幕間【開戦宣言】

 北戦線と南戦線に現れた天魔の大群は、天魔撃破数第一位と第二位を組ませた精鋭部隊――第零遊撃隊とその他の天魔憑きに任せた。

 第零遊撃隊の片方はぐだぐだと文句を垂れていたが、戦場を共にすれば考えも変わるはずだ。彼女も大人であるし、意外と聡明な部分も持ち合わせているので、おそらく彼と組ませた意図を理解してくれるだろう。

 伽藍がらんとなった大衆食堂を眺めたグローリア・イーストエンドは、満足げに頷いた。作戦は上手く運びそうだ。


「随分とご機嫌ね。なにかいいことでもあったのかしら?」

「うん。ずっと考えていた作戦が、ついに実行できそうなんだ」


 調理場で食器を拭いていた強面のコックが、グローリアの弾んだ声を聞いて「あらそう」と微笑んだ。一般人を三人ぐらい始末してきたと言ってもおかしくないぐらいの恐ろしい人相だが、見た目とは裏腹に女のような口調と卓抜した料理の腕前は目を見張るものがある。グローリアも彼の人柄と料理が大好きだった。


 さて。

 先ほどまでの切羽詰まった様子はどこへやら、軽々とした足取りで二階へと取って返したグローリアは、薄暗くて不気味な階段を楽しそうな様相で上る。ギシギシと軋む音すらある種の音楽のようにも聞こえてきて、機嫌よく鼻歌なんて奏で始める。

 意気揚々と二階へと戻ってきたグローリアは、階段を上ってすぐ近くにある扉を軽くノックした。扉にかけられた表札には『すかいのへや』と子供のような文字で書かれてあり、さらに表札の下部にはものすごく小さい文字で『ノックしないでください、おびえてしまいます』とあった。


「スカーイ、支度して。出かけるよ」


 扉の向こうにいるだろう部屋の主に呼びかけてから、グローリアも自分の執務室へと戻る。広々とした執務室のはずだが、その床は書籍と作戦をまとめた紙やら地図やらで埋め尽くされている状態だった。元は本の山がそこかしこに築かれている程度だったが、少し前までこの部屋に立ち寄った二人が容赦なく蹴倒してくれたので、こんな悲惨な状態になっているのだった。

 グローリアは自身の部屋の惨状を一度よく観察してから、ハーフアップにまとめた頭を掻いた。


「さすがに掃除しなきゃお客さんも呼べないよね」


 自分が片付けのできない性格であることは自覚している。奪還軍本部の雑務を全てこなしてくれるあの強面コックに、幾度となく部屋を片付けるように叱られていた。それでもすぐにこの状態に戻ってしまうのは、もうある種の才能と呼んでも差し支えはないだろう。

 しかし、今は片付けをしている暇などない。打てる手は早めに打っておかないと、あとで痛い目を見るのだ。寿命という概念を超越した天魔憑きに時間は腐るほどあるが、これから話す相手は人間だ。普通に年老いて死んでいく人間である。

 扉の付近に立てかけてある杖を手に取ったグローリアは、すぐに踵を返した。

 いや、杖というより死神が持つような大鎌である。長い柄から垂直に伸びる歪曲した刃の根元に懐中時計が埋め込まれ、今もなお正確な時刻を刻み続けている。一分一秒と狂いもせず働く懐中時計を一瞥し、グローリアは執務室の扉を閉めた。部屋の掃除は後回しだ。

 辿ってきた道を戻ったグローリアは、いまだ閉ざされたままの『すかいのへや』の扉を再び叩く。乾いたノックの音が廊下に落ちて、グローリアは部屋の主に呼びかけた。


「スカイ、寝てるの? 出かけるから支度してって言ったはずなんだけど」


 気分は引きこもりの息子に話しかける母親である。グローリアとしては別に相手を育てたとかそういう感情はないのだが。

 何度かノックして、呼びかけて、扉の向こうの反応を窺うが、物音一つ聞こえてこない。恐ろしいぐらいに静かな部屋の様子に、グローリアは唇を尖らせる。


「居留守かな」


 部屋の主を信用している訳ではなさそうである。

 これだけ呼びかけても断固として出てこないのであれば諦めもつくが、グローリアには大切な作戦を実行する準備が控えているのだ。別にこれから向かう場所はグローリア一人だけでも問題はないが、今後のことを考えると上官二人で向かった方がいいだろう。

