と呟いて引きずり出したのは、なんと軍旗である。


「ほらよ、ショウ坊。これ持ってろ」

「……これは?」

「それを持った奴の半径五メートルはあらゆる攻撃から守ってくれる。お前は体力切れで動かねえんだから、じっとしてろ」


 まさかこんなものを外套の下に仕込んでいたなんて、と驚いている様子のショウに待機を命じると、ユフィーリアは改めて虎の群れと向き合った。

 やはり物理攻撃は通用せず、すぐさま回復してしまう面倒な機能を有している。ユフィーリアの異能力とは相性が悪い。

 しかし、手立てがない訳ではない。ユフィーリアは最強の天魔憑てんまつきだ、その名に恥じない戦いをするまでだ。


「そういえば、最近暑くなってきたよなァ」


 ユフィーリアは呑気にそんなことを言いながら、外套の内側から銀色の筒のようなものを取り出す。

 筒に突き刺さっている栓を口にくわえて引き抜くと、


「だからちょっと寒くしてやるよ」


 銀の筒を虎の群れめがけて投げつけた。

 虎がその銀の筒の状態に気付くより先に、ユフィーリアは軍旗に縋りつくショウの元まで駆け寄る。不思議そうに赤い瞳を瞬かせるショウに、ユフィーリアは「まあ見てろよ」と笑った。

 投げ込んだ銀の筒が内側から弾け飛び、青白い光を撒き散らす。閃光弾の一種かと思ったが、違う。あれはもっと凶悪なものだ。


「……虎が、凍って……?」


 ショウが呆然と呟く。

 あの青白い光を浴びた虎の群れは、見事に凍りついて動かなくなっていた。それだけではなく、一部の地面にも霜が降りている状態となっている。青白い光を浴びた部分だけ、冬が訪れたようだ。

 ユフィーリアは「氷結弾アイス・ボムだ」と言い、


「どこかの天魔の血液を特殊な方法で加工するとできる代物だよ。高いからあんまり買わねえけどな」

「…………ほう。下僕どもを氷漬けにして屠るとは、なかなかやりおるな」


 その時、耳朶じだに触れたしゃがれ声にユフィーリアは舌打ちをした。

 完璧に親玉の存在を忘れていた。一緒に氷漬けにしてやればよかった。

 距離を置いて成り行きを観察していたらしい悍ましい透明な虎――【水虎スイコ】は「見事、見事」と棒読みの称賛を送る。


「さすが、あの【銀月鬼ギンゲツキ】の似姿だけはある」

「そうだろォ? 俺ってば超強いから、お前なんか一捻りだから」


 心配そうな視線を投げかけてくるショウの頭を乱暴に撫で、ユフィーリアは【水虎スイコ】と向き合う。

 あらゆる攻撃から身を守ってくれる軍旗の範囲外に飛び出して、ユフィーリアはその透明な皮膚に包まれた【水虎スイコ】の心臓を狙う。


「甘いわ!! それで我の心臓を狙えるとでも――」

「甘いのはお前だよ」


 ユフィーリアは【水虎スイコ】の心臓に刃を突き立てる。

 その透明な皮膚を突き破ったところで、刃は心臓に突き刺さっていなかった。ほんの僅かに掠めた程度で、これでは傷つけられたとは言えない。

 しかし、


「お前は【銀月鬼ギンゲツキ】の異能力を知らねえのか?」


 ――【銀月鬼ギンゲツキ】の居合は、距離や空間さえも飛び越える。

 かの鬼神の前に立ったが最後、生きて帰ることはできない。

 その話は人間側も天魔側も有名なところだが、その異能力をユフィーリアが引き継いでいない訳がなかった。


「俺の異能力は切断術――


水虎スイコ】の心臓に、一筋の切れ込みが生じる。

 いつのまに切断したのだろう。それさえも気づかないほどに、ユフィーリアの居合は速かった。


「俺の前に立った時点で終わりだ、クソ虎野郎」


 手足の先から【水虎スイコ】が融解し始める。

 断末魔として「お、おのれェ……!!」と恨みがましそうな言葉を残して、悍ましい姿をした【水虎スイコ】は消えた。

 親玉である【水虎スイコ】が消えると同時に、氷漬けにされたあの怪物の配下も同時に粉々になって消える。これで脅威は消え去ったようだ。


「やれやれ、今回の戦いは面倒だったな。今度こそ昇給しねえかな」


 ため息を吐いたユフィーリアは刃についた水を払い落として納刀すると、軍旗に縋り付いたままポカンとした様子のショウのもとへ歩み寄る。


「大丈夫か、ショウ坊」

「……その、ショウ坊というのは?」

「だってお前の名前が呼びにくいんだよ。いいだろ、ショウ坊」


 ショウの手から軍旗を回収すると、代わりに右手を差し出した。


「だって俺の相棒なんだからな」

「そうか……了解した」


 ユフィーリアの手を借りて立ち上がるショウは、やはり変わらずクソ真面目な態度で応じる。


「改めて、よろしく頼む――ユフィーリア」

「おう、せいぜい頑張れよショウ坊」


 こうして性格が真逆な二人組――第零遊撃隊が結成された。

 二人の新たな門出を祝うように、晴れ渡った空からは天魔が元気に降り注ぐ。

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