 やれやれと肩を竦めたグローリアは、扉の鍵の有無を確認する。ドアノブを回すが内側から鍵がかけられている為、ガチャンというやけに大きな音がグローリアの耳朶に触れた。


「仕方がない」


 懐中時計が埋め込まれた大鎌の先端を扉に突きつけて、


「適用『空間歪曲ムーブメント』」


 すると、扉が

 確かめるように扉の表面に触れると、波紋が呼び起こされてグローリアの指先が扉に埋め込まれていく。どうやら繋ぐことは成功したようで、グローリアは「よし」と頷いた。

 体当たりするように扉めがけて歩き始め、しかし歩行は阻害されることなくグローリアは簡単に室内に侵入することができた。


「うわぁ……」


 扉の向こうに広がっていた部屋模様を目の当たりにして、グローリアは自身の執務室より酷いんじゃないかと思ってしまう。

 部屋の広さはグローリアの執務室と同じぐらいだろうが、部屋の明かりをつけておらず非常に暗い。床一面を這う透明な管は時折、紫色に輝いて部屋中を駆け巡っていく。唯一の光源らしいものと言えば、部屋中を埋め尽くさんがばかりに設置されただった。

 箱を想起させる立方体のものから薄い板のようなものまで様々な画面が部屋の主を取り囲むようにして配置され、どれもこれも煌々と青白い光を落としている。画面に映る景色は【閉ざされた理想郷クローディア】には存在しない青い空と燦々さんさんと眩しい光を落とす太陽、そして緑豊かな大地だ。時々画面に映る景色が揺れて別の景色に切り替わり、しばらくしたらまた別の景色へと切り替わっていく。

 数多の画面に取り囲まれた部屋の主は、てるてる坊主のように毛布を頭からすっぽりと被り、黒いマニキュアが塗られた爪をガジガジと噛みながら、膝を抱えて無数とも呼べる画面の群れをひたすら睨みつけていた。目まぐるしく切り替わっていく景色を観察し、調査し、吟味し、それからてるてる坊主はグローリアの存在にようやく気づいた。


「…………うわ。入るんならノックの一つぐらいはしてほしーッス」

「何度もしたし呼びかけたよ!?」


 こうして強硬手段を取らざるを得なくなったのは、ひとえに部屋の主たるこのてるてる坊主が応答しなかったからだ。グローリアがそう訴えると、てるてる坊主はうるさそうに身じろぎして「へーへー」と適当に合わせた。言葉の端々に面倒くさいという感情が滲んでいる。

 グローリアは画面の群れを越えて、てるてる坊主が胡座を掻く部屋の真ん中までやってくる。なにやらよからぬ気配でも感じ取ったのかてるてる坊主が守りの体勢に入るものの、ほんの僅かだけグローリアの行動の方が早かった。てるてる坊主の要因となっている毛布をむんずと掴むと、力任せに引っぺがした。


「あー」


 気怠げな悲鳴と共に毛布の下から現れたのは、赤いもじゃもじゃ髪の青年である。

 どこぞの少年の瞳とは違い毒々しい鮮血の色をした髪は、天然もののもじゃもじゃ加減に加えて寝癖も混じっている。分厚い前髪は目元を完全に覆い隠し、さらにおかしなことに、前髪の上から赤縁の眼鏡をかけるという眼鏡の存在意義を疑いたくなる使い方をしていた。陽に当たっていない為かその肌の色は驚くほど白く、背筋を丸めて縮こまる青年の体躯は鶏ガラのように痩せ細っている。

 不健康をそのまま体現したかのような青年は、毛布を奪われたことで「うー」と不満げに呻いた。


「なにすんスか。乱暴な」

「何度も呼びかけたのに応じないから、僕だって乱暴な手段を取りたくなるよ」


 さりげなく毛布を奪い返そうとしてくる青年から毛布を遠ざけて、グローリアはやれやれとため息を吐いた。青年が「ため息を吐きてーのはこっちッス」と訴えられるが、知ったことではないとばかりに無視する。

 この不健康そうな赤い髪の青年こそが、アルカディア奪還軍最高総司令官であるグローリアの補佐官――アルカディア奪還軍最高総司令補佐官のスカイ・エルクラシスだ。だらしがなく今にも不摂生が祟って死にそうな様相だが、これでも補佐官を立派に勤めている。

 スカイはグローリアを睨みつけて、


「ボクは行かねーッスよ、めんどくせ。どっか行くならボクの使い魔を数匹つけるから、それでいーじゃねーッスか」

「それは困るなあ」


 断固として部屋から出ないという姿勢を示すスカイに、グローリアはあっけらかんと言い放つ。


「じゃあ、君の時間を止めて引きずっていくしかないね」

「…………そこまでしてボクを外に連れ出すつもりッスか」


 渋面を作るスカイに、グローリアは「そうだよ」と頷いた。


「これから行く場所は、やっぱり奪還軍をまとめる上官として真正面から乗り込むべきだと思うんだよね」

「乗り込むって……喧嘩でも売りに行くんスか。ますますやだ、ぜってーやだ。ボクが武闘派じゃねーの知ってるッスよね?」

「君も僕がまともに戦えると思ってるの?」


 グローリアもスカイも、肉体労働はそれほど得意としていない。戦場に出ればお荷物になることは確実だし、体を動かすよりも頭を動かす方が性に合っているのでこの立ち位置に文句はない。

 痛い部分を突かれたスカイは「うえー」と呻いて、透明な管が這う床に大の字で寝転がる。どうしてもこの部屋からは出ないつもりのようだ。


「やだやだやだ。外なんて絶対に人が多いし、歩くの疲れるし、いーことなんて一つもないッス」

「それでも出かけなきゃダメな時ってあるんだよ。ほら、最近運動してないでしょ。たまには動かなきゃ」


 寝転がるスカイを無理やり起こしてやると、彼は胡乱げな雰囲気でのろくさと起き上がってボサボサの赤い髪を掻いた。


「――で、どこに行くんスか」

「騎士団本部」


 満面の笑みで答えたグローリアに対して、スカイは密かに「やっぱめんどくせー」と呻くのだった。


 ☆


「うあーめんどくせー」

「まだ言ってるの?」


 グローリアの少し後ろを歩くスカイは、まだそんなうだうだと文句ばかりを垂れていた。――いや、正確なところスカイは歩いている訳ではない。

 アルカディア奪還軍本部をあとにしたグローリアとスカイは、【閉ざされた理想郷】の第三層を目指して人混みの中を歩いていた。道行く人々は興味津々といった様子で、あるいは奇異なものでも見るかのような視線を二人に注ぐ。その最たる理由はグローリアの大鎌を模した杖と、スカイを乗せてゆったりとした足取りで歩く異形の怪物だった。

 特に、スカイへ向けられた視線のほとんどは怯えだった。なにせ人里に平気で常識外の怪物が混じっているのだ。いつこちらに噛みついてくるか分からない、という恐怖があるのだろう。


「スカイはもう少し大人しめな乗り物を用意できなかったのかな」

「ボクのおかげで人混みを平気で歩けてんじゃねーッスか。感謝してほしーぐれーッスよ」


 なー、とうつ伏せのスカイは自分を乗せる怪物の背中を撫でてやる。

 姿こそは獅子だが、その背中には蝙蝠こうもりの翼が生えていて、さらに尻尾はさそりのようである。合成獣キメラとも呼べそうなそれは、俗にマンティコアと呼ばれる魔物だった。地上を彷徨う人類の敵――天魔とはまた違い、魔物はスカイの眷属である。

 スカイは自身の眷属と視覚や聴覚などを共有させる『共有術』という術式を有し、地上に出ずとも眷属を通じて世界を見渡すことができるので、情報収集に関しては彼の右に出る者はいない。およそ億単位にも上る眷属を支配するスカイは、密かに『情報世界の傀儡王ローレライ』とまで呼ばれるようになった。グローリアもスカイの情報収集能力には全幅の信頼を寄せているが、この面倒くさがりな性格のせいで全てが台無しになってしまっているのは否めない。

 今も他人の視線など意にも介さず、スカイは自身の眷属であるマンティコアのふかふかの毛皮を堪能しているところだった。自分の使い魔なのだから自分の部屋でやればいいのに。

 しかし、こうしてついてきてくれるだけでも十分なことであるし、マンティコアのおかげで人混みの中を歩く羽目になることを避けられたのだから、彼を深く追及することはしない。グローリア自身もかなり図太い神経をしているので、周辺の視線など大して気にもならない。

 奇異な視線に晒されること、およそ一〇分。グローリアとスカイの二人が辿り着いた先は、巨大な昇降機の前だった。

 太い支柱が天蓋てんがいを支え、見上げれば首が痛くなるほど巨大な扉はぴったりと閉ざされたままだ。昇降機の前には他の利用者もいるのか、大勢の人間が巨大な扉の前で昇降機の到着を待っていた。そのうち数人はグローリアとスカイの存在に気づいて、ギョッと目を剥いて驚いていたが。


「第三層、今日は平気かなぁ」

「デモ行進ッスか? 張らせてる使い魔からはそんな情報は貰ってねーッスけど」


 マンティコアの毛皮に顔を埋めたスカイが、グローリアのぼやきに対して即答を返す。

 全部で三階層に分かれる【閉ざされた理想郷】は、一層は商業区画及び居住区画となっている。二層は歓楽街となっていて、一層よりも雑多でほんの少し――いやかなり卑猥な町並みとなっている。

 今回、グローリアとスカイが目指す階層は最下層である第三層である。

 三層に存在するのは行政機関だ。いわゆる役所である。政治を執り行い、規則を決め、犯罪や人類同士の揉め事を解決する機関が一つの階層にまとめられたのが第三層だ。当然、政治を執り行っているというものだから反発する輩も多く、デモ行進がよく行われて昇降機の規制がかかったりしてしまうのだ。

 昇降機は地下空間である【閉ざされた理想郷】にとっての命綱である。これがなければどこにも行けないし、外に出ることすら叶わない。規制がかかって第三層に行けないということが起きれば、グローリアの頭の中にある作戦の実行が延期になってしまう。


「まあでも、いざデモ行進がやられてたらよろしくね」

「ボクが?」

「第三層にも潜らせてるんでしょ? ほんの少しばかり脅すぐらい朝飯前じゃないかな?」


 ニッコリとした笑顔で言うと、スカイはあからさまに嫌な顔をした。胸中では飽きるほど「面倒くさい」と唱えていることだろうが、作戦の実行を邪魔するのであれば庇護対象となっている人類にだって容赦しないのがグローリア・イーストエンドという青年である。

 やがて、町全体を震わせるゴゴンという音が響き渡った。見上げるほど巨大な扉がゆっくりと開いていき、中に押し込めていた大勢の人間がわっと降りてくる。

 入れ替わるようにして、扉の前で待たされていた人間が第一層に到着した昇降機に乗り込んでいく。グローリアとスカイも彼らを追いかけるようにして昇降機に乗り込み、扉が閉まる瞬間を鋼鉄の箱の内側から眺めることとなった。


「あれに挟まれたらどうなるんだろうね」

「そういう事故が今多いみてーッスよ」


 マンティコアが怯えないようにとたてがみをわっさわっさと撫でてやりながら、獅子の体に跨ったスカイがそんなことを言う。さすが情報世界の傀儡王、本拠地たる【閉ざされた理想郷】の情報収集も欠かせないらしい。

 異形の怪物に興味を示したらしい数人の子供がスカイの周りに集まって、呑気に欠伸をするマンティコアを物珍しそうに眺めていた。触りたいけれど噛みつかれるのを恐れて触れないようで、ひそひそと「お前行けよ」「えー、ジャンが触ればいいだろ」と小突き合っている。

 その様子を観察していたグローリアは、


「尻尾は毒を持っているから触らないようにね。喉の辺りを撫でてあげると気持ちいいらしいよ」

「ほんと? 撫でても噛まない?」

「うん。でもその子だって生きているから、毛を引っ張ったりしないであげてね」


 はーい、と子供たちは素直に頷いてマンティコアを優しく撫で始めた。スカイは分厚い前髪の下から「めんどくせーことしやがって」と恨みがましく睨みつけてくるが、さすがに純粋な子供たちの前で無体を働く気は起きないのか、大人しく撫でさせてやっていた。

 三分もしないうちに、昇降機がガクンと停止する。ぴったりと閉じられた状態の扉がゆっくりと開き、なにやら甘い匂いがグローリアの鼻孔を掠めた。

 扉の向こうに広がっていたのは、けばけばしい色合いで統一された歓楽街だった。酒類を提供する店はそこかしこに建ち並び、女を抱く為の娼館は様々な種類が点在している。子供の教育には大変よろしくない世界だが、マンティコアを撫でていた子供たちはこの歓楽街が目的だったようで、最後にマンティコアの鬣をわしわしと掻いてやってから「じゃあな」「またね」と降りていく。

 歓楽街である第二層から乗ってくる利用者はおらず、昇降機にグローリアとスカイのみを残して扉が閉まる。


「小さな子供にはよくないと思うんだけど」

「おおかた、娯楽施設目当てじゃねーッスかね」


 二人だけとなったので声を潜める必要もなく、グローリアとスカイは目的地である第三層の到着をひたすら待った。

 そうして再びガクンと昇降機全体が大きく揺れて、鋼鉄の扉がゆっくりと開く。扉の向こうに広がっていた世界は、


「うぎゃあああああああ!!」

「うるさいよ、スカイ」


 マンティコアに跨るスカイは、前髪の上から目を押さえて悲鳴を上げた。もはや断末魔と呼んでも差し支えはないが、隣にいたグローリアはぴしゃりとスカイの心配などもせずに言い切る。

 第三層は地下の世界だというのに、燦々とした陽の光が階層全体を照らしていた。その仕組みは、天蓋に埋め込まれた煌々と明かりを落とす巨大な鉱石にある。

 陽光の石ソレイユ

 かつてどこぞの天魔が守護していた巨大な石だが、光源確保の為に強奪したのだ。最重要と言われる第三層に運び込まれた陽光の石は、蒼穹に浮かぶ太陽と同じぐらいの光を四六時中落としている。


「うー、やっぱり帰りたい……」

「ダメ。ほら行くよ、降りて降りて」


 マンティコアの尻をぐいっと押し出して、グローリアとスカイは第三層に降り立った。

 第三層は第一層や第二層と違って静謐せいひつに満ちていて、人通りも少ない。綺麗に整備された石畳はなだらかなもので、ゴミ一つ落ちていない。景観を大切にしているのか、建物は全体的に白っぽくて清潔な印象を受ける。

 静かな第三層の町並みに、グローリアの朗らかな声が響き渡った。


「相変わらず生活感がなくて不気味なところだね」

「かえりたい」

「ダメだって言ったでしょ」


 昇降機に取って返そうとするスカイを叱責して、グローリアは懐中時計が埋め込まれた大鎌を肩に担ぐ。それから高らかに靴の音を響かせながら、石畳を歩き始めた。

 真っ直ぐに伸びる綺麗な石畳を遠慮なく踏みつけて歩くグローリアの後ろを、マンティコアが追いかける。ちゃ、ちゃ、と石畳と獅子の爪が擦れて小さな音が奏でられた。


「うー、うー、絶対に恨むッス。絶対に、絶対に」

「恨んでもなんでもいいけど、きちんと僕の補佐官らしくしてよね。――ほら、スカイ。着いたよ」


 昇降機から降りて五分と経過せずに、グローリアとスカイは目的地に到着した。

 貴族の屋敷もかくやとばかりの立派な建物が、目の前に鎮座していた。高い塀に囲まれて容易に侵入できない仕組みとなっていて、さらに建物の玄関には銃剣を携えた門番が直立不動でいる。煌びやかな軍服は赤を基調としていて、目立つことを前提に作られているようだった。

 塀に埋め込まれた金属製の看板には、綺麗な文字で『騎士団本部』とある。いつ見ても「成金趣味か?」と問いかけたくなるような看板で、アルカディア奪還軍の本部が見すぼらしく感じてしまうが、こんな堅苦しい屋敷よりも和やかな雰囲気を大切にするグローリアは今後もあの場から動くことはない。余談ではあるが、第零遊撃隊の片方は実際に「成金趣味か?」と問いかけてあわや喧嘩になりかけた。

 陽光の石より降り注ぐ光に慣れないのか、スカイが弱々しい声で言う。


「騎士団本部なんかに何の用ッスか。あんな腰抜け共と話すことなんざねーッスよ」

「僕はあるんだよ。なにせ、


 彼らにしかお願いできない、という言葉にスカイは合点がいったらしく「あー」と頷いていた。さすが最高総司令補佐官を務められるだけの頭脳を有しているだけはある。

 グローリアは背筋を伸ばし、担いでいた大鎌を携えて、騎士団本部を守る門番の前に立つ。訝しげに視線をくれてきた門番たちへ、グローリアは朗々とした声を響かせた。


「僕はアルカディア奪還軍最高総司令官のグローリア・イーストエンド、騎士団団長であるセレスティーナ・ブリッツオールにお目通り願いたい」


 それから笑顔で、囁く。


「居留守を使っても無駄だよ。もし断ったら――強硬手段を取らせてもらうけど、それでもいいかな?」


 ☆


「通すなと申し上げたはずでございますが」


 広々とした豪奢な部屋に、底冷えのするような女声が落ちる。

 騎士団という集団を取りまとめる長らしい煌びやかで整理整頓ができた部屋に足を踏み入れたグローリアは、冷え冷えとした女の声に対して満面の笑みでもって答えを返す。


「君にそこまでの人望がないということだね」

「貴方のことですから、どうせ部下を脅したのでございましょう」


 立派な執務机に向かい書類仕事をしているかと思いきや、優雅に紅茶を啜っていた金髪の女性はぴしゃりと吐き捨てる。

 一言で表せば、人間らしい美しさを持つ女性だった。黄金を溶かしたかのような見事な金髪に気品と怜悧れいりさを孕む碧眼、人形めいた顔立ちは世の男を魅了してやまないだろう。実のところ、第零遊撃隊の片割れは以前彼女のことを「確かに美人なんだけど、取っつきにくい。絡んでいったら殺されそう」と評価していた。

 門番よりも立派な赤い軍服には意味のない煌びやかな装飾ばかりが施されていて、機能性よりも目立つことを重視して作られていると判断できる。グローリアはいつも「趣味の悪い制服だなぁ」と思うのだが、服装にまでケチをつける暇はないので黙っておくことにした。

 彼女こそが【閉ざされた理想郷】の治安維持を担う騎士団の団長――セレスティーナ・ブリッツオールである。若いながら独力で騎士団の団長を務めることになったとされる女傑とも言われているが、彼女の悪行を信じて疑わないグローリアは「絶対になにかを隠してるよね」と常々言っている。


「それで、ご用件は? まあ、貴方の要求など聞くに値しないものですが」

「うん。実は君には死んでほしいんだ」

「グローリア、欲が口に出ちまってッスよ」


 スカイに指摘されて、グローリアは「おっと」と口を手で覆った。直前でセレスティーナが嫌なことを言うものだから、思わず暴言で返してしまった。これでは天魔憑きを束ねる最高総司令官の名折れである。

 グローリアは、セレスティーナ・ブリッツオールという女が嫌いだった。苦手意識を持っているとかではなく、ただただ嫌いの一言に尽きた。理由は不明だが、おそらく同族嫌悪の感覚と似通っているものだろうと自覚している。それでも本能的に「あ、こいつ無理だわ」と思ってしまうのだ。

 口元を痙攣させるセレスティーナがなにかを叫ぶより前に、グローリアは軽く咳払いをしてから本題を告げた。


「大正門を開放してほしいんだ」

「……………………」


 セレスティーナの美しい碧眼がスッと音もなく眇められる。双眼から放たれる威圧感は一般人であれば縮み上がらせるものだが、常日頃から空から降ってくる異形の怪物相手に戦っているグローリアには通用しない。ただしスカイの乗り物代わりになっているマンティコアが「ううぅ……」と怯えたように小さく唸ったが。

 桜色の唇をキュッと引き結んだセレスティーナは、声を震わせないようにと努力したらしい硬い声音で問いかける。


「…………それは、どういう意味かお分かりでございますか?」

「もちろんだとも」


 厳しい視線をくれてくるセレスティーナに、グローリアは鷹揚と頷いた。

 大正門は地上と【閉ざされた理想郷】を繋ぐ出入り口であり、それを塞ぐことによって人類は今日まで平和を保ってきた。それをおいそれと開放すれば、あの怪物どもに人類がいまだ生存していると知られることとなる。それは、人類にとっての死刑宣告と同等だ。

 天魔に存在を知られれば、生きては帰れない――その認識は、一〇〇年経過した現在でも変わらない。

 しかし、グローリアとしても譲れないものがある。作戦の要として大正門は今後も必要となってくるし、将来的に天魔を根絶した暁には嫌でも大正門を開放することとなるのだ。否定的な意見を言われるより先に手を打つべきか、とグローリアは口を開く。


「大正門が必要な理由は一つ。あの門を開けることによって、王都アルカディアへの侵攻を簡単にする為だ」

「侵攻を簡単に? そんなことが可能でございますか?」

「大正門は王都の南のディアンテ広場の真下にある。つまり壁のにあるんだ。この部分は結構重要だよ」


 グローリアが大正門を重要視するのは、その一点に尽きた。

 大正門は王都の壁の内側に存在し、開放すれば壁の外から王都に侵攻するということがなくなる。壁の外は天魔が彷徨い歩いているので、いざ壁の外から王都に侵攻を始めようとしても、空から降り注ぐ無数の天魔を相手するのに人員を割かなければならないのだ。そこまで人員を割いている時間は、正直惜しい。


「不思議なことに、。外にいる天魔の陽動をする必要がなければ、王都アルカディアを奪還することだって難しいことじゃないよ」

「…………しかし、危険性が」

「それなら僕たちを外に出してから、大正門を閉じればいい」


 グローリアはきっぱりとそう言い切った。

 元よりそうするつもりだったのだ。ずっと大正門を開放したままにすれば、王都で争う音を聞いた雑魚が大正門の存在に気づくかもしれない。グローリアとしても人類が全滅してほしい訳ではないのだ。だからこうして、命を懸けて怪物と対峙するのだ。

 セレスティーナは悩むように視線を落として、長い時間をかけて、青い瞳をグローリアに向けた。そこに懐疑的な感情はなく、ただ真っ直ぐに彼の紫色の瞳と交錯する。


「そういうことであれば――ええ、許可しましょう。貴方がたは我々の代わりとなって、あの異形の怪物どもと相対しているのでございます。その働きに報いるぐらいはしなければ、人類はただの腰抜けと罵られても文句は言えません」

「話が早くて助かるよ」


 さすが独力で騎士団の頂点にまで上り詰めただけはある。彼女のこういう物分かりの良さは、正直なところ結構気に入っている。

 微笑むグローリアの少し後ろで、スカイが苦い顔をした。面倒くさがりな彼のことだ、どうせ「うわー、めんどくせー」とでも思っているのだろう。面倒なことは日常茶飯事だ。

 グローリアは拳を胸に当てる敬礼をして、朗々とした声で宣言した。


「我らアルカディア奪還軍は、これより地上奪還に向けて天魔との全面戦争を開始する」

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